その1 序章

私は社会学者でも歴史家でもない。スポーツ団体で17年間、アマチュスポーツの総本山と言われた日本体育協会(体協)と日本オリンピック委員会(JOC)で実務を行なってきたものに過ぎない。そのようなものが、スポーツの本質、あるいはスポーツ思想について語るのは、いささか暴挙の気がする。しかし、私は実務の中で、スポーツフォアオール(みんなのためのスポーツ普及運動)とオリンピックムーブメント(オリンピック理念の普及と実践)に携わり、様々な世界のスポーツ関係者と出会い共同作業を営む機会に恵まれた。その中で出会った一つの思想には特に心を奪われ、その実践に事務局として励んできた中で、現実の世界でこの思想が正しく伝えられていないという感じを抱くようになった。

それはスポーツとは何か?という問題でもあった。建前ではオリンピズム に基づいてスポーツ振興を続けていかなければならないとしても、本音ではその思想の現実化には無頓着に事業を継続していくスポーツ団体のあり方に常に疑問を持っていたからである。学問的に取り組むだけでは見えてこないスポーツの本質に関わる現実があり、単純にスポーツに親しむ中で生まれる喜びが現実の社会にどのように関わっていくべきなのかという主題が欠落している現状への不満でもあった。

また、マスメディアがスポーツを取り上げるときどこか表面的になり、ステロタイプな描き方があり、結果からしかスポーツが表現できないという現実があった。その競技に命をかける選手たちの内面に踏み込むには多大な時間が必要だろうが、スポーツを本質的に見る目があれば、もっと多くの人々が選手となり、その中から秀逸なエネルギーが見出され、社会に良きことをもたらすことができるのではないか?

私が出会った思想というのは、オリンピック理念とか、オリンピック精神と言われているもので、オリンピズム という一つの哲学である。

私はこの思想の実現化のため、1995年5月にJOCを退職し、スポーツコンサルティング会社「ゲンキなアトリエ」を作り、代表となった。体協時代、JOC時代、そしてゲンキなアトリエを通して私の中に培われた一つの信条を「私のオリンピズム」 として残したいと思う。真理とは何か?を求めて哲学を学び、一方でサッカーというスポーツで身を立てようとしてきた男の信ずるオリンピズム とは何か?そしてスポーツとは何か?私なりに綴りたい。

第十七話 いだてんロス

終わってしまった。

NHK大河ドラマ「いだてん」は12月15日に最終回を迎えた。全47回。純粋五輪批判はあっという間に置いてきぼりだ。私の時間感覚といだてんのスピード感はかなり違うものであった。年の瀬も押し詰まり日々人々が呟く「時の進むのが早い」というのが現実として感じられるところだ。

視聴率のあまりの低さに嘆息の向きもあったが、終わるとなると「いだてん」恋しの声を仄聞する。実際、録画して自分のスピードで見ていた人は多かったようだ。

最終回は1964年東京オリンピックの開会式当日の緊迫感を以て始まった。前日までの大雨が噓のように晴れ上がった快晴の東京。広島原爆投下の日に誕生した坂井義則が聖火台に続く階段を駆け上がる。向かって左側に立ち一旦観客席を見渡して、聖火を高々と掲げ、左に向き、聖火を点火するのであった。

日本通運が全国各地から陸送した鳩一万羽が放たれた上空に自衛隊のブルーインパルスが描く五色の輪はオリンピックシンボルを見事に表彰した。史上初の成功であり、以降これまでにも試みられたことはない。

一年前のリハーサル映像では三つめの輪がからまず五輪にならなかった。坂井の聖火も観客席をふりかえることなくそのまま点火されている。

開催準備の努力を見る演出だ。

いだてん金栗四三はドラマでは最終ランナーに嘉納治五郎から請われていたことを理由に坂井の最終ランナーに絡んでくるが、演出である。演出であるが素晴らしいストーリーになっているのではないか?昭和39年の東京五輪以降、日本のスポーツは躍進的な発展を遂げるが、スポーツ界の上層部の新旧交代が遅れ、その結果、低迷に続くことになる。昭和55年のモスクワ五輪ボイコット、1988年ソウル五輪の惨敗。それから平成元年の日本オリンピック委員会の体協からの独立へ進む。全ては世代交代の遅れである。

