第十五話 嘉納治五郎の魂

NHK大河ドラマ「オリンムピック噺~いだてん~」第37回は「最後の晩餐」と称し、嘉納治五郎が1940年東京五輪開催へ向けた情熱を背景に「政治と五輪」の問題を鮮明に描いた。日中戦争が始まり、出兵する日本の青年を歓送する都民の間を東京五輪を目指して走る金栗四三と弟子の姿はその象徴である。

陸上出身の河野一郎議員に五輪開催反対論を主張させ、政治に支配された東京で五輪を開く価値はないと、まさに政治とスポーツの問題を先鋭化させる演出は分かりやすい。金栗四三が河野に食ってかかるため朝日新聞社に乗り込み、そこにいた田畑政治と交わす熱弁が、政治とスポーツ、五輪と戦争の問題を解決するヒントを与えている。

金栗が叫ぶ。「梯子を外された選手の気持ちわかりますか?」絶好調の時のベルリン五輪が戦争で中止となって参加できなかった金栗の魂の叫びだ。

田畑が叫ぶ。「どうして走る。どうして泳ぐ。わかんないじゃん。でもそれしかないんだよ。俺達には。オリンピックしか。戦争で勝ちたいんじゃない。走って勝ちたいんだ。泳いで勝ちたいんだ」

大会実行委員には、当然、政府や軍部からの派遣もある中、東京五輪開催の準備に暗雲が垂れ込めていた。そんな中、嘉納治五郎は1938年3月にカイロで開催された第37次IOC総会に赴き、大会準備報告をする。番組では何の準備もない中、各IOC委員から開催への憂慮が表明されるが、嘉納の「逆らわずして勝つ」スピーチが開催賛同を得たとしている。実際には、この時、札幌での冬季大会開催についてが主題であり、それに日華事変から対日嫌悪勘定が開催反対に傾く中、スキー競技を外して行うことで決着を付けたということがある。

事実は小説より奇なり。

だが、今回の嘉納治五郎の「私を信じてくれ。五輪に政治の居場所はない」という一言は何よりも嘉納の魂を示し、かつオリンピズムの真髄を突いている。英語でこう言った。「There is no place for Politics in Olympics」

宮藤官九郎は理解しているのである。

私はこれまでの大河の中で最も感動したのが、この「いだてん第37回」である。ここにオリンピックの精神が見事に表現されているからである。

さらに、本篇の後のエピローグ「いだてん紀行」がさらに圧巻だった。登場したのは山下泰裕。嘉納治五郎を語る彼は目に涙をためてこう言ったのだ。「柔道ってあの嘉納がつくったんだよな。その嘉納先生に対する思いが、1964年東京開催の柔道。今、日本オリンピック委員会の会長として、嘉納先生の志を受け継ぐ後継者の一人でありたいと思っています」

山下泰裕JOC会長に嘉納治五郎の魂を見た一夜であった。

純粋五輪批判第十五話了

春日良一

第十四話 ヒトラーと五輪

1936年ベルリン五輪はある意味、現在の五輪のフォルムを作った大会であった。ヒトラーがナチスドイツの威信を掛けて開いた大会には、ある意味オリンピズムの真髄も蓄積されていたのだ。

最も大きな遺産は聖火リレーであった。ギリシアのオリンピック遺跡で古式に則って太陽光から点火されたトーチが、7か国3000キロをリレーされてオリンピックスタジアムに到着し、聖火が灯される。いまではお馴染みの光景はこのベルリン大会で初めて行われたことである。

とは言えヒトラーが考案したわけではなく、カール・ディーム組織委員会事務総長などの古代五輪研究家たちの長年に亘る努力の結晶であった。ヒトラーはディームにこの聖火リレーのルートに当たるバルカン半島の調査を命じて、ディームと論争になったという。このことをディームが田畑政治に漏らして、ディームがヒトラーから諫言されたというエピソードがある。

ヒトラーが五輪に何を見ていたか?ということが最も肝心なところである。彼のナチズムの狙いは世界制覇にあったのであるから、オリンピックにその手段を見出していたはずだ。当初はオリンピック開催に反対していた彼が周囲から五輪の情報を得てオリンピックを学ぶ中で、直感的に感じるものがあったと思う。それがオリンピズムが持っている世界平和構築の原理だ。この平和の部分を削除すれば世界構築の論理であり、それはヒトラーの世界制覇にもってこいの原動力になりえた。

それは武器を使わずとも世界の人々の心を一つにできる優れたツールであるからであり、そこを感じることができたヒトラーはその意味で流石である。オリンピズムはしかし、ナチズムと違い、個人の自由と自律が前提の先の平和である。ナチズムの先には独裁による平和である。しかしゴールを手に入れる仕掛けに秀逸をヒトラーは見ていたのだろう。

