
「総合格闘技の源流は、パンクラチオンですか?」世界格闘技比較論の講義に出席していた学生からの素朴な質問が、思えば、私の旅のきっかけだった。
2004年夏、アテネ五輪が開催されているギリシアで、古代五輪の一種目であった「パンクラチオン」が公開種目として演じられるという。この情報を頼りに、知人の伝手を辿り、行き着いたのがラサロン・サビディス氏だった。2002年にアテネに本部を置く「ギリシア・パンクラチオン連盟」を創設した氏は、パンクラチオンの五輪復帰を目指し、活動を続けている。愛好者は30ヶ国に広がり、世界選手権も開く。競技人口は6千人を超えるとのことだ。パンクラチオン復活のためにサビディス氏は考古学資料や文献を紐解き研究を続けたという。格闘技の源流を探るために、私も氏と同じ道を進まざるを得なかった。オリンピアの遺跡に赴き、そこに展示されている古代の壺に描かれた格闘技の絵や格闘家を表した彫像から、当時のパンクラチオンを洞察するのだった。いつもの格闘技研究のようにそれぞれの専門家との真剣勝負
?!を行うわけにはいかない。これまで培った私の格闘技の経験と直感を頼れば、様々な資料からパンクラチオンの源流が蘇ってくると思った。もともと古代五輪にあった格闘技は、レスリングとボクシングの二つ。両者とも第
23回(BC668年)から登場しているが、現在とは全く趣を異にしていた。古代レスリングは相手を投げるか、タックルして、仰向けにして倒すフォールを狙う。このフォールを三回奪うことで、勝者となった。「相手をコントロールして、ひねって組み伏せる」レスリングの原型が見える。壺絵のボクサーは左手を相手に向かってまっすぐに水平に伸ばし、右手で相手への打撃を準備している。左手が盾で右手が矛のようだ。左手で相手との距離を取りながら、右手での打撃を狙う。右手の打撃はすべて頭部に向けられ、相手が意識不明になるか、負けを認めるまで試合は続けられたという。「レスラーとボクサー、どっちが本当に強いのか?」という、古今東西に亘るテーマへの回答が、レスリングとボクシングを混合したパンクラチオンであった。第
33回大会(BC648)から登場するこの最初の総合格闘技も、レスリングと同様に立ち技系と寝技系に分かれていたとのことで、今日のK1とプライドへの系譜を示唆しているようだ。多くの解説は、「噛み付き、目を抉ること以外は、何でもあり」の残酷さを強調しているが、私の調べた限り、間接をきめたり、首を絞めている絵や彫像はひとつもなく、むしろ相手をコントロールするために腕や足を取りに行っている。相手を投げて倒し、抑えつけて、殴るか、動けなくする。壺絵の中に倒されたレスラーが天を指差す様子がたくさん描かれているが、これが戦闘不能の意思表示の方法だった。
その意味で、現在の総合格闘技とパンクラチオンが同じものと見るのは難しい。相手の顔をボコボコにするまで殴るという行き方は、壺絵や彫像を見る限り想像できない。アテネで見た模範演技も、空手と投げの総合演舞だった。
冒頭のサビディス氏が進めるパンクラチオンの復興は、古代ギリシア文化の伝統継承の意味合いが強いが、今、日本レスリング協会が主体となって、新たにパンクラチオンを五輪種目にする運動を始めているのは、斬新である。それは、現代のレスリングに関節技をプラスした格闘技である。その意味で本来のパンクラチオンとは似て非なるものであると言わざるをえない。
1884
年にクーベルタン男爵が古代五輪の復興を思い立ったのは、戦争中でも四年に一度、休戦して開催したスポーツ祭典に平和志向と青少年教育へのヒントを得たためと伝えられている。とすれば、現代五輪へのパンクラチオン復活にも同様の理念を求めたい。打撃を排除することによって、より「人間的な」総合格闘技が誕生するとすれば、それはそれでひとつの格闘技の進化であるのではないだろうか。