岡野俊一郎を偲ぶ ~古き佳き日本オリンピック委員会~

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岡野俊一郎を偲ぶ
~古き佳き日本オリンピック委員会~

2月3日、岡野俊一郎逝去の報が国際オリンピック委員会(IOC)
から来た。後悔した。IOC名誉委員岡野俊一郎死す。昨年末
IOCの旧友が訪日した際、岡野はどうしている?と話題になっ
た。病気を抱えていることを気にかけていた私は、近いうちに訪
ねたいと思った。オリンピックへの長年の思いを語り合う時が来
ていると感じていたからである。

しかし、時既に遅し。岡野は逝ってしまった。

私の人生を語る時、岡野俊一郎の存在は欠くことができない。私
の人生に影響を与えた人物10名を選ぶとしたら、その一人が岡
野俊一郎である。

1968年のメキシコ五輪で日本サッカー代表が銅メダルを獲得
して、日本にサッカーブームが到来する。当時中学一年生だった
私は前年から興味を持ったサッカーのクラブを作り、毎日ボール
を蹴る日々を始めていた。山村の中学校にはまだサッカー人気の
波は届かず、運動部としてのサッカー部がなかった。一念発起、
世界のスポーツ、サッカーをこの中学にも建てねばならぬと演説
をし、町内で署名運動を実行した。その署名を持って、校長先生
に直談判、1969年、我が母校にサッカー部が誕生した。

コーチなきサッカー部の指導者となったのは「サッカー教室」と
いう本。岡野俊一郎の著作であった。その理路整然とした手引き
を手本に私のサッカー修行が始まった。岡野俊一郎は私の理想像
となった。文武両道。東大哲学科と日本サッカー代表の両立。勉
強も運動もトップ!それが私の目標となった。

サッカーで飯を食って、哲学を極める!という野望は、一旦潰え
たが、上智大学哲学科を卒業して、財団法人日本体育協会に入社
した時に、別の形で実現する。そこに岡野俊一郎との出会いがあ
ったのだ。

1978年当時の体協は、若手の有能な理事が参集し始めていた。
バレーボールの松平康隆、レスリングの笹原正三、水泳の古橋廣
之進、アイスホッケーの堤義明、そしてサッカーの岡野俊一郎が
いた。私が入社して直ぐの会議の時、上司が岡野に私を紹介して
くれた。「岡野さんにあこがれて体協に入った男です」

今でも忘れられない思い出がある。1982年、国際オリンピッ
ク委員会(IOC)会長サマランチが初の来日をした。アテンド
の任にあった私は、当時、日本オリンピック委員会(JOC)総
務主事を務めていた岡野が自宅でサマランチ会長を夕食でもてな
す席に同行した。その席はとてもアットホームであった。岡野は
手巻き寿司でサマランチとその令嬢をもてなした。ダイニングテ
ーブルには岡野夫妻とサマランチ、その令嬢、IOCの秘書、そ
して私の6人だけ、和やかに手巻きを楽しんだ。突然、岡野夫人
が「カイワレ大根って英語でなんていうのかしら?」と聞いてき
た。私の辞書にない言葉だった。岡野は「大根の種?」そしたら
サマランが「アルファルファじゃない?」と。大笑い。

今思えばこれがきっかだったのだろうか。サマランチ会長との関
係はその後も円滑だった。

JOC総務主事時代の岡野は、JOC委員長だった柴田勝治を支
え続けた。「役員は二年で変わる。スポーツ交流の知識、経験、
そして財産は事務局にこそ残さなければならない」これが、岡野
の口癖だった。事務局員が世界のスポーツ界に出ていくことを望
んでいた。

私が1986年国内オリンピック委員会連合(ANOC)に事務局と
して初めて日本代表の一員で出席したのも、岡野の尽力であった。
以降、それまで岡野が一人で仕切っていたIOC関係の仕事も事
務局主体で対応する組織となっていった。

そんな岡野の心の棘は、「モスクワ五輪ボイコット」であり、政
治に負けないJOCを作るための日本体育協会からの独立運動は
その棘を抜くための手段でもあった。それは先の若手理事の秘密
会議で進められ、1989年に財団法人日本オリンピック委員会
の独立に結びつく。

翌年のIOC東京総会において岡野はIOC委員に推挙され、以
降IOC委員としての活動を中心に行うことになる。IOC委員
になるための活動はこの東京総会が極みで、総会運営の中心であ
った私に岡野は「君の言うとおりに動くから何でも言ってくれ」
とまで言った。私に岡野への恩返しのチャンスが来ていた。岡野
のIOC委員就任にはそれを邪魔する勢力もあったからだ。私は
その勢力の動向も逐次抑えていたので、岡野IOC委員実現に微
力ながら貢献することができたのだった。

ほんの数回だが、岡野が行きつけの銀座のクラブに誘ってくれる
時があった。その道の通であれば誰もが知っている老舗クラブに
岡野は小石川高校時代から「学割」で通っていたそうだ。その頃
からの岡野を知っているママは、「俊ちゃん」と言って、岡野の
やんちゃぶりを話してくれた。そのクラブで電通を含む大企業の
トップと知り会いその人脈が後のJOCマーケティングにも繋が
っていたのである。

私がJOCの体制と闘うことになった時にも銀座で親身に話を聞
いてくれた。

最後の電話は、今から数年前だろうか?岡野が執筆中のある大手
新聞社の連載コラムの事実確認のために掛けてきた。突然だった。
「君覚えているかわからんけども、サマランチさんが日本来た時、
一緒に歌舞伎座行ったと思うんだけど、間違ってないかな?」

覚えていないはずなんてないですよ。岡野さん。私にとっての国
際での初仕事、しかもサマランチ会長をアテンドして、私にとっ
ても初めての歌舞伎を見たんですから。「はい。覚えています。
あれは歌舞伎座ではなく、新橋演舞場でした。ちょうど新装して
こけら落としの時でした」

話は長沼健サッカー協会元会長(メキシコ五輪日本サッカー代表
監督)の逝去の話となり、平木隆三(メキシコ五輪日本サッカー
代表コーチ)が病床にある話に及んだ。メキシコ五輪日本サッカ
ー代表の三羽烏の二人が晩年、サッカー協会から大切にされてな
かったことを嘆いていた。

ことほど左様に、JOCもその独立当初の初心を忘れているので
はないか?それはスポーツのスポーツによるスポーツのための政
治がオリンピック運動であり、それの追及がJOCの使命である
ことだ。

岡野は自らが日本サッカー協会会長となった時に報酬のオファー
があったが断った。それは、「スポーツ界の役員はボランティア
でやっているから、フェアに組織運営に関われるのだ」という岡
野の信念に基づくものであった。1998年のサッカー協会は組
織も財力もJOCを凌駕する組織になっていたが、岡野は報酬の
提供を固辞した。

オリンピズムに基づき、組織を運営する利害にとらわれない自由
な役員とその理念を支えるために自らを捨てて労力を惜しまない
プロフェッショナルな職員が醸し出すバランスこそ、理想のJOC
を構成する要素なのではないか?

岡野俊一郎が望んでいたJOCは何処へ。

(敬称略)

2017年2月5日

明日香 羊
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編集好奇
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岡野俊一郎の死は私にとって突然でした。
かつて朴世直IOC委員が若くして逝った日、
岡野の名前で弔電を打った。
「名文だったね」とめずらしくほめてくれた。
しかし、今、岡野への言葉は無である。

春日良一

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考?ご期待
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次号はvol.366です。
(1998年からの400号を目指して あと35思考?!)

スポーツ思考
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