vs6

 沖縄を訪ねるようになって三年になる。最初は講演を頼まれたのがきっかけだったが、その後、大学のゼミや、講習会、地元の教育委員会の仕事など何かにつけて、沖縄に出掛けた。ある年にはプライベートも含めて、年に6回も沖縄を訪ねたことがあった。訪ねる度に愛着が湧き、その愛着が最近では「沖縄病」と言われるほどになってしまった。

渡嘉敷島にある国の教育機関、沖縄青年の家に宿泊すれば、一泊2,100円で三食付き、カヌーもカヤックもできる上に、ボクシングリングまであり、セミナーを開く者にとって最高の場所。それも愛着の理由のひとつだが、それ以上に、そこが格闘技の宝庫であることに気付いてからは、「沖縄病」に拍車が掛かった。

沖縄は格闘技のふるさと!なのである。例えば、沖縄にはシマ(沖縄角力)という相撲に似た格闘技がある。韓国のシルムとよく似ている。実際、糸満で会ったシマ元横綱の金城明氏は、シルムとの交流に熱心だ。日本の相撲とは違い、立ち会いがない。つかみ合ってから試合が始まる。手をまわしに絡めて掴み、はずれないように闘う。一見、力の強い方が有利かと思えるのだが、さにあらず。テクニックは多岐に亙り、複雑で、抱えられ、持ち上げられたとしても、上から相手をコントロールし、降りた瞬間に相手をひっくり返す技もあり、奥が深い。相撲の源流はひょっとしたら、シマにあるかもしれない。

現在500を超える流派にまで発展し、世界中に普及した日本の空手のルーツも沖縄にある。「空」手が「唐」手から来たことは広く知られているが、沖縄には、古来から手(ティー)という武術が存在していた。15世紀に成立した琉球王朝が、中国との交流を深め、中国拳法が伝わり、「手」が中国拳法とインテグレードしたのが「唐」手であり、武器を持たず素手で自らを守る「空」手として現在に繋がっている。その代表的な流派として、那覇手(ナフアティー)、首里手(スーリーティー)、泊手(トゥマーリティー)がある。

那覇、首里、泊すべてが10キロ圏内にあるというのに、全く違う「手」がそこにあった。型、スタイルなどは相似するが、全く違う「手」なのである。そのことに長い間、疑問を持っていた。なぜ10キロ圏内に?何度も沖縄に足を運びようやく判ったのは、首里はサムレー(侍)の町、泊は海人ウミンチュ(漁師)の町、そして那覇は商人(商業)の町だったことだ。それぞれの町に階級の違う中国人が出入りする。侍の町と漁師の町の間の交流は閉ざされていた。それぞれがそれぞれの中国拳法を習い、それぞれに「手」を発展させたのである。尚真王、続く薩摩藩の武装禁止政策の影響で、それぞれの「手」は、一子相伝の形態を取らざるを得なかった。

門外不出であった「手」が明治以降、学校体育にも「空手」として取り入れられたのが、普及の発端であるが、一方で、空手の競技化という課題を超克してきた歴史も見逃せない。「型」だけでなく、スポーツとして成立させるため、一撃必殺の危険回避を求めた。「防具」空手と「寸止め」空手の二つの流れが生じた。そして、そこに格闘技としての疑問を提示したのが、極真空手である。掴み(ダッキング)を禁止し、顔面以外への直接打撃を解禁した。しかし、顔面への手技打撃禁止は顎を無防備にする。格闘家たちにとって、極真空手が不自然に映る大きな理由である。この顔面攻撃をも解禁したのが正道会館への流れで、その流れの大河にK1がある。

K1 WORLD GP 2005の覇者セーム・シュルトは恐らく、年末のダイナマイトでも印象的なファイトを演じたことだろう。彼の闘いに沖縄空手の源流が見える。刀狩に対し、自らの体を武器に鍛え、民たちを守ることを決心した一子相伝の凄みが、シュルトの破壊力に現象している。それは、強烈だが、沖縄の青い海、珊瑚礁、そして、日本には忘れ去られた沖縄だけが持っている美しい自然を髣髴とさせる爽快なものである。

戻る ホーム 上へ 進む