コロナ抑制のために去るべきは尾見会長である 〜偽善の反復〜

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コロナ抑制のために去るべきは尾見会長である
〜偽善の反復〜

バッハIOC(国際オリンピック委員会)会長が
パラリンピックのために再来日したことを
政府のコロナ対策分科会会長の尾見が批判をしたと言う。
恐るべき日和見主義である。

そもそも一年前に然るべき対策を提言していれば現況の
感染拡大で右往左往する日本社会を作ることもなかっただろう。
しかし、世論は尾見の提言を金科玉条の正論として、
何の反省もないまま日々を過ごしてきた。

唯一、具体的な対策として吐露されたのが、
オリンピックの無観客化だ。

冷静に振り返って見れば、彼の提言は、常に「事なかれ」の提言であり、
国民の自粛を求めるだけであった。
国民の不満を解消するため標的にされたのがオリンピックであった。

国民の8割が開催反対という世論調査に対して、
今、何かを言わなければ自らの立場がなくなるとして、
五輪開催1ヶ月前に吐いた言葉が「やるなら無観客で」であった。

五輪をやろうがやるまいが増えたであろう感染拡大の責任を
オリンピックに背負わせる周到なやり方だ。
科学的データが彼の発言から示されたことはなく、
感染拡大を抑えるために必要なのは、自粛と医療体制の完備と
お題目を唱えるだけだ。

7月下旬の「朝まで生テレビ」に出演した際、上昌宏
NPO医療ガバナンス研究所理事長が「尾見さんは権威ある科学誌に
論文を発表したのは一度きりである」と言っていたが、
科学的発言を聞いたことがない理由がはっきりした。

一年前からの彼の言動を振り返れば、世論に迎合してきただけだ。
対策と言えば、自粛を促すだけだった。
今回の感染拡大についても結局は自粛であり、医療体制の完備だ。
誰でも言えることをずうっと言ってきた。
しかし未だに日本の感染医療体制は完成していない。

一年前にワクチンの開発あるいは確保、医療体制の完備に具体的施策を
示していれば、少なくとも今の欧米のレベルにはいただろう。

オリンピック開催国であるという世界への約束を果たすために
真摯にコロナ対策に取り組んできたとすれば、全く違う状況に
なっただろうに。

五輪開催直前には、このような状況で五輪を行うのはあり得ないとした。
彼がその都度、適切な感染対策を助言できていたら
五輪に世界の人々を招く環境ができただろう。
しかし、彼の言い分は、「それを怠ったのは政府であり、自分ではない。
自分は庶民の味方である。
オリンピックはやらない方が感染は広まる可能性が少なくなる」
科学者でなくとも言い得ることだ。

日本の感染拡大に歯止めが効かない状況になると
今度はバッハIOC会長を標的にした。

25日午前、尾見会長は衆院厚労委員会の閉会中審査で
パラリンピック開会式にIOC会長が来日したことについて
「人々にテレワークを要請している。その時に今回またバッハ会長が来る。
バッハ会長のあいさつが必要なら、何でオンラインで、できないのか。
国民にお願いしているのだったら、オリンピックのリーダー・バッハ会長は
何でわざわざ来るのか。もう1回来たから、銀座も1回行ったんでしょう。
専門家の会議、というより一般庶民として、そう思う。
そんなのオンライン会見でできるでしょうと、私は強く思います」と
強い口調で批判した。
本当に庶民レベルの批判しかできないことの証明のような言説である。

なぜ、バッハ会長が来るのか?オリンピックとパラリンピックの
世界的な位置づけが全く分かっていない故の暴言である。
バッハ会長はIOCのミッションを果たすために敢えて再来日したのだ。
自らが感染する危険を犯してまでやってきてくれたのだ。

パラリンピックにとってオリンピックと同レベルの大会になることが目標である。
それは目指すべき共生社会、健常者も障害者も共に生きる社会の実現に結びつく。
パラリンピック開会式でのパーソンズIPC(国際パラリンピック委員会)会長の挨拶が感動的であった。
「地球上で最も変革を起こす力があるスポーツの祭典が始まろうとしている。
日本にレガシーとして障害のある人々に対する新たな認識を残す。
世界全体を変えたいと思う。
パラリンピック競技大会は変革のプラットフォーム。
違いは強みであって弱さではない。
ポストコロナの世界は全ての人に機会が開かれる社会でなければならない。
大会が延期された去年、パラリンピックアスリートの打たれ強さは多くの人に力を与えた。
今こそ世界に皆さんの技、力、強い意志を示すとき。
変化はスポーツから始まる」

