第十話 前畑秀子

「がんばれ!前畑」で有名な前畑秀子は本当に努力家だった。彼女の自伝は涙なしでは読めない。昭和初期の日本の貧しさを代表するような家庭にあって、泳ぐことを諦めなかった日本女子の凄さがある。大河は第31回となり、1932年の第10回オリンピアード、ロサンゼルス大会での日本水泳の活躍ぶりが描かれる。日系人の大声援の中で18歳の前畑は見事にオリンピックレコード、世界新記録で銀メダルを獲得する。男子チームの全種目金メダルの期待とは裏腹に女子チームへの期待はそれほどなかった中で、前畑もなんとか6位に入賞しようという気持ちでスタート台に立っていた。

この気持ちが奏功したメダル獲得だったと思う。それから52年後に同じスタート台に同じ種目で立つ長崎宏子は、16歳で日本水泳界の全期待を背負い、調子の出ない不安を抱えながらスタート台に立った。その違いは、ゴール前25メートルの力泳に現れる。前畑はただひたすら泳ぎ、自分のことしか考えていない。しかし、長崎はターンするたびに自分のポジションを感じ、そして、武器であった最後25メートルのダッシュを、隣を泳ぐ選手のスパートに合わせて5メートル早めてしまう。その結果、最後の5メートルでは手足に全く力が入らなかったというのだ。思えば、12歳で日本代表になった長崎宏子がその年でオリンピックに出ていたら、前畑と同じように一生懸命だけで泳いでメダルをそれも一番いい色のメダルを得ていたかもしれない。モスクワボイコットが悔やまれる。

長崎宏子は前畑秀子の再来のように日本水泳界の期待を担ったが、時代も環境も大きく違い、期待するようにはならなかった。そこにスポーツの悲哀を見る。

国民の期待という実体なき空気が選手に及ぼすものは余りにも大きい。ロサンゼルス五輪の銀メダルで有終の美と思っていた前畑はその後ベルリン五輪への挑戦をすることになる。国民の期待という空気が前畑の引退を許さなかった。その五輪で前畑にかかったプレッシャーはひょっとするとロサンゼルスの時の長崎宏子へのそれと同じほどのものだったかもしれない。

その空気に対して、オリンピズムは選手に問う。「君の使命は何か?」と。答えは平和構築の戦士であり、そのためには「より速く」を求めて全力を尽くすことしかない。その時、空気は水に変わるのだ。

それにしても第30回は感動のドラマだった!これで視聴率が低いと言うのなら、視聴者が悪いとしかいいようもない。日本選手団の活躍は日系人に誇りを取り戻させた。

南部忠平(陸上競技三段跳) 宮崎康二(競泳男子100m自由形) 北村久寿雄(競泳男子1500m自由形) 清川正二(競泳男子100m背泳ぎ) 鶴田義行(競泳男子200m平泳ぎ) 宮崎康二・遊佐正憲・ 横山隆志・豊田久吉(競泳800mリレー) 西竹一(馬術大障害)

7個の金メダルである。特に水泳は全部で12のメダルを獲得するという大活躍ぶりであった。その様子を宮藤官九郎は選手団が帰国に向かうバスを止める日系の老人の言葉で見事に示した。「あなたたちのおかげで白人が私たちを認めてくれた。日本人を認めてくれた」そしてバスを取り巻く日系人たちが一斉に声を上げる。「私は日本人だ!」と。

オリンピズムはナショナリズムを超越しなければならない。しかし、健全なパトリオティズムは肯定する。自己肯定の中から生まれる熱狂を歓迎する。

犬養毅暗殺事件以来、暗い日本を明るくする。そのために全種目で金メダルを取る!を目標にした田畑政治は、図らずも水泳ニッポンの活躍によって、日系人にニッポンの元気を回復させたのである。

誠にスポーツは世界を変える力があるのである。それは国を超えた力ではないだろうか?

次回第32回に前畑のベルリンへのスタートが描かれるはずだ。

そしてナショナリズムとオリンピズムの闘いは熾烈になる。

純粋五輪批判第十話了

春日良一

第九話 人見絹枝

私が初めて人見絹枝という名前を聞いたのは父からだった。下宿屋を営んでいた我が家では、夕食後に下宿人の小中高の先生たちや高校生のお兄さんが集まりお茶を飲みながら父の話を聞く時間があった。海軍航空隊の少年兵として戦争を体験し、戦後、浮浪児のために児童福祉士となった父親の体験談は面白可笑しく盛り上がった。陸上100メートルの県記録を持っていた父はスポーツ好きでもあり、戦前戦後のスポーツ人の話にも花が咲いた。

