アンチドーピングは勝利至上主義の副産物 ~過剰なドーピングコントロールはスポーツを滅ぼす~

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アンチドーピングは勝利至上主義の副産物
~過剰なドーピングコントロールはスポーツを滅ぼす~

幼い頃、学校が終わり、自宅に帰り、宿題を済ませ、グランド
に行けば、近所のみんなが集まって三角ベースボールをして
いる。

一塁とに二塁と本塁だけの野球ゲームだ。人数が多ければ
ちゃんとしたベースボールもやる。しかし、ボールはゴムか、
ナイロンのものだった。だからグローブもいらない。バットが
ない時はそこらへんで拾った棒切れで代用した。

それでも楽しかった。打って走って、取って投げて。その中
からあるものはサッカー選手になり、あるものは陸上選手に
なった。しかし、それは誰かから強制されてやっているもので
はなかった。ただ楽しかった。

スポーツはそもそも人間の自己表現であり、自由であることが
根本的に重要である。やりたいからやるのであって、やらなけ
ればならないのでやっている時点でスポーツでなくなる。こ
のことをつい忘れてしまうのが、オリンピックなどナショナリズム
を高揚するスポーツの場合だ。

そこに出場している選手は、例えばフェンシングが好きで始
め、どんどんうまくなって代表になる。本来、日本代表となって、
そこに出ているのは自己実現であり、日本人のためではない。
しかし、代表となって世間の注目が集まれば集まるほど、「皆
様、応援よろしく!」とお願いし、自分のためだけでないスポ
ーツを演じなければならなくなる。

そしてその先にあるのは勝利という結果だけだ。自分だけの
スポーツであれば、その結果は自分だけに帰ってくるが、国
のためになったら、負ければ国に帰れない気持ちにもなる。
どこかで変換が起こっている。

結果だけを求めるスポーツになるとそこから内実がなくなり、
味も臭いもしないものになる。

だから誰も注目もせず、ゴルフを楽しんで世界一という結果
を出してしまった渋野日向子は清々しい。自分の好きなことを
好きにやって結果を出したからだ。これがスポーツである。

三角ベースボールには審判はいなかった。セルフジャッジで
ある。「今のセーフだったよ」と敵が言ったり、「俺アウトだ」って
告白したり。逆に、ファウルなのにヒットだっていうやつも時に
はいたが、しかしそれでもベースボールを楽しむのだった。

サッカーもラグビーも最初はセルフジャッジで始まったそうだ。
守るのはルールだけである。

スポーツの基本は、勝利をめざすが、勝利にこだわならいこと
であるはずだ。なぜならフェアプレーが大前提にあるからで、
フェアでないものはスポーツができないはずだからだ。

そこでドーピングである。オリンピックは草の根スポーツの「延
長戦」である。スポーツを楽しんでいたところから、人類の限界
に挑戦する段階に入ったところで、次のステップに行く。それは、
「延長戦」であり、そこから先はおまけである。そのおまけは、その
人の努力によって人間の頂点を表現する。それによって、人は
努力する喜びと敵を敬うことを知る。それが世界平和への礎を
築く。

その「延長戦」のために薬物を科学的に利用して、勝利を得よ
うとするのがドーピングである。薬物利用せずともアンフェアな
戦術を使うこともドーピングだと日本アンチドーピング機構は言
っているほど、「延長戦」は厳しいものなのだ。

しかし、それはあくまでも草の根スポーツの「延長戦」である。
であればフェアプレーが原則である。勝利以上に大切な根本
原則が大前提である。そこに出ている選手はフェアプレーを
基本とする選手なのである。

「延長戦」の勝利の価値は大きい。そこに至るために払われる
努力はドーピング技術も含まれる。如何にドーピング検査に引
っかからず、如何に人体を害することなく、効果的なドーピング
ができるか?と頑張っている流れもある。それに対して、ドープ
をしないクリーンな選手を守るべく、フェアな結果を得るべく、
アンチドーピングが発達する。ドーピング発見技術と隠蔽技術
の鼬ごっこが続いている。

本質を見極めれば、これはまさ勝利絶対が原理となっている。
正しい勝利を求めるためにアンチドーピングの活動が続けられ
る。アンチドーピングはドーピング反対という意味では正しいが、
勝利を絶対化するという点で、オリンピズムからずれる。そのこ
とに気付いている人は少ない。

果たして本当の勝利というものがあるのだろうか?すべてはそ
の時々の相対的条件下でそれぞれの相対的結果を生み出し
ているに過ぎない。

草の根スポーツの「延長戦」としてオリンピックを捉えるならば、
それはトップアスリートの極上の闘いであり、そこに参加する人
がフェアであることが前提である。ドーピングをして勝利したか
どうかはまさにその個人の問題である。

故に、真のアンチドーピング運動は、選手のオリンピズム教育
以外にないはずである。自らが自らの頂点を求めて闘うことが、
世界平和構築に繋がっているというそのミッションを「延長戦」
に臨む段階で課題とする教育が必要なのである。

(敬称略)

2019年8月9日

明日香 羊
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編集好奇
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「たかがスポーツ、されどスポーツ」を書いた中条一雄さん(元朝日新聞記者)
がブログでドーピング問題に何度か触れられていますが、88年ソウル五輪の
100メートル男子決勝でライバル、カールルイスを破って、9秒79の世界新記
録を樹立したベンジョンソンが後にドーピング検査で筋肉増強剤利用が発覚
し、資格停止になったことを「あれはまさに地球上の鍛えに鍛えられた人類が
演じた、そして現実にテレビで世界中に流されたベン・ジョンソンが「勝負」に
勝った最高傑作のレースでした」としています。(「オリンピックあれこれ」より
https://blog.goo.ne.jp/k-chujo/m/201207/1
MLBではソーサもマグワイアもボンズもホームランで大記録を残していますが、
皆ドーピングユーザーでした。
「たかがドーピング、されどドーピング」という感じです。
画像の説明(時事通信社)

「オリンピックが参加することに意義がある」教育こそ全てを解決する一刀と
私は思います。

春日良一

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考?ご期待
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次号はvol.407です。
(1998年からの)
スポーツ思考
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日刊ゲンダイで連載!
「実践五輪批判~20年東京五輪これでいいのか?~」
第九話は8月2日掲載。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/columns/3625/

NHK大河「いだてん」を思考すると題して始めたブログ
「純粋五輪批判」も、第九話。
https://genkina-atelier.com/gorin/

哲学者カントの純粋理性批判と実践理性批判から拝借
「実践」では実際に五輪がオリンピズムを実現しているのかを批判
「純粋」では大河を触媒にオリンピズムの本当を解説

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