ドラマは金栗から坂井に聖火が受け継がれたことを示していた。

スポーツ界にとっての大きなメッセージと言っても過言ではない。最近頻発している競技団体の様々な問題もこの一点にある。平成元年の改革以降の新旧交代の失敗である。

ドラマのもう一つの軸。志ん生の落語。富久。主人公が走り回る落語。その区間の定番は浅草と日本橋だが、志ん生のは、浅草から芝まで伸びる。伸びる理由は、そこに唯一といっていい架空の人物、弟子の「五輪」が登場するのである。ドラマではこの家系がすべて創作上の人物で構成される。五輪にとっての祖母は五輪に日本人として初めて参加したもう一人の選手、三島弥彦の家に使える女中から、スポーツに目覚めて女子スポーツ黎明に臨むシマ。関東大震災でなくなるが娘が結婚する相手が金栗四三の弟子となる小松勝である。箱根駅伝の覇者として、オリンピック出場を目指しているが、戦争のため学徒出陣、満洲で志ん生の富久に距離が短いと談判した。そして、スッ スッハ ッ ハ ッの呼吸法など走法も伝授。その後、絵葉書に「志ん生の富久は絶品」とのメッセージを書き投函する。が、その後ソ連軍に射殺される。成人した「五輪」は志ん生に弟子入りして自らのルーツを探る。

最終回で「五輪」は最終聖火ランナーへ渡すランナー群に入り、その後そこから芝で高座を終えた志ん生に出入りを許される。富久の文脈で世代交代が象徴されていると思える。

各国選手団入り乱れた閉会式は語り草だが、ドラマもそこにクライマックスを置いている。そして、閉会式を終えた田畑政治に嘉納治五郎の声がする。「田畑ありがとう」そして、そこに無事閉会を報告する「いわちん」に田畑が「いわちんありがとう」

理想的な世代交代を示していた。

NHK大河ドラマ「いだてん」は終わったが、純粋五輪批判ではドラマが提示した課題をオリンピズムから解いていきたいと思う。

純粋五輪批判第17話了

春日良一

第十六話 いわちん登場

NHK大河ドラマ「オリンムピック噺~いだてん~」は既に第44回を迎えた。

早いものである。中々筆が進まず純粋五輪批判はやっと第16話。今年の春に始まった日刊ゲンダイの実践五輪批判は第17話になったのに。相変わらず視聴率はと言えば、低いようで私のように毎週月曜日に一人録画した「いだてん」を見るのが楽しみで仕方ない人間には、見ない人々が理解できない。え?録画は視聴率に反映されるのか?答えはノーだそうで、そうなると録画して楽しむ人が案外多いのではないか?と勝手な思いを抱く。

先々週、TBSのサンデージャポンっていう人気番組に呼ばれてオリンピックのことを話したが、そのときの辣腕の女性アシスタントプロデューサーがなんと「いだてん」ファンで、実は飛び上がるほどに嬉しかった。彼女も録画視聴組であった。

なぜ自分がこの番組の虜になったのか?