しかし、NHK大河「いだてん」が人見絹代を取り上げて、初めて私は人見絹枝に出会った。人見絹枝がアムステルダムの第九回オリンピック競技大会で銀メダリストとなったのは、1928年である。父が4歳の時だ。父は一つ年上の長男が小学一年生で運動会のかけっこに登場すると長靴をはいたまま一緒に走ってしまったという。小学五年の時、六年の兄とリレーのアンカーとなり、兄を抜かして一等となった。喜び勇んで帰宅すると大祖母に拳骨を食らい室(むろ)に入れられたという。走るのが大好きな父にとって、人見絹枝はスーパースターだったのだろう。

番組では第26回で人見のアムステルダム五輪、陸上800M女子で見事に銀メダルを獲得する人見に焦点を当てるが、それまでの回で、岡山女学校時代のテニスでの活躍やその後二階堂体育塾時代の文武両道ぶりを端的に描いてみせている。

身長170㎝と当時としてはかなりの長身の人見が「化け物」「大女」と呼ばれて、運動でも男勝りの活躍をすると、それを揶揄する人々がいて、学問にも秀で文学に関心が高かった彼女が、陸上を続けることを悩むシーンが取り上げられ、女子スポーツの社会的な認知との闘いが流れの軸とされていた。

実際は人見はかなり前向きで明るいアスリート気質であったと思われ、彼女の前向きな取り組みが必ずしも悲劇的なものであったとは思えない。しかし、一方で国民の期待に応えようとするプレッシャーは相当なものであった。大会前に三段跳びで世界新記録まで出している人見への期待は大きかったが、必勝と思われた100メートルが準決敗退となり、未経験の800メートルに挑戦しようとする人見に「女子選手全員の希望が、夢が、私のせいで立たれてします!お願いです。やらせてください!」と懇願させている。

人見絹枝を演じたのは菅原小春。人見のアスリート気質とは違うものを感じていいたが、彼女の本職がダンサーであることを知り、納得。アスリート気質よりも初挑戦の世界にかける切羽詰まった感じが人見絹枝が背負っていたものをひしひしと感じさせた。

国の期待のプレッシャーと女子スポーツ認知への闘争が背景に描かれている。人見の背負っていたものがそこまで大きかったとは思ったことがなかったが、24歳の若さで早世したことを思うと彼女の内心に刻まれていた使命というのは相当に重いものであったと思う。

実際、国の期待を背負うということがどれだけ凄まじい重荷であるのか、また女子スポーツ認知という大義がどれだけの負担であったか、その状態を背負った人にしか分からない世界である。

「人見絹代、すごい選手がいたんだ!」幼い私に刻まれた父の言葉の意味がやっと分かった。

純粋五輪批判第九話了

春日良一

第八話 田畑政治

NHK大河「いだてん」は第二十六回が7月7日の七夕の日に放送された。「たなばた」だからではないが、今回は第二部の主人公「た(な)ばた」政治について論じる。この回の主役はスーパーウーマン人見絹枝だが、あえて。

私が体協職員だった頃の田畑政治は副会長だった。もう老齢の域に達していたので、阿部サダヲ演じる若かりし田畑政治のビビッドなイメージは湧かない。1984年のロス五輪の頃は車いすで体協に来られていた気がする。事務局では田畑「まさじ」とは言わず「せいじ」って言っていた。(もちろん本人のいないところでです)業界用語ではないのだが、役員の名前を正確に発音するのは稀だった。例えば八千代松陰創設者の大物、山口久太も当時副会長だったが、ずううと「きゅうた」だと思っていたが、本当は「ひさた」だった。

いずれにしろ、ペイペイの私にとっては雲の上の存在であった。その田畑が若かりし頃、1964年の東京五輪招致に精力的に関わり、成功して組織委員会事務総長であったことにも全く関心がなかった。自叙伝で組織委員会事務総長を辞する下りがあり、政治と真っ向から立ち向かった在り方を知り、まさに体協の鏡だったのだと思った次第。

大河の田畑政治は嘉納治五郎を批判しつつ、その裏返しのような存在に描かれている。「参加することに意義がある?意義なんてないよ!それは明治だよ。今は昭和!」と言ったセリフで言い表されるのは競技力向上というベクトルである。確かに金栗四三がマラソンの世界記録を作ったと言っても、オリンピック三回出場で残した記録はヘルシンキでの16位が最高位であった。しかし、金栗はその後のパリ大会にも参加し、オリンピックへの絆を継続していたわけでその意味ではまさに「参加することに意義がある」人であった。

そこから結果を出していく次元まで行くには、スポーツを取り巻く環境が整備されていく必要があるが、そのためにも金栗四三に代表される参加する意志が重要であり、それによってオリンピック自身の認知が国内的にも高まり、それによってスポーツへの見方も変わってくるのだ。

