イスラム国とオリンピズム ~ナショナリズムの超克~

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 イスラム国とオリンピズム

 ~ナショナリズムを超える思想~

 1月20日、イスラム国が身代金2億ドルを72時間以内に支
払わなければ、2人の日本人をを殺害すると警告するビデオ声明
をネット上に公表した。中東を歴訪していた安倍首相がイスラム
国対策として表明した2億ドルの支援に対抗したものと報道され
ている。

 元外交官でインテリジェンスに深く関わった佐藤優によれば、
イスラム国は国家の新しいあり方という。マルクス主義が世界プ
ロレタリア革命を目指し、階級抑圧の道具である国家を否定しつ
つも帝国主義に対応するためにその途上にあるものとしてソビエ
ト国家を必要としたように、イスラム国は世界イスラム革命を達
成する手段としての過渡的な国家であるとしている。

 イスラム教の創始者ムハンマド(我々の時代はモハメットと教
わった)の時代、神の言葉どおりに敬虔な日々を暮らしていたそ
の理想的な社会を実現しようとするのがイスラム原理主義で、そ
の手段として武力を用いてでも達成しようとするのがイスラム過
激派なのである。

 国際法上の国家は当該地域の統治が確立していることと国際法
を守る意思があることが前提となるが、イスラム国にはそれがな
い。国家でない国家に対して交渉をしなければならないという逆
説的状況が今回日本政府が抱えているジレンマである。従来の国
家であろうとすればするほど、イスラム国の思う壷になる。

 今回の事件を見つめながら、オリンピズムの思想との類似性を
思考していた。などと言うと、とんでもないことのように思われ
るかも知れないが、国家主義、ナショナリズムを超えて人と人を
結ぶという所は同様に見える。

 実は、オリンピック運動の思想、すなわちオリンピズムも本来
国家の垣根を乗り越える思想である。その手段として利用するの
は武器ではなく、スポーツであるということだ。そしてその先に
目指すのは世界平和である。

 人類は平和を求めつつ戦争を起こしてきた。それを乗り越えよ
うとしている宗教も武器を持った。平和を求めるために軍事が必
要とされた。経済的な発展はある程度平和社会の実現を夢想させ
たが、現状は厳しい。世界の富は僅か5%の人が持っているとさ
え言われている。

 私はスポーツこそ最後の戦争を超える実効ある希望と見てきた。
近代オリンピックの父とされるピエール・ド・クーベルタンは教
育という視点からオリンピックを捉え、身体を介した教育により
世界を変えようと考えていたが、その思想を最大限に追求すると
スポーツによる世界平和実現となるはずだ。

 1896年の第一回大会からこれまで二度の大戦を経てもこの思想
は継続された。オリンピックはスポーツによる成功体験により日
常を活性化し、政治、経済、宗教、人種の偏見を超え、人と人と
が友でありえることを示し、自己とともに相手を敬い、ルールを
敬うことを「具体的に」顕現する。

 オリンピズムが示す国と地域はオリンピック運動を地域的に統
括する領域として理念的に解釈される。その領域を管理するのが
国内オリンピック委員会である。この解釈によって、現実的な国
家を超克しようとしているのがオリンピズムである。

 国家を前提としつつ国家を超克する仕組みをオリンピズムは有
している。例えば、ソチ五輪後にウクライナへのロシアの軍事介
入が起こったが、プーチンは表向きは否定するに努めた。オリン
ピズムに対して理解していたからである。もし五輪がなければ、
もっと露骨な軍事作戦が展開されていたであろう。

 オリンピックが抱える矛盾は、まさにこの国家を前提としなが
ら国家を否定しなければならないことにある。モスクワ五輪ボイ
コットはその最も近くて大きな事例である。

 翻ってイスラム国の思想を考える。もともとベドゥインという
遊牧民としてアラビア半島を自由に往来していた人々が、欧州列
強のナショナリズムで国境を引かれ、近代国家化をせざるを得な
かった。イスラムの教えで統一された新たな世界を築こうという
のはその境を越えようという考え方である。イスラム国に集まっ
ている人々は様々な国家からやってきているという。国籍が七十
ヵ国以上とも言われている。

 IOCが承認している国内オリンピック委員会(NOC)の数
204には満たないがそれなりの数である。しかし、本質的な違
いがある。IOCは、イスラム国のように領土を必要としないで、
オリンピズムを伝え実行することで繋がっている。イスラム国は
武力を用いてでも地上の楽園を作ろうとしているが、オリンピズ
ムは現状肯定のまま、スポーツによる人と人との敬愛を促し、そ
れによって、世界平和構築を目論む。

 昨年12月にIOCが承認したアジェンダ2020のキーワード
「ステークホルダー」は、オリンピック運動に関わる意思のある
もの全てを含む。これまでIOCに選ばれた特権階級とその一
族のもの、すなわちオリンピックファミリーに限られていたオリ
ンピックの枠組みを開放し、オリンピズムに賛同するものすべて
がステークホルダーとなりえる。こうして、世界中にオリンピズ
ムが普及する。

 前出の佐藤優は、ウクライナ民族運動がカナダのエドモントン
に住むウクライナ人の支援で成り立った例を提示し、今後、遠隔
地ナショナリズムが世界を覆うと言う。そうなると各地で紛争が
絶えない状況が起きても不思議ではない。また一方でイスラム国
に現象するように宗教による同胞地帯が出来てくる可能性もある。
ますます混迷の度が深まる気がする。

 平和のためにはナショナリズムを超克する必要がある。しかし
それを壊す方法で行う限り、戦争は否定できない。国家の存在を
前提にしつつ、その国家自身も平和構築に動かざるを得ない仕組
みが求められる。政治、宗教、経済、人種を超えて人と人とが結
ばれる思想。そのために努力する手段が身体活動であるスポーツ
であるとするオリンピズムを心根において、それぞれの現場でそ
の思想を実現することができれば、平和な世界の実現が可能にな
るのではないか?

 そのためにもオリンピズムに対して、真摯になることが求めら
れている。

                        (敬称略)
2015年1月26日  

                       明日香 羊        

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編集好奇
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    コメント

    • 我田引水

      拝読しました。
      多少、力業の我田引水の感もありますが、
      哲学的思考実験としては、なかなかの大技で痛快です。

      しかし、やはり宗教(と思い込むもの)を以てナショナリズムを超えることと
      スポーツ、芸術、科学、数学、教育などを以てナショナリズムを超えることとは
      慎重に区別されなければならないでしょうね。
      それは、「宗教」と呼ばれるものには、執着、全体主義、独尊主義、共同幻想、
      テロリズムという早まった自己完結が混入する可能性が高いからです。
      これは、敢えてシニカルな表現をすれば、悪魔の餌食になる可能性が高い
      と言い換えることもできるかと思います。

      両者は「ナショナリズムを超える」という観点でくくるよりも、一見そのように見
      えても
      むしろエゴイズムの変形でしかないものと、自我をも国家をも超える真の人間的
      普遍性を表現するものとの二つに、峻別されるべきかと思います。

      真の普遍的宗教性に到達することはつかに難しいことか。かつまたいかにたやすい
      ことか。
      全ての国の町の空き地の子供達のサッカーのように。



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