第八話 田畑政治

NHK大河「いだてん」は第二十六回が7月7日の七夕の日に放送された。「たなばた」だからではないが、今回は第二部の主人公「た(な)ばた」政治について論じる。この回の主役はスーパーウーマン人見絹枝だが、あえて。

私が体協職員だった頃の田畑政治は副会長だった。もう老齢の域に達していたので、阿部サダヲ演じる若かりし田畑政治のビビッドなイメージは湧かない。1984年のロス五輪の頃は車いすで体協に来られていた気がする。事務局では田畑「まさじ」とは言わず「せいじ」って言っていた。(もちろん本人のいないところでです)業界用語ではないのだが、役員の名前を正確に発音するのは稀だった。例えば八千代松陰創設者の大物、山口久太も当時副会長だったが、ずううと「きゅうた」だと思っていたが、本当は「ひさた」だった。

いずれにしろ、ペイペイの私にとっては雲の上の存在であった。その田畑が若かりし頃、1964年の東京五輪招致に精力的に関わり、成功して組織委員会事務総長であったことにも全く関心がなかった。自叙伝で組織委員会事務総長を辞する下りがあり、政治と真っ向から立ち向かった在り方を知り、まさに体協の鏡だったのだと思った次第。

大河の田畑政治は嘉納治五郎を批判しつつ、その裏返しのような存在に描かれている。「参加することに意義がある?意義なんてないよ!それは明治だよ。今は昭和!」と言ったセリフで言い表されるのは競技力向上というベクトルである。確かに金栗四三がマラソンの世界記録を作ったと言っても、オリンピック三回出場で残した記録はヘルシンキでの16位が最高位であった。しかし、金栗はその後のパリ大会にも参加し、オリンピックへの絆を継続していたわけでその意味ではまさに「参加することに意義がある」人であった。

そこから結果を出していく次元まで行くには、スポーツを取り巻く環境が整備されていく必要があるが、そのためにも金栗四三に代表される参加する意志が重要であり、それによってオリンピック自身の認知が国内的にも高まり、それによってスポーツへの見方も変わってくるのだ。

大河の田畑に「政治家はスポーツを利用すればいい。金も出して、口も出せばいい」と言わせるのは、行き過ぎかと思えるかもしれない。なぜなら彼こそは政府の言いなりには絶対にならない体協を主張していたからである。「体協が官僚化し、純民間団体としての自主性を失ったら――――自滅です」(1971年体協副会長就任挨拶から)しかし、若き田畑が政治家とやりあってオリンピックに価値がある、スポーツ振興に意味があると説得するには、必要な言葉であったかもしれない。

実際に田畑政治が水連専務理事になるには1929年のことで、アムステルダム五輪で鶴田義行が平泳ぎ200Mで金メダルを取る一年後になる。1930年に体協専務理事となり1932年ロス五輪に向けてますますオリンピックにのめり込むことになる。

朝日新聞政治部の記者というファンクションからか、政治家にも対等に渡り合うのが信条。体協役員となってもその姿勢を変えなかった。大河ではクライマックスになるであろう1964年東京五輪招致まではまだ長い道のりがあるが、一貫して田畑にはスポーツを愛する者がスポーツを運営するという基本があった。

彼にとってまさにスポーツは政治であり、政治はスポーツであったのかもしれない。「せいじ」と呼ぶのが相応しい人であったのだ。

純粋五輪批判第八話了

春日良一