深く反省してみれば、自分が誠心誠意関わってきた世界がテレビドラマになる、しかもNHK大河ドラマという中で、という身内意識があったと思い至る。自分が知っている人がテレビに出ていただけでその番組が好きになるような感情に似ていたのかもしれない。

嘉納治五郎や金栗四三は実際に会ったことがない人々であるが、その思想に共鳴し彼らが築いた日本のスポーツ界の中で仕事をしてきたものにとってみれば、彼らとの関係にはかなりの臨場感がある。体協時代の日々の仕事の中で、常に嘉納治五郎の「体協設立趣意書」は頭にあった。しかし、それが、田畑政治となれば実際に同じ時空を共にした人であり、感情移入は強いものになる。体協理事会の姿を思い出す。そして、それが岩田幸彰となると実務を共にした人となり、ひょっとしたら、自分もそこに出てきそうな気分になる。

これが私の「いだてん」好きの原因だとしたら、視聴率は期待できないかもしれない(汗)

岩田は私とは役員と職員の関係だから、ちょうど田畑と岩田との関係のようなものだった。そんな私でも本人のいないところでは「いわちん」と呼んでいた。

1991年にオリンピックコングレスを日本で開くという命題がどこからともわき起こり、1986年からそのプロジェクトが始まった。コングレス準備委員会だ。コングレスとはオリンピック全体会のことで、8年に一度世界中のスポーツ関係者がIOC先導のもと一同に集まり、五輪哲学と将来のスポーツについて語り合う最大規模の会議である。

それを実現するのが、IOC会長サマランチからの要望で、JOC委員長の柴田勝治が本気で準備に取りかかった。いわちんは準備委員会の委員として、私は事務局として携わった。委員長は後にIOC委員となる岡野俊一郎であった。

時代は「いわちん」から同じ東大出の岡野に変わっていく頃だった。

さて「いだてん」は、東京開催が決まり準備に移行する段階で政治家がこの機に乗じて利権を追求する中、田畑がスポーツのために悪戦苦闘するという話しである。

田畑の自叙伝を読むまで知らなかったが、田畑の政治家を敵に回しての戦いぶりはまさに日本スポーツ界の魂であると感じる。その思いが今の私の懐にあると言ったら、言い過ぎだろうか?

「いわちん」はむしろ魂というより形が引き継がれたか?国際派がいかにかっこよく日本スポーツ界を立ち回るかを見せてくれた。我々が「いわちん」と呼んでいたその言葉がNHKで闊歩するのは痛快である。

浅野忠信演じる寝業師の川島正次郎は、政治がいかにしてスポーツを利用していくかを見事に示している。選手村が今の代々木公園になったのも田畑の熱い情熱の賜物だった。そこは米軍ファミリーの居住地区ワシントンハイツだったのだ。

選手村が競技会場のそばになくてはならないという信念は、田畑が1932年のロサンゼルス五輪に参加した時の経験からで、ロス五輪で初めて現在の形式の全選手団が一カ所に寝食を共にする選手村ができたのであった。

「共産主義、資本主義、先進国、途上国、黒人白人黄色人種、ぐちゃぐちゃに混じり合ってさあ、純粋にスポーツだけで勝負するんだ。終わったら選手村でたたえ合うんだ。そういうオリンピックを東京でやりたいんだ」

アベ田畑に語らせた言葉は五輪の哲学を端的に示している。それを実現するために汗を流せば、スポーツで平和な世界が見えてくるはずだ。そのために田畑は政治家をも利用するのだ。

しかし、それが後に田畑の足を引っ張る。

私も同様の経験がある。

それでも、やるしかないじゃんねぇ!

(敬称略)

純粋五輪批判第十六話了

春日良一

第十五話 嘉納治五郎の魂

NHK大河ドラマ「オリンムピック噺~いだてん~」第37回は「最後の晩餐」と称し、嘉納治五郎が1940年東京五輪開催へ向けた情熱を背景に「政治と五輪」の問題を鮮明に描いた。日中戦争が始まり、出兵する日本の青年を歓送する都民の間を東京五輪を目指して走る金栗四三と弟子の姿はその象徴である。

陸上出身の河野一郎議員に五輪開催反対論を主張させ、政治に支配された東京で五輪を開く価値はないと、まさに政治とスポーツの問題を先鋭化させる演出は分かりやすい。金栗四三が河野に食ってかかるため朝日新聞社に乗り込み、そこにいた田畑政治と交わす熱弁が、政治とスポーツ、五輪と戦争の問題を解決するヒントを与えている。