ベルリン五輪はヒトラーのための五輪と揶揄されることが多いが、それは一方的な見方で、オリンピズムから見れば、逆にスポーツによる世界平和構築のダイナミズムをヒトラーの天才が引き出したと極論することもできる。

ヒトラーが五輪の構造を利用して世界制覇を企んだように、オリンピズムはヒトラーが築いた五輪基礎構造を利用して、世界平和を目指せばいいわけだ。

ヒトラーのユダヤ人迫害についても、国際オリンピック委員会(IOC)は警告を発し、それを重く受け止めたヒトラーは五輪の目の届くところでは一切ユダヤ人を差別することはなかった。五輪選手村の村長もユダヤ人だった。

NHK大河第36回ではベルリン五輪を描き、日本選手団随行通訳がユダヤ人であり、彼が大会終了後自殺したと伝えるが、実際は選手村の村長が自殺している。五輪の期間だけの疑似的ユートピアだったということだ。もし、五輪の期間が永遠に続けば、ユートピアも永遠に続くことになる。

オリンピズムをそこに視線を凝縮する。

オリンピズムは常に政治と闘う。しかしその闘いはしたたかでなければならない。政治に利用させつつ、政治を利用するやり方だ。それによって、気が付けばヒトラーもオリンピック儀典の基礎を作っていたということになってしまうのである。

田畑政治の名前が政治であるのが面白い。

(一部敬称略)

純粋五輪批判第十四話了

春日良一

第十三話 2.26

1936年、ベルリン五輪の年に二・二六事件は起きた。未明、雪の東京を闊歩する陸軍青年将校の足音から第34回「オリムピック噺~いだてん~」は始まった。緊迫する張り詰めた空気が見事に描かれていた。そういえば田畑さんは赤坂に住んでいたので、青年将校の通り道になっても不思議はない。大蔵大臣、高橋是清の暗殺の銃声がリアルに響いた。

2.26が私にとって身近になったのは、岡野俊一郎氏のおかげである。彼がJOCの総務主事時代に誘ってくれた銀座のマドンナという老舗のバーで、そこの名物女将?!ママさんが私にその日のことを話してくれたからだ。まさに決起する青年将校がマドンナで呑んでいたそうだ。雪が降ってきたので、ママはその一人に家まで車で送ってもらったそうだ。それが、その後、事件を起こすなどとは思ってもみなかったそうだ。岡野氏は小石川高校( 都立第五中 )の頃からマドンナに通っていたという。しかも「俺は学割だったんだ」と威張ってみせた。いつも毅然として事務局にやってくる岡野総務主事がママに「俊ちゃん」と呼ばれているのが面白かった。「俊ちゃんはちっちゃい頃から常連だったわね」後から、岡野氏が築いた人脈の多くはこのマドンナに来る客からのものだったと聞いた。流石に2.26の時は4歳だった岡野氏がマドンナにいることはなかっただろうが、老舗岡埜栄泉の社長は来ていたのだろう。

「オリンムピック噺」が描くように田畑政治は犬養毅にも高橋是清にも堂々と会っていた。スポーツ界の人間が政治家に気後れすることはなかった。

第34回「オリンムピック噺~いだてん~」はそのような戒厳令下の日本にIOC会長ラトゥールを招き、1940年五輪開催都市としてのアピールをする「おもてなし」の姿を描く。当時の新聞情報も駆使した描き方はリアリティがあり、胃の腑に落ちる。

軍国主義が蔓延る中、嘉納治五郎をはじめとするスポーツ界の要人は頑固として譲らないところは譲らないとしていた。もっと言えば闘っていいた。

「いだてん」では取り上げられていないが、日本が五輪に参加するようになる土壌として極東大会といういわばアジア大会のルーツというべきものがあり、第十回大会は、1934年にフィリピンのマニラで開催された。この大会の代表派遣に陸軍は満州国代表を参加させろと言ってきて、もしそれができないのならば、日本代表を派遣するなとの圧力をかけてきたという。

これに対して、スポーツ人は毅然とした態度を貫いた。実際に水泳選手や陸上選手が右翼に襲われたり、不参加を強要されたが、頑として参加を主張したという武勇伝もある。軍部のスポーツ界への圧力は相当なもので、長いものには巻かれろ根性の大学では「選手を出さない」と言い始めたそうだが、その時田畑政治はアマチュアスポーツの命のために体を張った。田畑が記者であった朝日新聞だけは、極東大会ボイコットを呼びかける他の新聞社とは違い、「参加せよ」を貫いた。

サッカーの竹腰重丸と陸上の渋谷寿光を満州に派遣し満州国を説得し、右翼の執拗な攻撃にも屈しなかった。田畑自身が自伝でこう言っている。「とにかく、当時のスポーツ人は偉かった。名誉会長の嘉納治五郎さんも、IOC委員の杉村陽太郎さんも『参加せよ』を激励してくださった」