大河の田畑に「政治家はスポーツを利用すればいい。金も出して、口も出せばいい」と言わせるのは、行き過ぎかと思えるかもしれない。なぜなら彼こそは政府の言いなりには絶対にならない体協を主張していたからである。「体協が官僚化し、純民間団体としての自主性を失ったら――――自滅です」(1971年体協副会長就任挨拶から)しかし、若き田畑が政治家とやりあってオリンピックに価値がある、スポーツ振興に意味があると説得するには、必要な言葉であったかもしれない。

実際に田畑政治が水連専務理事になるには1929年のことで、アムステルダム五輪で鶴田義行が平泳ぎ200Mで金メダルを取る一年後になる。1930年に体協専務理事となり1932年ロス五輪に向けてますますオリンピックにのめり込むことになる。

朝日新聞政治部の記者というファンクションからか、政治家にも対等に渡り合うのが信条。体協役員となってもその姿勢を変えなかった。大河ではクライマックスになるであろう1964年東京五輪招致まではまだ長い道のりがあるが、一貫して田畑にはスポーツを愛する者がスポーツを運営するという基本があった。

彼にとってまさにスポーツは政治であり、政治はスポーツであったのかもしれない。「せいじ」と呼ぶのが相応しい人であったのだ。

純粋五輪批判第八話了

春日良一

第七話 JOCの存在意義

NHK大河ドラマ「いだてん~オリムピック噺~」は第二部に入ってしまった。主人公は金栗四三から田畑政治に移った。一話一話批判していこうと思っていたが、大河の流れの速さについていけない。さすがに金栗はマラソン世界記録樹立者だ。などと言い訳にもならないが、それぞれの話に五輪運動の胆が散りばめられており、それをどこで批判しようかと喘いでいたのが正直なところ。既に第25回となったからには、最も大事な論点であるところの、体協とは何か?について論じたい。

宮藤官九郎が凄いと思うのは、一貫してスポーツが政治に対して戦うファイティングスピリットを軸にしているところだ。役所の治五郎は強烈に、戦禍に喘ぎ、被災に喘いでいる時こそ「スポーツは力になる」と言い切る。その姿勢は、本来オリンピックが求めている者であり、クーベルタンの思想を後押しするものだ。

一方で、スポーツが普及しその存在意義が増してくると、それぞれの競技が自らの団体を結成してくる。そもそも嘉納はクーベルタンの呼びかけに応じ第5回オリンピック競技大会(ストックホルム)に日本の参加を決心するが、そのためにはその選手団を派遣する母体である国内オリンピック委員会(NOC)の存在がなければならない。五輪運動では政治から支配されないNOCが選手を選び、選手を派遣する唯一の権威である。このNOCを作るために嘉納は大日本体育協会を創ったのである。つまり体協とJOCは本質的に同一の組織だということである。

最近、メディアがスポーツ界の不祥事を取り上げて、それを放置しているJOCの存在意義を問うているが、その姿勢こそオリンピズムから見れば批判されるべき対象である。なぜなら、JOCの存在意義は五輪運動普及の意義であり、オリンピック競技大会に参加できる唯一の権威であるからだ。この存在の意義を問うということは五輪自身の存在意義を問うことであり、平和な世界の構築への疑問を丸投げしているに過ぎないことになる。

一方で、それぞれの競技の統括団体に自律を求めるのもオリンピック運動の重要な構造である。それぞれの競技についてNOC領域内で責任を持つ団体があって、初めてスポーツの自律が成立する。

大河第25回では日本水泳連盟を田畑政治が作り、日本陸上競技連盟の向こうを張るという展開を描くが、実際には、嘉納が大日本体育協会を創設した直後から「我こそは日本のスポーツを統括する団体である!」「我こそはオリンピックに参加するものである!」と名乗る多くの組織や個人が現れた。スポーツ界はある意味カオス状態にあった。しかし、国際オリンピック委員会(IOC)が承認したNOCのみがオリンピックに参加する資格を有するのであり、それは大日本体育協会=JOCでしかなかった。招待状がドラマでは水連に届いているが、それが届くのはJOCでしかない。

ではJOCとは何か?それはまさに「スポーツで世界に平和をもたらす」とするオリンピズムを信じ、オリンピック競技大会において人類の頂点を目指すために平和でクリーンな戦いを繰り広げるアスリートを育て参加させるために不断の努力をする権威である。

故に、JOCの存在意義を問い、日本スポーツ協会に統合して、その頂点を政治家の天下り先にし、日本のスポーツを支配し、甘い汁を吸おうとする現在行われている企みに対抗できるのは、ひたすらオリンピズムへの信仰とそれを本気で実践するJOCでしかない。