金栗が叫ぶ。「梯子を外された選手の気持ちわかりますか?」絶好調の時のベルリン五輪が戦争で中止となって参加できなかった金栗の魂の叫びだ。

田畑が叫ぶ。「どうして走る。どうして泳ぐ。わかんないじゃん。でもそれしかないんだよ。俺達には。オリンピックしか。戦争で勝ちたいんじゃない。走って勝ちたいんだ。泳いで勝ちたいんだ」

大会実行委員には、当然、政府や軍部からの派遣もある中、東京五輪開催の準備に暗雲が垂れ込めていた。そんな中、嘉納治五郎は1938年3月にカイロで開催された第37次IOC総会に赴き、大会準備報告をする。番組では何の準備もない中、各IOC委員から開催への憂慮が表明されるが、嘉納の「逆らわずして勝つ」スピーチが開催賛同を得たとしている。実際には、この時、札幌での冬季大会開催についてが主題であり、それに日華事変から対日嫌悪勘定が開催反対に傾く中、スキー競技を外して行うことで決着を付けたということがある。

事実は小説より奇なり。

だが、今回の嘉納治五郎の「私を信じてくれ。五輪に政治の居場所はない」という一言は何よりも嘉納の魂を示し、かつオリンピズムの真髄を突いている。英語でこう言った。「There is no place for Politics in Olympics」

宮藤官九郎は理解しているのである。

私はこれまでの大河の中で最も感動したのが、この「いだてん第37回」である。ここにオリンピックの精神が見事に表現されているからである。

さらに、本篇の後のエピローグ「いだてん紀行」がさらに圧巻だった。登場したのは山下泰裕。嘉納治五郎を語る彼は目に涙をためてこう言ったのだ。「柔道ってあの嘉納がつくったんだよな。その嘉納先生に対する思いが、1964年東京開催の柔道。今、日本オリンピック委員会の会長として、嘉納先生の志を受け継ぐ後継者の一人でありたいと思っています」

山下泰裕JOC会長に嘉納治五郎の魂を見た一夜であった。

純粋五輪批判第十五話了

春日良一

第十四話 ヒトラーと五輪

1936年ベルリン五輪はある意味、現在の五輪のフォルムを作った大会であった。ヒトラーがナチスドイツの威信を掛けて開いた大会には、ある意味オリンピズムの真髄も蓄積されていたのだ。

最も大きな遺産は聖火リレーであった。ギリシアのオリンピック遺跡で古式に則って太陽光から点火されたトーチが、7か国3000キロをリレーされてオリンピックスタジアムに到着し、聖火が灯される。いまではお馴染みの光景はこのベルリン大会で初めて行われたことである。

とは言えヒトラーが考案したわけではなく、カール・ディーム組織委員会事務総長などの古代五輪研究家たちの長年に亘る努力の結晶であった。ヒトラーはディームにこの聖火リレーのルートに当たるバルカン半島の調査を命じて、ディームと論争になったという。このことをディームが田畑政治に漏らして、ディームがヒトラーから諫言されたというエピソードがある。

ヒトラーが五輪に何を見ていたか?ということが最も肝心なところである。彼のナチズムの狙いは世界制覇にあったのであるから、オリンピックにその手段を見出していたはずだ。当初はオリンピック開催に反対していた彼が周囲から五輪の情報を得てオリンピックを学ぶ中で、直感的に感じるものがあったと思う。それがオリンピズムが持っている世界平和構築の原理だ。この平和の部分を削除すれば世界構築の論理であり、それはヒトラーの世界制覇にもってこいの原動力になりえた。

それは武器を使わずとも世界の人々の心を一つにできる優れたツールであるからであり、そこを感じることができたヒトラーはその意味で流石である。オリンピズムはしかし、ナチズムと違い、個人の自由と自律が前提の先の平和である。ナチズムの先には独裁による平和である。しかしゴールを手に入れる仕掛けに秀逸をヒトラーは見ていたのだろう。