「とにかく私はスジを通して軍部に屈しなかったことを誇りに思っている。スポーツは純粋でなくてはならない。権力とくに暴力に負けなかったことは今でも自慢できる」とは田畑の言葉だ。

「オリムピック噺~いだてん~」がこのストーリーを取り上げたら、もっと迫力あるシーンができたかもしれない。サッカーの竹腰重丸さんは私のようなサッカー小僧には雲の上の存在だったが(私がサッカーを始めた小6の頃、彼はサッカー協会会長だったはず)、その人が若かりし頃、スポーツのために覚悟を決めて軍部と闘う決心をする場面などは、絵にしてほしいところだ。彼は夜半自宅の庭に出て抜き身の日本刀を構え、暴力には真剣をもっても対決して屈せずと、月の光に日本刀を輝かせて心を正したという。

まさに私がスポーツ人に期待する姿だ。

私もJOC現役時代、夜半、家を飛び出し、大木に向い木刀を振りかざし、私のJOC改革に刃向かう敵の像を切ったものだ。

今のスポーツ界に本当のサムライがいない。自らの出世と保身が第一の人々にスポーツ界を変える力はない。心してオリンピズムを論じるところだ。

(一部敬称略)

純粋五輪批判第十三話了

春日良一

第十二話 スポーツ外交

オリンピズムはスポーツで世界に平和をもたらす、平和な世界をつくるという哲学である。哲学であるからそれを現実化する努力が求められる。これまでこの世から戦争がなくなったことがないのはなぜか?平和な世界を求めるのは万人の願いではないのか?それらの難問に一発で蹴りを付けるにはスポーツがベストである。そこには良いも悪いも存在しない。あるのは公平(フェアネス)ということだけだからだ。

スポーツ外交という言葉がある。この言葉も曲解すれば全く別に意味になってしまうことを私自身がVTR出演した番組で経験した。平昌五輪で女子アイスホッケー統一コリアチームが直前に誕生したことを政治がスポーツを利用しているとして、多くのメディアが批判した。私はこの時、荻村伊智朗氏が国際卓球連盟会長として行った1991年の世界卓球選手権の統一コリアチームの実現を想起し、五輪で初めての統一コリアを肯定した。これはスポーツの場でしか実現できないことであり、政治によっては叶わない現実であるからだ。そしてそこに至るまでのスポーツ人による交渉をスポーツ外交と解説した。

しかしスタジオでは、政治評論家が「いよいよ北朝鮮がスポーツを外交手段に使うというところにシフトしてきたのですね」と語り、政治がスポーツを使うことをスポーツ外交と解釈したのである。そこから番組はスポーツ外交が良くないこととして展開していく。

ポイントはスポーツ外交は相手を認めるために闘い、政治は相手を潰すために戦うということである。統一コリアチームの実現は互いを認め合うために行われた。それは金正恩氏と文在寅氏がオリンピズムに服した象徴となる。相互の政治的思惑を超えたところで、南北が一つになるという夢を表現したのである。

果たして、NHK大河「オリンムピック噺~いだてん~」第33回は、1940年五輪招致を巡る日本の駆け引きについてであった。在イタリア日本大使となったIOC委員の杉村陽太郎がローマの立候補を取り下げてもらうという工作をムッソリーニに対して水面下で行い、その結果、ローマの辞退を獲得した。このことは果たしてオリンピズムから見て正しかったのだろうか?これはスポーツ外交と言うべきものだろうか?

杉村大使の奮闘によって、「イタリアの政府は第12回大会を東京に招致せんとする日本の希望を支持することを決定した」というムッソリニー首相の通告を取り付けた。政治的交渉の結果である。しかし、オリンピズムはこれは政治的手法によって、政治的解決をもたらしたとしか判断しない。

大河もIOCがこの工作を政治的と見て1935年のIOC総会で決すべ開催地決定を翌年のベルリンでの総会に延期するラトゥールIOC会長の威厳ある宣告を見事に映し出した。

五輪を立候補するのは都市であり、国ではないこと、ムッソリーニ首相が通告してもローマが立候補することは可能であること、そして、ムッソリーニの通告は政治のスポーツへの介入と捉えること。あくまでもスポーツはスポーツで決めなければならないこと。最もオリンピズムが重視することである。

杉村陽太郎は窮地に追い込まれ、IOC委員を辞任することになる。IOCの求めるスポーツ外交は、政治的にローマの立候補を取り下げさせることではなく、ローマと正々堂々と招致を闘うことだからである。

スポーツ外交と政治的外交の違いについては、私の体験からも語れることがある。これについては、次回、日刊ゲンダイのコラムに譲ることにする。それはバルセロナ五輪の時のことである。