そのことがスポーツ自身に自らの自己実現の道を見出し、その鍛錬と努力の果てに世界の頂点に辿り着く金栗四三のようなアスリートを守る唯一の方法であることを、役所の嘉納治五郎は強烈に演じ切っているのだ。関東大震災直後にパリオリンピック選手団派遣を表明する嘉納の「こんな時だからこそスポーツの力が必要なんだよ!」は、1995年戦火のサラエボに赴き「サラエボっ子スポーツフェスト」を慣行しようとした私のオリンピズムと同じものだ。

第25回の終わりに、高橋是清(大蔵大臣)が登場した。今はなきショーケンの演ずる是清は相当な迫力であった。パリ五輪日本代表選手団のための補助金を田畑政治が直談判するシーンで次回は始まるだろう。宮藤官九郎は田畑に正に政治的役割を演じさせるつもりと見る。嘉納治五郎の純粋五輪運動に対して、政治を巻き込んでいく実践五輪運動への展開が楽しみでもある。もちろん批判的に凝視するが。

いずれにしろ、JOCが堂々と自らの権威を主張するためにも、「いだてん」は快走し続けなければならない。

純粋五輪批判第七話了

春日良一

第六話 国と個

視聴率が爆発しない「いだてん」が話題になっているが、よくよく考えてみれば、オリンピック好きと言われる日本人は実はそれほどオリンピックが好きではないのかもしれない。それが、「いだてん」の視聴率と比例しているのではないか?と反省してみる。

実感したのは、オリンピックのチケット抽選が始まった5月9日の10時。ネットを開き登録したIDでアクセス、希望するチケットを求めて、スイスイと行くに及んで、それほど人気がないのかなあ?と思っていたところ、次の段階でもう一つの抽選をしようとしたら、それ以上、動かなくなった。つまりアクセスが殺到し始めたのだ。ニュースでは「締め切りが5月28日なので、慌てる必要はない」との組織委員会のメッセージが出た。

日本人が関心があるのは本番。ところが、先日、新潟に出張した際、バレーボールをやめてそれほど時間が空いてない社会人の女性に「チケット申し込んだ?」って聞くと、「もう申し込むんですか?」そこで、「興味ないの?」って聞くと、「そうですね…」また都内の専門学校2年の女性に聞いても「周りもそんな関心ないみたい」という。

つまり、大会直前にならないと盛り上がらない。なぜ盛り上がるかと言えば、日本人選手が活躍しだして、「血」が騒ぎ出すから。それがきっかけで世界のトップアスリートの活躍にも感動するからということになる。

日本人がオリンピックに燃えるその本質は実はパトリオット(同族意識)であり、オリンピック自身ではない。オリンピズムが主張する「スポーツによる世界平和」あるいは「スポーツを通じた人々の融合」といった理念ではないということである。

オリンピズムを主張する私は、「いだてん」に溢れるオリンピック礼賛思想に感動し、共感するので、「いだてん面白し!」となるのだが、主人公の金栗四三は1912年のストックホルムでのオリンピックでは行方不明になったきりだし、1916年のベルリンは戦争で中止、絶好調なのに勝利の機会も奪われてしまった。となると同族愛も擽られない。

一方、オリンピズムを愛する私は、第19話で役所広司演ずる嘉納治五郎が吐く言葉に感動し、この言葉だけで第19話は完璧と思ってしまうのであった。それは、1920年にアントワープでの五輪開催を国際オリンピック委員会(IOC)が決めた書簡を嘉納が金栗に見せるシーンであった。

「最も被害が大きかったとされるベルギーでこそオリンピックを開く意味があるとベルギーのラトゥール伯爵が手をあげてくれたんだよ」

まさにオリンピズムである。ドイツに占領されたベルギーの被害は相当なものであった。戦争の犠牲となった多くの人々、とりわけベルギーの人たちの勇敢な行為をたたえる意味を込めて大会を実施することを追認したのは、大戦終了後にクーベルタンがIOC委員をローザンヌに呼んで行ったことである。

「いだてん」ではそこをラトゥール伯爵の勇気ある意思にまとめているが、実際は、1914年のIOCの会議で、1920年に第7回大会をすることを決めていた。1916年の第6回大会(ベルリン)が戦争で流れたが、第7回は予定どおり行うというIOCの意思こそ、もっと深くオリンピズムを表すものである。

なぜなら、そこにオリンピックを近代に復興させた意義が端的に表されているからである。ベルリンは戦争で中止されたが、アントワープは戦争を超えるのだ!という意気である。

ラトゥール伯爵が戦禍のアントワープで記者団を前に演説し、それに記者も賛同の拳を上げるシーンは、しかし、感動的であった。そして、嘉納が金栗に「戦争があってもオリンピックを開く!そこに意義があるんだよ」というその場面こそ、今の日本オリンピック委員会の人々に突き刺したい一言である。