ベルリン五輪はヒトラーのための五輪と揶揄されることが多いが、それは一方的な見方で、オリンピズムから見れば、逆にスポーツによる世界平和構築のダイナミズムをヒトラーの天才が引き出したと極論することもできる。

ヒトラーが五輪の構造を利用して世界制覇を企んだように、オリンピズムはヒトラーが築いた五輪基礎構造を利用して、世界平和を目指せばいいわけだ。

ヒトラーのユダヤ人迫害についても、国際オリンピック委員会(IOC)は警告を発し、それを重く受け止めたヒトラーは五輪の目の届くところでは一切ユダヤ人を差別することはなかった。五輪選手村の村長もユダヤ人だった。

NHK大河第36回ではベルリン五輪を描き、日本選手団随行通訳がユダヤ人であり、彼が大会終了後自殺したと伝えるが、実際は選手村の村長が自殺している。五輪の期間だけの疑似的ユートピアだったということだ。もし、五輪の期間が永遠に続けば、ユートピアも永遠に続くことになる。

オリンピズムをそこに視線を凝縮する。

オリンピズムは常に政治と闘う。しかしその闘いはしたたかでなければならない。政治に利用させつつ、政治を利用するやり方だ。それによって、気が付けばヒトラーもオリンピック儀典の基礎を作っていたということになってしまうのである。

田畑政治の名前が政治であるのが面白い。

(一部敬称略)

純粋五輪批判第十四話了

春日良一

第十三話 2.26

1936年、ベルリン五輪の年に二・二六事件は起きた。未明、雪の東京を闊歩する陸軍青年将校の足音から第34回「オリムピック噺~いだてん~」は始まった。緊迫する張り詰めた空気が見事に描かれていた。そういえば田畑さんは赤坂に住んでいたので、青年将校の通り道になっても不思議はない。大蔵大臣、高橋是清の暗殺の銃声がリアルに響いた。

2.26が私にとって身近になったのは、岡野俊一郎氏のおかげである。彼がJOCの総務主事時代に誘ってくれた銀座のマドンナという老舗のバーで、そこの名物女将?!ママさんが私にその日のことを話してくれたからだ。まさに決起する青年将校がマドンナで呑んでいたそうだ。雪が降ってきたので、ママはその一人に家まで車で送ってもらったそうだ。それが、その後、事件を起こすなどとは思ってもみなかったそうだ。岡野氏は小石川高校( 都立第五中 )の頃からマドンナに通っていたという。しかも「俺は学割だったんだ」と威張ってみせた。いつも毅然として事務局にやってくる岡野総務主事がママに「俊ちゃん」と呼ばれているのが面白かった。「俊ちゃんはちっちゃい頃から常連だったわね」後から、岡野氏が築いた人脈の多くはこのマドンナに来る客からのものだったと聞いた。流石に2.26の時は4歳だった岡野氏がマドンナにいることはなかっただろうが、老舗岡埜栄泉の社長は来ていたのだろう。

「オリンムピック噺」が描くように田畑政治は犬養毅にも高橋是清にも堂々と会っていた。スポーツ界の人間が政治家に気後れすることはなかった。

第34回「オリンムピック噺~いだてん~」はそのような戒厳令下の日本にIOC会長ラトゥールを招き、1940年五輪開催都市としてのアピールをする「おもてなし」の姿を描く。当時の新聞情報も駆使した描き方はリアリティがあり、胃の腑に落ちる。

軍国主義が蔓延る中、嘉納治五郎をはじめとするスポーツ界の要人は頑固として譲らないところは譲らないとしていた。もっと言えば闘っていいた。

「いだてん」では取り上げられていないが、日本が五輪に参加するようになる土壌として極東大会といういわばアジア大会のルーツというべきものがあり、第十回大会は、1934年にフィリピンのマニラで開催された。この大会の代表派遣に陸軍は満州国代表を参加させろと言ってきて、もしそれができないのならば、日本代表を派遣するなとの圧力をかけてきたという。