宮藤官九郎は杉村陽太郎の落胆ぶりを「日本への一票はすなわち嘉納治五郎への一票なんだ。・・・俺は嘉納治五郎にはなれない」

しかし現実はこうだ。

「政治的取引はスポーツ外交に叶わない」

これがオリンピズムの極意である。

純粋理性批判第十二話了

春日良一

第十一話 1940年の東京五輪

ある評論家に「田畑さんはあんな風だったんですか?」と不思議そうに聞かれた。実際に知っている田畑政治さんは既にご高齢で、車椅子で体協理事会に来られていたので、阿部サダヲ演ずる若き田畑さんは想像するしかない。先輩諸氏から仄聞する数々の武勇伝からイメージすると阿部サダヲ田畑政治はあり得る気がする。政府が何と言おうが五輪の運営はスポーツ専門人がやるしかないと1964年の東京五輪では一歩も引かなかった男である。若き頃に上司をなんとも思わず、自分の信念のためには突き進む、そういう人間でないと五輪は招致できない。

またなぜか黎明期のアスリートやスポーツ団体関係者には新聞社出身が多い。新聞記者の魂は体制批判であるだろうから、政治と渡り合うのは当然のことであっただろう。

大河は本日第33回となり、1940年の東京五輪招致の話になっている。前回の32回から独裁者ムッソリーニ首相のイタリアの首都ローマが立候補の強敵として紹介される。国を挙げての支援体制とともにオリンピックスタジアムが既に完成されているという情報もある。そこで「逆らわずして勝つ」嘉納治五郎は、ムッソリーニに直談判して、東京に譲ってもらおうとする。折しも日本から三人目のIOC委員となった杉村陽太郎は、ローマにイタリア大使として赴任することになり、この交渉実現の労を取る。ムッソリーニからのローマ立候補辞退の確約を得るも、IOC総会にはローマの立候補があった。

そんなわけはない!という杉浦の主張は、IOC会長ラトゥールに拒否される。オリンピック理念は政治からの自律を本懐としているからである。嘉納治五郎はスポーツ故のアプローチでムッソリーニという時代の政治家にアプローチする。この手法こそスポーツ外交と呼ばれていい。スポーツが政治を利用して国と国の争いを融和することこそクーベルタンが求めていたところだろう。

大河はラトゥールに五輪理念を背負わせつつ、田畑政治には「オリンピックは単なる運動会」と言わせるなどバランスを取っているが、1940年の五輪招致には明らかに日本の国威発揚の意図があったはずで、紀元2600年の大行事の一つとして考えられていた。このことを知りつつも、五輪を呼ぶ意味があったのは、そこに戦争回避の仕掛けが存在したからだ。

満州事変が起き、日本は国連から脱退し、日本の軍事力強化が図られる時勢の中で、東京に五輪を招くことによって、東京自身が変革され、新しい日本ができるという明るい未来が希望できた。スポーツ施設や交通網の整備にかなりの経費をかけなければならない。それが必要だという意識が生まれれば、そこにお金を費やすことになり、結果、軍事費に回らなくなる構造ができる。

オリンピックが世界平和を作るという理念は、さまざまなところで、実現への礎石を打っているのである。その一つが五輪にお金をかけるのは平和につながる!ということである。国家プロジェクトとして五輪に投資することは、軍事費の抑制につながるだろう。

日本は1940年の五輪招致を成功させるが、それは次回の展開になる。戦争が起きてオリンピック開催を辞めるのか?むしろそうだからオリンピックを開催するというのが、より効果的な防衛につながり平和構築への一歩となる。

純粋理性批判第十一話了

春日良一

第十話 前畑秀子

「がんばれ!前畑」で有名な前畑秀子は本当に努力家だった。彼女の自伝は涙なしでは読めない。昭和初期の日本の貧しさを代表するような家庭にあって、泳ぐことを諦めなかった日本女子の凄さがある。大河は第31回となり、1932年の第10回オリンピアード、ロサンゼルス大会での日本水泳の活躍ぶりが描かれる。日系人の大声援の中で18歳の前畑は見事にオリンピックレコード、世界新記録で銀メダルを獲得する。男子チームの全種目金メダルの期待とは裏腹に女子チームへの期待はそれほどなかった中で、前畑もなんとか6位に入賞しようという気持ちでスタート台に立っていた。

この気持ちが奏功したメダル獲得だったと思う。それから52年後に同じスタート台に同じ種目で立つ長崎宏子は、16歳で日本水泳界の全期待を背負い、調子の出ない不安を抱えながらスタート台に立った。その違いは、ゴール前25メートルの力泳に現れる。前畑はただひたすら泳ぎ、自分のことしか考えていない。しかし、長崎はターンするたびに自分のポジションを感じ、そして、武器であった最後25メートルのダッシュを、隣を泳ぐ選手のスパートに合わせて5メートル早めてしまう。その結果、最後の5メートルでは手足に全く力が入らなかったというのだ。思えば、12歳で日本代表になった長崎宏子がその年でオリンピックに出ていたら、前畑と同じように一生懸命だけで泳いでメダルをそれも一番いい色のメダルを得ていたかもしれない。モスクワボイコットが悔やまれる。