「いだてん」の金栗四三は時折「こんどこそお国のために、金メダルをば」と言ったようなセリフを吐くが、このことと日本人がオリンピック大会直前にならないと盛り上がらないの心は同じところにある。そしてこれを金栗がどのように克服していくかを「いだてん」は示すべきだろう。

第二次世界大戦に出兵する人々もそれを送り出す人々も「お国のため!」と言った。しかし、オリンピズムは明らかに国別メダル獲得票を拒否する。オリンピックの名誉は選手個人に帰するからだ。

この矛盾に「いだてん」も常に問いかけを行っているのも見逃せない。肋木にぶら下がる人に嘉納が「面白いか?」と何度も聞く第一話のシーンが思い出されるが、金栗四三が走るのはただ自分のためであるという原点は常に想起されなければならないだろう。

自らが自らの好きなことに懸命になり、そのために心身を鍛え、その闘う姿を人々に問うことで、オリンピックが成立する。そのオリンピックが戦争を超えて、新しい人々の和を作る。個の努力が世界の和につながる。ゆえに金栗四三の走り続けることに意味がある。

そしてここが肝なのだが、金栗四三の言う「お国のため」は、紐解けば、自分勝手な自己実現を支えてくれている綾瀬はるか(妻)であり、大竹しのぶ(義母)である。つまり自分の血周辺である。同様に大会直前に盛り上がっていく日本人気質も血周辺である。

IOC現会長バッハが昨年2018年11月に東京で開かれたANOC総会で演説した。「パトリオティズムは健全な人間の心持ちである。しかしそれがナショナリズムになった時、IOCは黙っていない」私流に言えばオリンピズムはナショナリズムを利用してナショナリズムを超えるのである。

これから「いだてん」がオリンピズムを伝えれば伝えるほど、視聴率が上がると信ずるは我一人か?役所広司にいやいや嘉納治五郎に期待する。

純粋五輪批判第六話了

春日良一

第五話 代表であること

第17回は1916年開催予定のベルリン五輪が中止になった知らせから始まった。嘉納治五郎が金栗四三にそのことを知らせる場面は、流石に息を呑んだ。そして、金栗の落胆ぶりを表現するのに二日間も部屋に引きこもっている金栗を描く。後輩、恩師、先輩が心配して訪れる。車夫の清さんが「元気だせよ韋駄天!気晴らしに走ろうぜ」と慰めるが四三は虚空を見つめて言う。「オリンピックののうなったとに、なーし俺ぁ走るとですか」と。

1980年日本オリンピック委員会(JOC)がモスクワ五輪を政治的理由でボイコットした時、柔道の山下泰裕が、レスリングの高田裕司が、そしてマラソンの瀬古利彦の気持ちを代弁するかのような言葉だ。それだけオリンピックは選手にとって重要な意味を持つものだということだ。それが頂点にあるからこそ、その山を目指して日々の努力が正当化されるのである。その山が消滅した時、すべての日々が虚しくなるのはどうしようもないことだ。この虚無感は絶望の一歩手前かもしれない。狂ったように揉める清さんと四三。どこからともなくやってきた妻、スヤが四三を引っ張りだし、桶の水を浴びせる。「こん人、水ばぶっかけると大人しゅうなりますけん」と迫力満点の場面。評判の「低迷する視聴率」もここから一揆に浮上しそうだ。綾瀬はるかのチャーミングでピュアでクレバーでキュートな演技がぴったりはまる。

しかし、私が最も感動した言葉、それは、四三ともみ合い、気合を入れる清さんの一言だ。「俺たち(車夫)はよう、行先も自分で決めれねえんだ。客に新橋って言われればそこに走るしかねんんだ。おまえは俺たちの『代表』だろう?それが目指すとこがねえんじゃ、俺たちちゃどうしたらいいんだよう」というようなことだった。正確に表現できていないが、この言葉が私の魂を突き、涙が溢れてとまらなかった。

代表、日本代表の意味を見事に表現していたからだ。

なぜ我々は金栗四三を応援するのか?なぜ我々はイチローを応援するのか?なぜ我々は錦織圭を応援するのか?なぜ我々は、なでしこジャパンを応援するのか?

