オリンピックデーの意味 ~オリンピズムなき五輪相就任~

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オリンピックデーの意味
 ~オリンピズムなき五輪相就任~


 私事であるが先週6月22日に誕生日を迎えた。その翌日、6月
23日に誕生を迎えたものがある。ほとんどの読者はお分かりだろ
う。オリンピックである。1894年6月23日、パリはソルボン
ヌ大学でピエール・ド・クーベルタン男爵を中心に古代オリンピッ
クを復興させようと国際オリンピック委員会(IOC)が誕生した。

 この日をオリンピックデーと名づけ、オリンピック運動に関わる
人々の大切な日と定めた。以来、現在に至るまで毎年この日をIOC
初め、オリンピック運動に関わると自己認識するものは、祝い、そ
の意味、すなわちオリンピズムの思想を反復しなければならない。

 今年IOCはスポーツ振興をテーマにかかげ、フィギュアスケート
金メダリストの羽生結弦選手もボクシングのグローブをつけてパン
チ「あなたに必要なのはあなただけ。何か新しいことにトライしよ
う」と英語で呼びかけた。この映像をIOC公式サイトで公開した。
「年齢や能力に関係なく、臆病にならずにもっとスポーツを楽しも
う」というテーマで、世界の若手トップアスリートが専門以外の競
技にチャンレンジしている。
 さて、日本のメディアでこのオリンピックデーのことを取り上げ
たものがあっただろうか?

 オリンピックは単なる総合競技大会ではない。その信条は「スポ
ーツによる世界平和構築」以外の何ものでもない。だからオリンピ
ックデーにそのことを想起し、未来に向かって伝える決心をしなけ
ればならない。

 スポーツで世界平和など夢空言という世間の風潮に長い歴史の中
で、IOCも年々の妥協をしてきた事実も見逃すわけにはいかない。
1983年版までは憲章で明らかにスポーツで平和な世界を作ることを
表明していたが、改正ごとに現実と折り合いをつけようとして、「
スポーツを通じてより平和な社会の建設に貢献する」とトーンを落
とした。現行規定では「平和でよりよい社会の建設に貢献する」と
している。

 しかし、今春、国連でIOC会長が「スポーツが世界の変革にさら
に大きな役割を果たす時が来た」と語り、国連事務総長の潘基文、
国連総会議長のサム・カハンバ・クテサからも支持を表明させた。
この動きは明らかにスポーツでしか世界平和構築に至らないぞ!と
いう思想を復興させようというる動きと見る。バッハ新会長の心意
気と手腕は評価されるべきだろう。

 であればこそ、五輪改革実施綱領「アジェンダ2020」に記さ
れた2020年に五輪を迎える東京こそ、このもっとも原初的な理念、
「スポーツで平和を!」を訴え、実現する気概と戦略を持たなけれ
ばならない。そうでなければIOCと対等に渡り合う基盤がない。

 その東京がオリンピックデーに何をしたか?ご存知の方は教えて
いただきたい。

 6月25日に五輪相に就任した遠藤は第一声で「金メダル量産」を
掲げた。もちろん大会成功には主催国の競技力向上がポイントにな
るが、それが全てではIOCの未来に求めているものと合致しない。
残念ながら、五輪相就任の哲学にオリンピズムが見えない。「国立
競技場を2019年ラグビーW杯前に作る」と言われれば、ラグビーW
杯相かと思えてしまう。確かにW杯の端的なゴールはW杯獲得しか
ない。

 多くのスポーツ関係者も忘却の彼方においてきたかもしれないが、
そういう指導者のもとでは、いつモスクワボイコットが起こっても
仕方がないという逆説を肝に銘ずるべきである。

 オリンピックは世界平和のためであって、国家発揚のためではな
いのである。そのことを常に唱え続けなければならない国内五輪委
員会が沈黙を決め込んでいるのあれば、誰かが正していく以外にな
いだろう。

 オリンピックデー前日に誕生日を迎えた私はそう決心している。

                        (敬称略)

2015年6月28日  

                       明日香 羊        
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                                 ────────<・・

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編集好奇
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 毎年オリンピックデーについては口が酸っぱくなりました。
 折りしもその二日後にラグビーW杯に向けて五輪相就任。
 次はスポーツ庁長官に期待か。

 皆様のスポーツ思考も期待します。

 今後のスポーツ思考のテーマ、FIFA会長戦、五輪追加
競技、国立競技場問題等を予定しております。

                         春日良一

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  考?ご期待
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 次号はvol.337です。 
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コメント

  • 原点のギリシアは遠い

    純粋なオリンピズム、オリンピックの生まれた根源の哲学には、
    この国を初めとして世界の国々もなかなか本当には到達できない
    という憂いはありますね。

    だいたいは国威発揚と商業主義に墜してしまう。
    つまりオリンピック以前のままなんですね。

    古代ギリシア人が発明発見したものは多い。
    哲学。ヌードを中核とする美術。デモクラシィ。悲劇。法律。
    (イオニアの)科学、幾何学。しかし、人間の存在、その本質を
    丸裸にしつつその中の理(ロゴス)に迫ろうとする彼らの偉大な
    創造精神の中で、その最大最上のものはオリンピックだと言っていいほど、
    オリンピックは偉大な創造です。
    なぜなら、それは闘争を競技に変える。つまり、ルール無き戦闘を
    ルールに基づく戦闘に変える。不毛不条理な「現実」を創造的・人間的な
    「虚構」に変える。バトルをゲームに変える。戦争や殺戮、狩猟を
    スポーツに変える。つまり、動物的本能を(昇華された)人間的理性
    に変える。極言すれば戦争を平和に変える。
    こういう機能をもっているからです。

    ギリシア人が、(神の喜びのために)戦争を中止してまでオリンピアードを
    設けたということ。それは、無意識のうちに、人間の究極の喜びを
    人間の知恵で作り出そうとする営為に満ちていたと思います。

    しかし、この原点にまで戻るのはなかなか難しい。例えば日本人が
    未だにデモクラシィの何たるか、話し合いの何たるかを見出せない
    (開国から160年、戦後から70年経っても)というのとよく似ています。

    せめて体育の日の他にもう一つオリンピックデーを設けるとか、
    あるいはこの二つを一つに融合してスポーツの日とし、そこでオリンピック
    の意義を顕彰する、教育するというような思考方法を、この国は容易に
    取ることはできないでしょうね。
    何せ「体育」「スポーツ」「オリンピック」が別々のものですから。
    それらを統一的に、人間という中心において思考できるような脳を
    もっていませんから。
    嘉納治五郎や東京オリンピックの頃は、もっと筋が通った民族だった
    ように思うんですがね。

    横山翁



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