長崎宏子は前畑秀子の再来のように日本水泳界の期待を担ったが、時代も環境も大きく違い、期待するようにはならなかった。そこにスポーツの悲哀を見る。

国民の期待という実体なき空気が選手に及ぼすものは余りにも大きい。ロサンゼルス五輪の銀メダルで有終の美と思っていた前畑はその後ベルリン五輪への挑戦をすることになる。国民の期待という空気が前畑の引退を許さなかった。その五輪で前畑にかかったプレッシャーはひょっとするとロサンゼルスの時の長崎宏子へのそれと同じほどのものだったかもしれない。

その空気に対して、オリンピズムは選手に問う。「君の使命は何か?」と。答えは平和構築の戦士であり、そのためには「より速く」を求めて全力を尽くすことしかない。その時、空気は水に変わるのだ。

それにしても第30回は感動のドラマだった!これで視聴率が低いと言うのなら、視聴者が悪いとしかいいようもない。日本選手団の活躍は日系人に誇りを取り戻させた。

南部忠平(陸上競技三段跳) 宮崎康二(競泳男子100m自由形) 北村久寿雄(競泳男子1500m自由形) 清川正二(競泳男子100m背泳ぎ) 鶴田義行(競泳男子200m平泳ぎ) 宮崎康二・遊佐正憲・ 横山隆志・豊田久吉(競泳800mリレー) 西竹一(馬術大障害)

7個の金メダルである。特に水泳は全部で12のメダルを獲得するという大活躍ぶりであった。その様子を宮藤官九郎は選手団が帰国に向かうバスを止める日系の老人の言葉で見事に示した。「あなたたちのおかげで白人が私たちを認めてくれた。日本人を認めてくれた」そしてバスを取り巻く日系人たちが一斉に声を上げる。「私は日本人だ!」と。

オリンピズムはナショナリズムを超越しなければならない。しかし、健全なパトリオティズムは肯定する。自己肯定の中から生まれる熱狂を歓迎する。

犬養毅暗殺事件以来、暗い日本を明るくする。そのために全種目で金メダルを取る!を目標にした田畑政治は、図らずも水泳ニッポンの活躍によって、日系人にニッポンの元気を回復させたのである。

誠にスポーツは世界を変える力があるのである。それは国を超えた力ではないだろうか?

次回第32回に前畑のベルリンへのスタートが描かれるはずだ。

そしてナショナリズムとオリンピズムの闘いは熾烈になる。

純粋五輪批判第十話了

春日良一

第九話 人見絹枝

私が初めて人見絹枝という名前を聞いたのは父からだった。下宿屋を営んでいた我が家では、夕食後に下宿人の小中高の先生たちや高校生のお兄さんが集まりお茶を飲みながら父の話を聞く時間があった。海軍航空隊の少年兵として戦争を体験し、戦後、浮浪児のために児童福祉士となった父親の体験談は面白可笑しく盛り上がった。陸上100メートルの県記録を持っていた父はスポーツ好きでもあり、戦前戦後のスポーツ人の話にも花が咲いた。

しかし、NHK大河「いだてん」が人見絹代を取り上げて、初めて私は人見絹枝に出会った。人見絹枝がアムステルダムの第九回オリンピック競技大会で銀メダリストとなったのは、1928年である。父が4歳の時だ。父は一つ年上の長男が小学一年生で運動会のかけっこに登場すると長靴をはいたまま一緒に走ってしまったという。小学五年の時、六年の兄とリレーのアンカーとなり、兄を抜かして一等となった。喜び勇んで帰宅すると大祖母に拳骨を食らい室(むろ)に入れられたという。走るのが大好きな父にとって、人見絹枝はスーパースターだったのだろう。

番組では第26回で人見のアムステルダム五輪、陸上800M女子で見事に銀メダルを獲得する人見に焦点を当てるが、それまでの回で、岡山女学校時代のテニスでの活躍やその後二階堂体育塾時代の文武両道ぶりを端的に描いてみせている。

身長170㎝と当時としてはかなりの長身の人見が「化け物」「大女」と呼ばれて、運動でも男勝りの活躍をすると、それを揶揄する人々がいて、学問にも秀で文学に関心が高かった彼女が、陸上を続けることを悩むシーンが取り上げられ、女子スポーツの社会的な認知との闘いが流れの軸とされていた。

実際は人見はかなり前向きで明るいアスリート気質であったと思われ、彼女の前向きな取り組みが必ずしも悲劇的なものであったとは思えない。しかし、一方で国民の期待に応えようとするプレッシャーは相当なものであった。大会前に三段跳びで世界新記録まで出している人見への期待は大きかったが、必勝と思われた100メートルが準決敗退となり、未経験の800メートルに挑戦しようとする人見に「女子選手全員の希望が、夢が、私のせいで立たれてします!お願いです。やらせてください!」と懇願させている。