それは彼らに自分を代表してもらっているからだ。私が努力しても達成できない姿をアスリートに託し、そしてそれを応援するのだ。日本代表というのは、日本という国家を代表するのではなく、同じ国に生まれ、同じ日本人として育ち、そして自分が共感できるゴールを追いつづけるその人に、日本人としての自分を代表してもらっているということなのだ。

だから金栗四三が期待される結果を残さなかったとしても、応援している自らを代表してもらっている共感があり、それ故、その結果についても共有できるのである。

それは選手自身にとっても同様で、自らが自らを代表して競うからこそ、そこに自己実現というゴールがあることになる。

代表とは努力への共感である。

この理念こそオリンピズムの真髄であり、だからこそオリンピックはナショナリズムを超えることができる。国の代表である前に、「自ら」の代表であることが大命題として措定されているからである。

スヤが四三に語る。「私は金メダルなど欲しくはない。が、四三さんが金メダルをとって喜ぶ笑顔がみたいから、応援するんだ」

オリンピックを取り巻く人々が、頂点を目指すアスリートを支援する意味が端的に語られている。

次回からの視聴率アップが期待される。「いだてん~オリンムピック噺」は今のところオリンピズムからは順風満帆である。

純粋五輪批判第五話了

春日良一

第四話 戦争と五輪

気が付けばNHK大河ドラマ「いだてん」は第16回まで来ている。主人公、金栗四三は1912年のストックホルム五輪に参加したが、途中棄権という結果に終わる。その後、次のベルリン五輪を目指し、只管走り、練習一筋の日々が描かれる。一方、ベルリン五輪は第一次世界大戦の勃発により中止の止む無きにいたる。ドラマは金栗の走る姿を見つめる嘉納治五郎の胸中を映す。オリンピックと戦争というテーマを突き付ける。

ベルリンオリンピックは第6回オリンピック競技大会である。ドラマでは大日本体育協会の理事会で英国帰りの二階堂トクヨ(日本女子体育大学創設者)が、嘉納治五郎がベルリン五輪派遣費用について話し合おうとすると、「ヨーロッパは今そのような状況ではない!」と非難し、ベルリン五輪が戦争の影響で開催できなくなる状況を表現している。

しかし、実際には、ベルリン五輪開催は諦められていなかった。ギリギリまで。オリンピック運動の研究者であるカール・ディーム博士を中心に進められた準備は、グリューネワルドのオリンピックスタジアムを1913年6月1日に竣工しているが、1週600メートルのトラック、3万3千人の観客数、しかも100メートルプールが併設されていたという。準備は本気だった。

1914年6月28日にこの競技場で全ドイツオリンピック代表選考会が行われたその日、ドイツ同盟国のオーストリア皇太子夫妻がセルビアのサラエボで暗殺されたという悲報がこの会場に響いた。スタジアムは騒然となり、弔旗が掲げられた。まさに、戦争が五輪を圧迫した構図である。

ドラマではトクヨの非難に、嘉納治五郎が反論する。

「関係ないっ!政治とスポーツは別だ。オリンピックは平和の祭典であり、スタジアムは聖域だ。国家だろうが、戦争だろうが、若者の夢を奪う権利は誰にもないんだよ!」

実際にはこのような議論はなかっただろうが、この一言は、嘉納治五郎の精神を言いえて妙である。オリンピズムを代弁しているとも言える。最も重要なポイントは「オリンピックスタジアムは聖域である」との部分だ。宮藤官九郎のオリンピズム理解はなかなかである。元々古代五輪では選ばれた選手はある地域に集められれ、各ポリスの選手が一緒に一定期間共に過ごし、共に練習して、本番に臨んだ。その「聖域」には選手以外は入ることができなかった。それが選手村の起源でもある。オリンピックの開催されている場所はオリンピックの理念だけで運営されなければならない。

巷でも「スポーツと平和」については良く語れることであるが、多くの捉え方は、「スポーツができるような平和な社会を作っていかなければならない」という言い方である。しかし、嘉納が言っているのはそうではない。例え戦争が起こっていてもオリンピックを開催することが大事なんだ!ということである。

実際、1995年11月にサラエボでスポーツフェストを開くために訪れた時、私が見たのはスナイパーの攻撃で銃弾を浴びまくった体育館に暗幕を貼り、体操を続けた人々であり、安全な状況があれば、トラックの駐車場でサッカーボールを蹴り続けた少年たちだった。スポーツが希望になる世界だった。

それによって、戦争をする意味がなくなるほどの状況をスポーツが作れるようになれば、スポーツによる世界平和構築の実現ということになるのだ。そしてそれを実現するための運動がオリンピック運動なのである。

「スポーツと平和」ってどう思いますか?と投げかけて、返ってくる答えで、その人がオリンピズムを理解しているかどうかが裁かれる。多くのスポーツ関係者が「スポーツのできるような平和な社会」を語る。

「いだてん」第16回のエピローグで、戦争で休止となった五輪や政治の影響を受けた五輪について映像が流れた。アフガニスタンへのソ連侵攻に抗議した米国などのモスクワ五輪ボイコットで犠牲になったレスリングの高田裕司選手の涙の抗議は当時を想起させ、胸に迫るものがあった。その締めくくりに日本レスリング協会の役員となった高田専務理事が振り返った。「結果としては(ボイコットがあって)今は良かったかな?」と。