これに対して、スポーツ人は毅然とした態度を貫いた。実際に水泳選手や陸上選手が右翼に襲われたり、不参加を強要されたが、頑として参加を主張したという武勇伝もある。軍部のスポーツ界への圧力は相当なもので、長いものには巻かれろ根性の大学では「選手を出さない」と言い始めたそうだが、その時田畑政治はアマチュアスポーツの命のために体を張った。田畑が記者であった朝日新聞だけは、極東大会ボイコットを呼びかける他の新聞社とは違い、「参加せよ」を貫いた。

サッカーの竹腰重丸と陸上の渋谷寿光を満州に派遣し満州国を説得し、右翼の執拗な攻撃にも屈しなかった。田畑自身が自伝でこう言っている。「とにかく、当時のスポーツ人は偉かった。名誉会長の嘉納治五郎さんも、IOC委員の杉村陽太郎さんも『参加せよ』を激励してくださった」

「とにかく私はスジを通して軍部に屈しなかったことを誇りに思っている。スポーツは純粋でなくてはならない。権力とくに暴力に負けなかったことは今でも自慢できる」とは田畑の言葉だ。

「オリムピック噺~いだてん~」がこのストーリーを取り上げたら、もっと迫力あるシーンができたかもしれない。サッカーの竹腰重丸さんは私のようなサッカー小僧には雲の上の存在だったが(私がサッカーを始めた小6の頃、彼はサッカー協会会長だったはず)、その人が若かりし頃、スポーツのために覚悟を決めて軍部と闘う決心をする場面などは、絵にしてほしいところだ。彼は夜半自宅の庭に出て抜き身の日本刀を構え、暴力には真剣をもっても対決して屈せずと、月の光に日本刀を輝かせて心を正したという。

まさに私がスポーツ人に期待する姿だ。

私もJOC現役時代、夜半、家を飛び出し、大木に向い木刀を振りかざし、私のJOC改革に刃向かう敵の像を切ったものだ。

今のスポーツ界に本当のサムライがいない。自らの出世と保身が第一の人々にスポーツ界を変える力はない。心してオリンピズムを論じるところだ。

(一部敬称略)

純粋五輪批判第十三話了

春日良一

第十二話 スポーツ外交

オリンピズムはスポーツで世界に平和をもたらす、平和な世界をつくるという哲学である。哲学であるからそれを現実化する努力が求められる。これまでこの世から戦争がなくなったことがないのはなぜか?平和な世界を求めるのは万人の願いではないのか?それらの難問に一発で蹴りを付けるにはスポーツがベストである。そこには良いも悪いも存在しない。あるのは公平(フェアネス)ということだけだからだ。

スポーツ外交という言葉がある。この言葉も曲解すれば全く別に意味になってしまうことを私自身がVTR出演した番組で経験した。平昌五輪で女子アイスホッケー統一コリアチームが直前に誕生したことを政治がスポーツを利用しているとして、多くのメディアが批判した。私はこの時、荻村伊智朗氏が国際卓球連盟会長として行った1991年の世界卓球選手権の統一コリアチームの実現を想起し、五輪で初めての統一コリアを肯定した。これはスポーツの場でしか実現できないことであり、政治によっては叶わない現実であるからだ。そしてそこに至るまでのスポーツ人による交渉をスポーツ外交と解説した。

しかしスタジオでは、政治評論家が「いよいよ北朝鮮がスポーツを外交手段に使うというところにシフトしてきたのですね」と語り、政治がスポーツを使うことをスポーツ外交と解釈したのである。そこから番組はスポーツ外交が良くないこととして展開していく。

ポイントはスポーツ外交は相手を認めるために闘い、政治は相手を潰すために戦うということである。統一コリアチームの実現は互いを認め合うために行われた。それは金正恩氏と文在寅氏がオリンピズムに服した象徴となる。相互の政治的思惑を超えたところで、南北が一つになるという夢を表現したのである。

果たして、NHK大河「オリンムピック噺~いだてん~」第33回は、1940年五輪招致を巡る日本の駆け引きについてであった。在イタリア日本大使となったIOC委員の杉村陽太郎がローマの立候補を取り下げてもらうという工作をムッソリーニに対して水面下で行い、その結果、ローマの辞退を獲得した。このことは果たしてオリンピズムから見て正しかったのだろうか?これはスポーツ外交と言うべきものだろうか?

