vol.313 イチローを忘れるな!

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  週 刊 ス ポ ー ツ 思 考 vol.313
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  Sport Philosophy 

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 イチローを忘れるな!
 ~逆境でのあり方~
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 たまには音楽を聴く。忘れていたものが再び取り戻される。ヤド
ランカの魂の歌。あれからもう5年が経つ。サラエボの地に足を踏
み入れたあの日から。

 たまには香を焚く。薄れかけた記憶に蘇るものがある。あのとき
私をサラエボに駆りたてたものと同じエネルギーが今この足元にあ
るだろうか?

 思えば遠い道のりだった。しかしやる気さえあればできるものだ。
あの時戦下でも新体操をあきらめなかった少女がいた。毎日7キロの
いつ銃撃されるかわからない道のりを体操クラブに通いつづけた。
彼女の情熱がやがて体操クラブを動かし、休止されていたクラブが
運営を始めた。昔、私の恩師が言った言葉が魂を突く。
「熱意と情熱があればできないものはない」

 ヤドランカが一人故郷を離れて日本での音楽活動を続けている。
彼女がなぜユーゴに帰らないのか?周りの人々も時々囁いている。私
にも正解が見つからなかった。でもおそらくあの新体操をあきらめな
かった少女と同じ気持ちではないだろうか?人が自分の力ではどうし
ようもない事態に陥ったとき、自らの信ずる行いをそれでも続けるし
かないことをやがて悟る。そしてその行いを続けていく中でだけ自分
と世界が繋がっている。

 さっきまで普段着の日常生活を送っていたその同じ場所が突然爆撃
を受け、温かい住まいは銃弾の的となった時、少女に残されたものは、
最も愛した新体操を続けるしかなかった。ひたすら難民収容施設から
クラブに通う少女の姿とヤドランカの魂の叫びが一致する。

 それは祈りだ。その行いの中で人は祈るのである。
 誠に「祈りと知らない祈りの姿は美しい」(高見順)

 以上は、2000年3月2日に発行されたスポーツ思考vol.85の
冒頭の文章である。

 この記事は、JOCの役員人事抗争についての批判的考察を行って
いた時のものであったが、今回は私が敬愛する野球選手イチローの今
を思考するために引用した。

 5月3日(日本時間)ヤンキーススタジアムで行われたレイズ対ヤ
ンキースの試合。このところ、先発出場の少ないイチローはベンチか
らのスタートだったが、同点延長11回5-5、2死一、三塁で代打
登場、3-2から141キロのチェンジアップを打ったが二ゴロに倒
れた。期待されたサヨナラ安打はならなかった。

 MLBでもスーパースターであったイチローも、ヤンキース移籍後
2年目の今年は先発が確定されていない。そして出場の場合も8番か
9番。「一番、ライト、イチロー」というステータスは永遠の存在と
思っていたものたちにはどこかしっくりいかないところ、一抹の焦燥
感がある。

 オリンピック都市サラエボの平和が永遠でなかったように、イチロ
ーの定位置も存在しないことをヤンキースは教えてくれた。

 スポーツはただの遊びではない。そこに関わる人格を成長させるた
ための道であると考えている私にとって関心があるのは、イチローで
ある。彼が野球に求めるものは、まさに人間の限界に挑む意識である
からだ。

 そのために努力を怠らない日々を紡いでいるアスリートが、結果を
残せず、起用されずの境遇にどう向き合っているのか?ということを
ずうっと考え続けている。

 そして思い出したのがヤドランカの歌であり、平和だった五輪都市
サラエボが一夜にしてスナイパーの標的となり、戦地と化してしまっ
たその状況の中で、生き抜こうとしていた人々のことだ。1995年
11月私が現地で出会った小さな選手たちは、これまで続けてきたス
ポーツを日々続けることの中で生きることを紡いでいた。いつかきっ
とくるであろう晴天を思いつつ、只管、自らをスポーツに埋めた。

 スナイパーを避け地下室で過ごしながらも、サッカーの練習を続け
ていたサラエボの少年チームたちの流していた汗とイチローの日々が
繋がっていると思えるのだった。

 イチローがあのチャンスをサヨナラ安打にしていれば、メディアも
もちろん地元フアンもイチローへの信頼と期待を増大したことだろう。

 これまでと同じように準備し、努力を続けてきても、周りの状況は
刻一刻と変化し、自分への評価も変化し続ける。最高の状態で臨んで
も結果がいつも良いものとは限らない。