1896年以来、4年に一度開催されてきたオリンピックは第6回大会中止やむなきに至った。しかし、古代オリンピックの伝統に則り、その4年後に開催された1920年のアントワープ五輪は、第7回オリンピック競技大会となった。

いかなる戦争が起きたとしてもオリンピズムは死なず!ということである。

純粋五輪批判第四話「戦争と五輪」了

春日良一

第三話 訓練と自由

先日、あるインターネット番組に出演した時、「NHK大河ドラマいだてん(韋駄天)を褒める人に初めて出会った」とのお褒め?のお言葉をいただいたが、実際、NHKの方からも視聴率が上がらないとの嘆息もあったので自分が珍しい方の人間であることを再認識した。

しかし、表現のお道化や可笑しさの裏に潜むオリンピックの捉え方に注目すれば、「いだてん」は間違っていない。いないどころかかなり真摯に捉えていると私は感覚的に思っている。実際、体協職員という現場や五輪代表選手団の裏方本部、そして熾烈な五輪招致合戦といった形でオリンピック運動に携わってきた者にとって、「いだてん」は違和感がない。それが面白く演出されているので楽しめるという次第。

既にテレビは第十回を終えたが、初回から問題提起されている当時の日本のスポーツ事情を「いだてん」は「訓練と自由」という観点から追求しているようだ。そしてこれはある意味、日本のスポーツ界の今をも警鐘する鋭い突っ込みである。

昨年、特にクローズアップされた日本スポーツ界のパワーハラスメント問題は、スポーツが個人の「自由」に基づくものでありながら、トレーニングや試合の過程で、監督コーチと選手の上下関係が派生し、スポーツが何かの「訓練」に転化する現象だった。

文明開化と共に外国人教師などによって日本にスポーツが持ち込まれて、それをどのように日本が受け入れたか?というところに問題の発端がある。永井道明が欧州歴訪の後、日本人の体位向上を目指して導入したのが、スウェーデン体操であった。そしてその体操の一つの道具が肋木であった。大河ではその肋木に体位向上のための「訓練」を象徴させている。

永井が薦める肋木を行う可児徳(高等師範学校助教授)に嘉納治五郎が「楽しいか?」と聞く場面があるが、それは「訓練」だけの身体運動では、楽しさが伴わないから、広まらない。日本人の体位向上には毎日体を動かすことを好んで行うモチベーションあるものが必要だという嘉納の考えを端的に表すシーンであった。実際、嘉納は学校で行われている体操が良法であるが、興味がわかないので、義務として行うが生涯続けられない。面白さのあるものが求められるとしている。

そして今でいうジョギング、ウォーキング、スイミングを薦めている。

まさに楽しさを求めて自ら体を動かすようにならないと本来のスポーツ振興とは言えないということである。つきつめれば、それが「自由」であり、まさに日常からの解放を実感できるスポーツということになるだろう。番組では天狗倶楽部を登場させて、楽しむためだけにスポーツを行うバンカラな青年たちにその「自由」を表現させている。

しかし、ただただ楽しんでいるのがスポーツではない。そこに「戦う」という要素が入り、競う、倒す、勝つという相手を克服する運動が入る。それがまた楽しさを生む。ただ走るのが好きで毎日ランニングを欠かさない金栗四三が一番になるためにトレーニングを始めれば、そこからスポーツはただの遊びではなくなる。

そして、世界の若人が集まるオリンピックはまさにその戦いの頂点である。スポーツの「自由」は至高の戦いの場に参加する意志を育て、そこで勝利を求める若人に「訓練」を課す。その「訓練」は若人が「自由」によって選んだものである。だからこそ、実を結ぶのである。

故に「より速く、より高く、より強く」がオリンピックモットーである。

嘉納治五郎が「体育」に求めていたものが、「自由」からの「訓練」であれば、彼の「体育」と「スポーツ」には隔たりはなかったと言えるだろう。

純粋五輪批判第三話「訓練と自由」了

春日良一

第二話 スポーツと体育

大河ドラマ「韋駄天」では東京師範学校の恐くて厳格な寮長である永井道明が登場し、嘉納治五郎の進めるオリンピック参加に時期尚早と批判する役目を負っている。スウェーデン体操を日本に広め集団体操の礎を築いた人として、彼に「体育」の理念を背おわせ、方や嘉納治五郎には「スポーツ」を主張させるという演出である。