人見絹枝を演じたのは菅原小春。人見のアスリート気質とは違うものを感じていいたが、彼女の本職がダンサーであることを知り、納得。アスリート気質よりも初挑戦の世界にかける切羽詰まった感じが人見絹枝が背負っていたものをひしひしと感じさせた。

国の期待のプレッシャーと女子スポーツ認知への闘争が背景に描かれている。人見の背負っていたものがそこまで大きかったとは思ったことがなかったが、24歳の若さで早世したことを思うと彼女の内心に刻まれていた使命というのは相当に重いものであったと思う。

実際、国の期待を背負うということがどれだけ凄まじい重荷であるのか、また女子スポーツ認知という大義がどれだけの負担であったか、その状態を背負った人にしか分からない世界である。

「人見絹代、すごい選手がいたんだ!」幼い私に刻まれた父の言葉の意味がやっと分かった。

純粋五輪批判第九話了

春日良一

第八話 田畑政治

NHK大河「いだてん」は第二十六回が7月7日の七夕の日に放送された。「たなばた」だからではないが、今回は第二部の主人公「た(な)ばた」政治について論じる。この回の主役はスーパーウーマン人見絹枝だが、あえて。

私が体協職員だった頃の田畑政治は副会長だった。もう老齢の域に達していたので、阿部サダヲ演じる若かりし田畑政治のビビッドなイメージは湧かない。1984年のロス五輪の頃は車いすで体協に来られていた気がする。事務局では田畑「まさじ」とは言わず「せいじ」って言っていた。(もちろん本人のいないところでです)業界用語ではないのだが、役員の名前を正確に発音するのは稀だった。例えば八千代松陰創設者の大物、山口久太も当時副会長だったが、ずううと「きゅうた」だと思っていたが、本当は「ひさた」だった。

いずれにしろ、ペイペイの私にとっては雲の上の存在であった。その田畑が若かりし頃、1964年の東京五輪招致に精力的に関わり、成功して組織委員会事務総長であったことにも全く関心がなかった。自叙伝で組織委員会事務総長を辞する下りがあり、政治と真っ向から立ち向かった在り方を知り、まさに体協の鏡だったのだと思った次第。

大河の田畑政治は嘉納治五郎を批判しつつ、その裏返しのような存在に描かれている。「参加することに意義がある?意義なんてないよ!それは明治だよ。今は昭和!」と言ったセリフで言い表されるのは競技力向上というベクトルである。確かに金栗四三がマラソンの世界記録を作ったと言っても、オリンピック三回出場で残した記録はヘルシンキでの16位が最高位であった。しかし、金栗はその後のパリ大会にも参加し、オリンピックへの絆を継続していたわけでその意味ではまさに「参加することに意義がある」人であった。

そこから結果を出していく次元まで行くには、スポーツを取り巻く環境が整備されていく必要があるが、そのためにも金栗四三に代表される参加する意志が重要であり、それによってオリンピック自身の認知が国内的にも高まり、それによってスポーツへの見方も変わってくるのだ。

大河の田畑に「政治家はスポーツを利用すればいい。金も出して、口も出せばいい」と言わせるのは、行き過ぎかと思えるかもしれない。なぜなら彼こそは政府の言いなりには絶対にならない体協を主張していたからである。「体協が官僚化し、純民間団体としての自主性を失ったら――――自滅です」(1971年体協副会長就任挨拶から)しかし、若き田畑が政治家とやりあってオリンピックに価値がある、スポーツ振興に意味があると説得するには、必要な言葉であったかもしれない。

実際に田畑政治が水連専務理事になるには1929年のことで、アムステルダム五輪で鶴田義行が平泳ぎ200Mで金メダルを取る一年後になる。1930年に体協専務理事となり1932年ロス五輪に向けてますますオリンピックにのめり込むことになる。

朝日新聞政治部の記者というファンクションからか、政治家にも対等に渡り合うのが信条。体協役員となってもその姿勢を変えなかった。大河ではクライマックスになるであろう1964年東京五輪招致まではまだ長い道のりがあるが、一貫して田畑にはスポーツを愛する者がスポーツを運営するという基本があった。

彼にとってまさにスポーツは政治であり、政治はスポーツであったのかもしれない。「せいじ」と呼ぶのが相応しい人であったのだ。

純粋五輪批判第八話了

春日良一

第七話 JOCの存在意義

NHK大河ドラマ「いだてん~オリムピック噺~」は第二部に入ってしまった。主人公は金栗四三から田畑政治に移った。一話一話批判していこうと思っていたが、大河の流れの速さについていけない。さすがに金栗はマラソン世界記録樹立者だ。などと言い訳にもならないが、それぞれの話に五輪運動の胆が散りばめられており、それをどこで批判しようかと喘いでいたのが正直なところ。既に第25回となったからには、最も大事な論点であるところの、体協とは何か?について論じたい。

