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 タカクノウと知り合ったのは、今からほぼ1年半前、ロサンゼルスのある空手道場であった。私はそこで、「レスリングセミナー」をすることになっていた。空手を学ぶ人々にレスリングの基礎訓練を施すために招かれたのだ。道場に着くと、一人の男が近づいてきた。鍛え上げられた体躯は純白の柔道着の上からもはっきりと分かった。剃りあげた髪に刻まれた三本の剃りこみが強面をさらに威圧的に見せていた。私は身構えた。

「久能孝徳と申します。こちらで『柔道』を教えております。お会いできて光栄です」一礼の後、強面は笑顔の清々しい男になっていた。その男こそタカクノウ。木村政彦以来、五十年ぶりに黒帯柔術家からタップを奪った男だった。聞けば、既に十四年間も米国に滞在しているという。「来年日本に帰ります。武道を窮めたいと思っております」タカが別れ際にそう言った。

 今春、タカは帰国し、約束どおり私が早稲田大学で開いている「社会人のためのレスリング講座」(俗称、社レス)に顔を出した。タカは中学から柔道を始め、国士舘高校柔道部で柔道を鍛えたが、その後、自衛隊でレスリングにも励んでいた。社レスの参加者もそれなりのレスラーだし、中にはアマチュアの総合格闘家もいるが、誰一人、レスリングでタカに敵うものはいなかった。

 何度かタカが社レスを訪ねてくれ、彼の練習ぶりを見ているうちに、彼ならプロ総合格闘技界でもやっていけるのではないかと思うようになった。レスラーとして基礎体力が抜群な上に、柔道の延長線上で習得した柔術にも長けていたからだ。そして私が最も動かされていたのは、彼の礼儀正しさ、謙虚さだった。今の日本人が忘れてしまった大切なものを彼はきちんと持っていた。

 私の思いをタカに伝えると、彼は「やらせてもらいます」と即答した。とても暑い日だった。巷では世界水泳日本活躍の話題で持切だった。727日、「チーム太田章」が小さな産声をあげた。

 「チーム太田章」といっても、私に出来るのはタカのスパーリングパートナーとなって、私のレスリング全てを伝授することだけだ。タカの強靭な締めで私の肋骨が何度か折れた。K1かプライドでの年内デビューを前提に、団体にアプローチも始めたが、スムーズに事が運んだわけではない。当初は年齢がネックになるとは思ってもいなかった。タカは今38歳だが、身体能力は28歳だったからだ。「米国では年齢で人を判断しないけど」とタカは溜息をついた。ともかく見ていただければと、高田延彦氏にお願いし、高田道場でのスパーリングに挑んだ。9月も終わりに近づいていた。PRIDE参戦中の選手とも対等に闘うタカに高田道場での練習の許可が出た。

デビュー戦は、それから1ヶ月ほどして決まった。PRIDEではなく、DEEPという団体でのステージが用意された。当初、PRIDEK1という最高峰を狙っていたので、タカのモチベーションが心配だったが、高田氏の導きもあり、「いただいた舞台で頑張ります」と言ってくれた。いざ参戦が決まると、打撃戦への不安があった。米倉会長の計らいで、ヨネクラボクシングジムで稽古をつけてもらえることになった。118日、ジムを訪れた日のことは忘れられない。数々の世界チャンプを生み出したその伝統ある日本家屋のジムの佇まい。来る者を拒まない大きさ。タカは伸び伸びとボクシングの基礎を学び、「打撃の軸が見えてきました」と言った。

122日、タカクノウは後楽園のリングに立った。佐々木有生とのデビュー戦は1220TKOの敗北に終わった。しかし、彼の挑戦は、今、始まったばかりである。タカのバックボーンは柔道とレスリングである。総合格闘技への挑戦の中で、その源流がタカを導く先を見守りたい。それが、かつてタカが語った「武道を窮めたい」ということなのだろう。

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