しかし実はこの体育とスポーツの対立的思弁は今日的な観点と言える。1964年の東京オリンピックの開催を記念して、10月10日の開会式は「体育の日」と定められ、日本国民のスポーツへの関心の促進と健康生活への寄与が期待された。この時、体育とスポーツは分離した概念ではなく一つのものとして自然に考えられていたと言える。体育の日の制定根拠に「スポーツを楽しむこと」が入っているのを素直に考えれば両者を敢えて分けて捉える必要がなかったのである。

同様に明治初期、日本にスポーツが入ってくる段階で、身体運動を体育と訳したのはphysical education、直訳すれば身体教育のことであり、体育はその略称だ。同じく身体活動を伴うスポーツがそこに「言葉として」表現されていても不思議ではない。この問題は私が日本体育協会国際部ならびに日本オリンピック委員会国際業務部参事として「スポーツの翻訳語」を研究して、諸先輩が継承してきた適切な専門用語の翻訳を受け継ぎ、発展させた時にぶち当たった問題でもある。

なぜ日本体育協会をJapan Amateur Sports Associatonと訳したのか?なぜ国民体育大会をNational Sports Festivalと訳したのか?そこには実は体育という言葉にスポーツの理念も包含させる意味があったからである。

昨年から日本体育協会は日本スポーツ協会に変わった。そして 2020年から「体育の日」は「スポーツの日」と変わるそうだ。それをあたかも日本のスポーツ界の進歩のように思い込んでいるスポーツ関係者やスポーツ評論家にはうんざりする。彼らは体育が背負っていたスポーツの理念を全く無視しているからだ。

彼らにはスポーツというカタカナ語がSportの翻訳だと思い込んでいる無知がある。Sportというのは一つの競技を表す場合もあるが、実は身体運動が求める理念を示す言葉でもあるのだ。故にSportとSportsは相違する。Sportsをスポーツと訳し、それをスポーツが持つべき理念であるというのは無知である。Sportsはただの競技である、Sportは理念である。本当にスポーツ界を進歩させたいというならスポートという新たな翻訳語を提言する他はない。

これから大河ドラマ「韋駄天」では、永井道明に体育を背負わせ、嘉納治五郎のスポーツと対比させるのであろうが、その根本には上記の歴史的誤解がある。

純粋五輪批判第二話「スポーツと体育」了

春日良一

第一話 オリンピズムの根本原理

NHK大河ドラマの韋駄天は既に第4話まで進行しているが、第一話にオリンピズムの根幹がちりばめられていた。第一命題:オリンピックは平和の祭典 第二命題:スポーツと体育 第三命題:鍛錬と自由

これらを紐解く中に嘉納治五郎とピエール・ド・クーベルタンがつながるオリンピズムの根本原理が見えてくる。

第一命題:オリンピックは平和の祭典こそ、オリンピズムの根本原理である。
ドラマでは嘉納治五郎が駐日フランス大使に呼ばれて第5回オリンピック競技大会への参加を求められるというシーンで、ぺ!が連発される。フランス語で平和は La paix。スポーツという実態がまだ見えていない日本人にとってスポーツ自身を理解することが難しい状況で、それがペ!に結びつくなどということは空前絶後の大スペクタクルであったはずだ。このスポーツと平和という相反するように見える概念を統合した天才がピーエル・ド・クーベルタンであった。時は1894年、ナショナリズムが色濃くなる世界情勢を憂慮していたフランス人教育者クーベルタン男爵は、古代オリンピアの思想を復興することで欧州そして世界を救うことを夢見、賛同する人々と国際オリンピック委員会IOCを立ち上げたのである。(6月23日。因みにこれは私の誕生日の次の日である) そして同年5月20日、嘉納治五郎は講道館大道場落成式を迎えている。嘉納はそれまでの柔術を「道」という理念に止揚することで、勝負から道への理念化を実現したのである。折しも洋の東西の二人の天才が身体活動を通じて世界平和を模索する一歩を同じく踏み出していたのであった。そしてこの年、日清戦争が始まった。その翌々年1896年ギリシアはアテネでの第一回オリンピック競技大会が開催される。まさにスポーツで平和を求める運動は世界戦争と並行して進んでいくのである。方や武器を持たず自らの身体のみで闘い、その闘いの中で、相手(敵)の尊厳に触れていく運動、かたや武器を持って相手の存在を抹消する運動。ここにまさにオリンピズムの真髄があると言えるだろう。ドラマではその精神に感動する嘉納治五郎を描くが、彼の発した「相手を認めた上で戦う中で平和が生まれる」という言葉は、ややもすれば、平和な社会でなければスポーツはできない!だから平和が大事という世俗論法に結びつく場合がある。故に、明言すれば、「武器を持たず公平なルールの下で戦うスポーツによって相手を敬う精神が生まれ、それが平和な世界に結びつく」というべきである。それが本来のオリンピズムの意味なのであった。

純粋五輪批判第一話「オリンピズムの根本原理」了

春日良一