宮藤官九郎が凄いと思うのは、一貫してスポーツが政治に対して戦うファイティングスピリットを軸にしているところだ。役所の治五郎は強烈に、戦禍に喘ぎ、被災に喘いでいる時こそ「スポーツは力になる」と言い切る。その姿勢は、本来オリンピックが求めている者であり、クーベルタンの思想を後押しするものだ。

一方で、スポーツが普及しその存在意義が増してくると、それぞれの競技が自らの団体を結成してくる。そもそも嘉納はクーベルタンの呼びかけに応じ第5回オリンピック競技大会(ストックホルム)に日本の参加を決心するが、そのためにはその選手団を派遣する母体である国内オリンピック委員会(NOC)の存在がなければならない。五輪運動では政治から支配されないNOCが選手を選び、選手を派遣する唯一の権威である。このNOCを作るために嘉納は大日本体育協会を創ったのである。つまり体協とJOCは本質的に同一の組織だということである。

最近、メディアがスポーツ界の不祥事を取り上げて、それを放置しているJOCの存在意義を問うているが、その姿勢こそオリンピズムから見れば批判されるべき対象である。なぜなら、JOCの存在意義は五輪運動普及の意義であり、オリンピック競技大会に参加できる唯一の権威であるからだ。この存在の意義を問うということは五輪自身の存在意義を問うことであり、平和な世界の構築への疑問を丸投げしているに過ぎないことになる。

一方で、それぞれの競技の統括団体に自律を求めるのもオリンピック運動の重要な構造である。それぞれの競技についてNOC領域内で責任を持つ団体があって、初めてスポーツの自律が成立する。

大河第25回では日本水泳連盟を田畑政治が作り、日本陸上競技連盟の向こうを張るという展開を描くが、実際には、嘉納が大日本体育協会を創設した直後から「我こそは日本のスポーツを統括する団体である!」「我こそはオリンピックに参加するものである!」と名乗る多くの組織や個人が現れた。スポーツ界はある意味カオス状態にあった。しかし、国際オリンピック委員会(IOC)が承認したNOCのみがオリンピックに参加する資格を有するのであり、それは大日本体育協会=JOCでしかなかった。招待状がドラマでは水連に届いているが、それが届くのはJOCでしかない。

ではJOCとは何か?それはまさに「スポーツで世界に平和をもたらす」とするオリンピズムを信じ、オリンピック競技大会において人類の頂点を目指すために平和でクリーンな戦いを繰り広げるアスリートを育て参加させるために不断の努力をする権威である。

故に、JOCの存在意義を問い、日本スポーツ協会に統合して、その頂点を政治家の天下り先にし、日本のスポーツを支配し、甘い汁を吸おうとする現在行われている企みに対抗できるのは、ひたすらオリンピズムへの信仰とそれを本気で実践するJOCでしかない。

そのことがスポーツ自身に自らの自己実現の道を見出し、その鍛錬と努力の果てに世界の頂点に辿り着く金栗四三のようなアスリートを守る唯一の方法であることを、役所の嘉納治五郎は強烈に演じ切っているのだ。関東大震災直後にパリオリンピック選手団派遣を表明する嘉納の「こんな時だからこそスポーツの力が必要なんだよ!」は、1995年戦火のサラエボに赴き「サラエボっ子スポーツフェスト」を慣行しようとした私のオリンピズムと同じものだ。

第25回の終わりに、高橋是清(大蔵大臣)が登場した。今はなきショーケンの演ずる是清は相当な迫力であった。パリ五輪日本代表選手団のための補助金を田畑政治が直談判するシーンで次回は始まるだろう。宮藤官九郎は田畑に正に政治的役割を演じさせるつもりと見る。嘉納治五郎の純粋五輪運動に対して、政治を巻き込んでいく実践五輪運動への展開が楽しみでもある。もちろん批判的に凝視するが。

いずれにしろ、JOCが堂々と自らの権威を主張するためにも、「いだてん」は快走し続けなければならない。

純粋五輪批判第七話了

春日良一

第六話 国と個

視聴率が爆発しない「いだてん」が話題になっているが、よくよく考えてみれば、オリンピック好きと言われる日本人は実はそれほどオリンピックが好きではないのかもしれない。それが、「いだてん」の視聴率と比例しているのではないか?と反省してみる。

実感したのは、オリンピックのチケット抽選が始まった5月9日の10時。ネットを開き登録したIDでアクセス、希望するチケットを求めて、スイスイと行くに及んで、それほど人気がないのかなあ?と思っていたところ、次の段階でもう一つの抽選をしようとしたら、それ以上、動かなくなった。つまりアクセスが殺到し始めたのだ。ニュースでは「締め切りが5月28日なので、慌てる必要はない」との組織委員会のメッセージが出た。