 そういう状態の時、われわれにできることは何か?それをイチロー
の「今」は示している。今回のような場面で期待どおりの結果を残せ
なかったことはイチローにとって決定的な判決である。最後の一球へ
のアプローチにも全力を尽くしていたにもかかわらずの結果である。

 しかし、その結果が突きつける現実を受け止めて明日を迎えること
しか選手にはできない。それは冒頭のサラエボの少女が銃撃の危険の
中、7キロの道のりを毎日通い続けた道のりと一緒である。

 私たち人間にはそのように日々を生きることしかできない。しかし
その日々に懸命であれば、努力があれば、それは祈りとなり、希望と
なるのだ。イチローの結果がでない日々が私に訴え続けるものは真摯
なるメッセージである。

 5月4日未明(日本時間)、ヤンキースは9対3でレイズを破った。
田中将大投手の4勝目をメディアは大きく伝えている。この試合、久
しぶりの先発出場を果たしたイチローは1打点を含む二塁打を二本放
ち、打率は375となった。

                         (敬称略)

2014年5月4日  

                        明日香 羊         
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                                  ────────<・・

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編集好奇
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 人生に浮き沈みがあることは先人の多くが説いていますが、青春
まっさかりには中々理解したくないことかもしれません。
 イチローの佇まいは侘びと寂びを感じさせます。

 皆様のスポーツ思考を期しつつ

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  考?ご期待
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 次号はvol.314です。 
 (1998年からの400号を目指して あと86思考?!)

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コメント

  • 生涯の仕事

    いつもながら熱い思いのこもったスポーツ思考、ありがとう。

    人間がなぜスポーツというものを発明し、スポーツというものに命や生涯を賭けるのか?
    それを貴兄は常に、スポーツキャスター風にではなく、存在論的に問い続けている。
    この姿勢は極めてユニーク。貴兄にしか成し遂げられないのではないかと思えるほどに
    完遂してもらいたい仕事であると思います。
    人間は多分、原始人として獲物を追い続けていた昔は、スポーツなどしなかったでしょう。
    日々の生活そのものがスポーツでしたから。それがいつしか、弓や槍の予行練習とか、
    端境期の鈍った身体を鍛えるための、架空の運動のようなものとして目覚めて来た
    ように思います。
    しかし、歴史で記録されている限りは、やはりギリシア人がこれを明確に、アーティフィシャルな、
    フィクショナルな、しかも全体的な人間存在を賭けたいとなみとして、自覚的に行い始めた
    のだと思います。オリンピアのスタジアムのイメージは、明確にそういう思考法によって設計
    されていると思います。
    特に彼らがユニークであったのは、戦争の休止とオリンピアードを一体のものとして考えた
    ことにあるのではないでしょうか。つまり闘争本能の昇華、その美化、神聖化。ここに彼らが
    創造したスポーツというものの独創性があると思います。
    そしてそれはナチス以来政治やプロパガンダに、そしてロサンゼルス以来経済の問題に
    直面していることがこれからの我々に背負わされた課題ですね。

    イチローについての一文に関しては、スポーツにおける意志(魂)と肉体の問題を改めて
    考えます。即ち「心は熱しているが、肉体が弱いのである」(イエス)。
    我々くらいの年代に入ってくると、この問題は日常茶飯ですが、今まさに衰えや老化への
    過渡期を体験しているアスリートにとっては、これはより切実な問題かと思います。
    多分意志は、最後まで持続するのでしょうが、能などのような枯れの美を含む身体技とは異なり
    スポーツにはやはり勝敗、記録に伴う美の衰えということが伴います。問題は何処までなら、
    その美が維持できるだろうかということではないかと思います。弱さや弱点、敗北が美と写り
    メッセージを残せるのは何処までなのかという。
    そこから引き際の美学と、後世への継承(即ち教育)の問題が芽吹いてくるのだと思います。
    まだ、思考の途中ですが、この未完成の思考を送ります。

    昨日の郵便で第六詩集をお送りしました。長野から出てきた貴兄、世界を旅し思考した貴兄
    なら必ずわかってくれる視点から書いた詩集です。
    その詩集の中から、ちょっとだけ今回の思考に関係しているものを貼り、併せてミケランジェロ
    の未完のピエタを貼ってみます。

    引き続きのスポーツ思考を楽しみに致しております。

    横山 拝



     永遠の相似形
    (2411)

    いつどこで終わっても、
    貝は貝の形として
    完結している

    いつどこで終わっても
    樹は年輪の形として
    完結している

    だから
    汝は汝らしく
    ありさえすればいい

    永遠の相似形で
    あり続けるかぎり…



認証コード3533

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