バッハ会長がなぜ来日したか?
敢えてここに記しておこう。

パラリンピック東京大会にバッハIOC会長が来日したのは、
一義的にパラリンピックを主催するIPCが
東京大会への招待をしたからである。
IOCはIPCにとって、
最も強力なパートナーシップを結んでいる国際機関である。
このパートナーシップ契約は2000年に締結された。
IOC(私が使えたサマランチ会長時代)が初めて障害者スポーツへの
積極的な関わりを決心した時。
翌年、2001年には一立候補一都市を締結し、この時から、
オリンピックを開催する都市は必ずパラリンピックを開催する都市となった。
2018年平昌パラリンピックの時に、バッハIOC会長とパーソンズIPC
会長との間で、パートナーシップ契約が2032年まで更新された。
その中でIPC会長はIOC委員となり、IPCからIOC諸委員会へ代表が派遣される
ようになった。

まさにIOCとIPCは強固なパートナーであり、もはや一体になろうとしているのだ。
IPCにとってIOC会長はVIP中のVIPとなる。
IOCが獲得するスポンサーシップはIPCのスポンサーになる。
IOCは財政的サポート、運営的サポート、人材サポートなど多方面での協力を
IPCに提供している。

パラリンピックの主催はIPCだが、IOCの存在は主催者同様に重要。
そのIOCのトップリーダーであるIOC会長をパラリンピックに招待するのは
IPCにとって当然すぎるくらい当然の儀礼である。
パラリンピックの価値を世界に知らせるためにもIOC会長の臨在は欠かせなかった。

IOC会長がパラリンピックを視察し、大会を激励することが、
オリンピックとパラリンピックの将来に大きな意味を持つからである。

障害者スポーツの最大の祭典が、オリンピックと一つになるためだ。

それは究極的にオリンピック理念の世界平和を実現するためである。
その平和には障害者との共生が大前提である。
パラリンピックのパラは「平行」という意味を持つ。
オリンピックと平行である。
まさに目指すべき共生社会の実現のために、
両者が協力していくことが最重要なのだ。

その意味でバッハ会長の来日は必要不可欠のものであった。
また尾見会長にとっても必要不可欠のものであった。
それによって尾見は庶民の味方を演じて、
自らの感染対策の無能ぶりを隠すことができた。

バッハ会長来日を反対する暇があったら、感染対策に必死になってもらいたい。

とは言え、橋下徹よりもましかも知れない。
彼はオリンピックにもバッハは来るべきでないと言っていた。
オリンピックの主催者が誰なのか分かっていっているのだろうか?
主催者本人がいないで開催されるイベントがあるのか?
大阪国体を開く時に体協(日本スポーツ協会)会長よ来るなと言えるのか?

コロナ対策の失敗の責任は政府にあるだろうが、
しかし、その諮問機関であるコロナ対策分科会の意見に人々が
傾聴するのは当然だ。
ある時は政府依り、ある時は世論依り、
自分の地位を守るためであれば、何でもする。
感染が治ろうが治るまいが、自分の地位が大切だ。
それが尾見会長の原動力と見る。

五輪の使命を果たすために唾を吐きかけられようが、
石を投げられようがトーマス・バッハはやってきた。
批判には何の反論もしない。
アスリートのためであれば、
直向きに自らの使命をやり遂げる。
行いのみが真実になることを彼は知っている。

後世にとってどちらが正しい人であるだろうか?

(敬称略)

2021年8月27日

明日香 羊

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編集好奇
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日刊ゲンダイでの連載が今日で終わりました。
全100回。
ご愛読ありがとうございました。

見ず知らずの方から、「お疲れ様でした。オリンピック
ありがとうございました」と言われた。

有難い言葉だった。

春日良一

【Forbes Japan】
いま改めて考える「聖火リレー」の意味と歴史
https://forbesjapan.com/articles/detail/39557

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考?ご期待
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次号はvol.437です。

スポーツ思考
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「実践五輪批判〜20年東京五輪これでいいのか?〜」
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「純粋五輪批判」
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哲学者カントの純粋理性批判と実践理性批判から拝借
「実践」では実際に五輪がオリンピズムを実現しているのかを批判
「純粋」では大河を触媒にオリンピズムの本当を解説

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