日本人が関心があるのは本番。ところが、先日、新潟に出張した際、バレーボールをやめてそれほど時間が空いてない社会人の女性に「チケット申し込んだ?」って聞くと、「もう申し込むんですか?」そこで、「興味ないの?」って聞くと、「そうですね…」また都内の専門学校2年の女性に聞いても「周りもそんな関心ないみたい」という。

つまり、大会直前にならないと盛り上がらない。なぜ盛り上がるかと言えば、日本人選手が活躍しだして、「血」が騒ぎ出すから。それがきっかけで世界のトップアスリートの活躍にも感動するからということになる。

日本人がオリンピックに燃えるその本質は実はパトリオット(同族意識)であり、オリンピック自身ではない。オリンピズムが主張する「スポーツによる世界平和」あるいは「スポーツを通じた人々の融合」といった理念ではないということである。

オリンピズムを主張する私は、「いだてん」に溢れるオリンピック礼賛思想に感動し、共感するので、「いだてん面白し!」となるのだが、主人公の金栗四三は1912年のストックホルムでのオリンピックでは行方不明になったきりだし、1916年のベルリンは戦争で中止、絶好調なのに勝利の機会も奪われてしまった。となると同族愛も擽られない。

一方、オリンピズムを愛する私は、第19話で役所広司演ずる嘉納治五郎が吐く言葉に感動し、この言葉だけで第19話は完璧と思ってしまうのであった。それは、1920年にアントワープでの五輪開催を国際オリンピック委員会(IOC)が決めた書簡を嘉納が金栗に見せるシーンであった。

「最も被害が大きかったとされるベルギーでこそオリンピックを開く意味があるとベルギーのラトゥール伯爵が手をあげてくれたんだよ」

まさにオリンピズムである。ドイツに占領されたベルギーの被害は相当なものであった。戦争の犠牲となった多くの人々、とりわけベルギーの人たちの勇敢な行為をたたえる意味を込めて大会を実施することを追認したのは、大戦終了後にクーベルタンがIOC委員をローザンヌに呼んで行ったことである。

「いだてん」ではそこをラトゥール伯爵の勇気ある意思にまとめているが、実際は、1914年のIOCの会議で、1920年に第7回大会をすることを決めていた。1916年の第6回大会(ベルリン)が戦争で流れたが、第7回は予定どおり行うというIOCの意思こそ、もっと深くオリンピズムを表すものである。

なぜなら、そこにオリンピックを近代に復興させた意義が端的に表されているからである。ベルリンは戦争で中止されたが、アントワープは戦争を超えるのだ!という意気である。

ラトゥール伯爵が戦禍のアントワープで記者団を前に演説し、それに記者も賛同の拳を上げるシーンは、しかし、感動的であった。そして、嘉納が金栗に「戦争があってもオリンピックを開く!そこに意義があるんだよ」というその場面こそ、今の日本オリンピック委員会の人々に突き刺したい一言である。

「いだてん」の金栗四三は時折「こんどこそお国のために、金メダルをば」と言ったようなセリフを吐くが、このことと日本人がオリンピック大会直前にならないと盛り上がらないの心は同じところにある。そしてこれを金栗がどのように克服していくかを「いだてん」は示すべきだろう。

第二次世界大戦に出兵する人々もそれを送り出す人々も「お国のため!」と言った。しかし、オリンピズムは明らかに国別メダル獲得票を拒否する。オリンピックの名誉は選手個人に帰するからだ。

この矛盾に「いだてん」も常に問いかけを行っているのも見逃せない。肋木にぶら下がる人に嘉納が「面白いか?」と何度も聞く第一話のシーンが思い出されるが、金栗四三が走るのはただ自分のためであるという原点は常に想起されなければならないだろう。

自らが自らの好きなことに懸命になり、そのために心身を鍛え、その闘う姿を人々に問うことで、オリンピックが成立する。そのオリンピックが戦争を超えて、新しい人々の和を作る。個の努力が世界の和につながる。ゆえに金栗四三の走り続けることに意味がある。

そしてここが肝なのだが、金栗四三の言う「お国のため」は、紐解けば、自分勝手な自己実現を支えてくれている綾瀬はるか(妻)であり、大竹しのぶ(義母)である。つまり自分の血周辺である。同様に大会直前に盛り上がっていく日本人気質も血周辺である。

IOC現会長バッハが昨年2018年11月に東京で開かれたANOC総会で演説した。「パトリオティズムは健全な人間の心持ちである。しかしそれがナショナリズムになった時、IOCは黙っていない」私流に言えばオリンピズムはナショナリズムを利用してナショナリズムを超えるのである。

これから「いだてん」がオリンピズムを伝えれば伝えるほど、視聴率が上がると信ずるは我一人か?役所広司にいやいや嘉納治五郎に期待する。

純粋五輪批判第六話了

春日良一