杉村大使の奮闘によって、「イタリアの政府は第12回大会を東京に招致せんとする日本の希望を支持することを決定した」というムッソリニー首相の通告を取り付けた。政治的交渉の結果である。しかし、オリンピズムはこれは政治的手法によって、政治的解決をもたらしたとしか判断しない。

大河もIOCがこの工作を政治的と見て1935年のIOC総会で決すべ開催地決定を翌年のベルリンでの総会に延期するラトゥールIOC会長の威厳ある宣告を見事に映し出した。

五輪を立候補するのは都市であり、国ではないこと、ムッソリーニ首相が通告してもローマが立候補することは可能であること、そして、ムッソリーニの通告は政治のスポーツへの介入と捉えること。あくまでもスポーツはスポーツで決めなければならないこと。最もオリンピズムが重視することである。

杉村陽太郎は窮地に追い込まれ、IOC委員を辞任することになる。IOCの求めるスポーツ外交は、政治的にローマの立候補を取り下げさせることではなく、ローマと正々堂々と招致を闘うことだからである。

スポーツ外交と政治的外交の違いについては、私の体験からも語れることがある。これについては、次回、日刊ゲンダイのコラムに譲ることにする。それはバルセロナ五輪の時のことである。

宮藤官九郎は杉村陽太郎の落胆ぶりを「日本への一票はすなわち嘉納治五郎への一票なんだ。・・・俺は嘉納治五郎にはなれない」

しかし現実はこうだ。

「政治的取引はスポーツ外交に叶わない」

これがオリンピズムの極意である。

純粋理性批判第十二話了

春日良一

第十一話 1940年の東京五輪

ある評論家に「田畑さんはあんな風だったんですか?」と不思議そうに聞かれた。実際に知っている田畑政治さんは既にご高齢で、車椅子で体協理事会に来られていたので、阿部サダヲ演ずる若き田畑さんは想像するしかない。先輩諸氏から仄聞する数々の武勇伝からイメージすると阿部サダヲ田畑政治はあり得る気がする。政府が何と言おうが五輪の運営はスポーツ専門人がやるしかないと1964年の東京五輪では一歩も引かなかった男である。若き頃に上司をなんとも思わず、自分の信念のためには突き進む、そういう人間でないと五輪は招致できない。

またなぜか黎明期のアスリートやスポーツ団体関係者には新聞社出身が多い。新聞記者の魂は体制批判であるだろうから、政治と渡り合うのは当然のことであっただろう。

大河は本日第33回となり、1940年の東京五輪招致の話になっている。前回の32回から独裁者ムッソリーニ首相のイタリアの首都ローマが立候補の強敵として紹介される。国を挙げての支援体制とともにオリンピックスタジアムが既に完成されているという情報もある。そこで「逆らわずして勝つ」嘉納治五郎は、ムッソリーニに直談判して、東京に譲ってもらおうとする。折しも日本から三人目のIOC委員となった杉村陽太郎は、ローマにイタリア大使として赴任することになり、この交渉実現の労を取る。ムッソリーニからのローマ立候補辞退の確約を得るも、IOC総会にはローマの立候補があった。

そんなわけはない!という杉浦の主張は、IOC会長ラトゥールに拒否される。オリンピック理念は政治からの自律を本懐としているからである。嘉納治五郎はスポーツ故のアプローチでムッソリーニという時代の政治家にアプローチする。この手法こそスポーツ外交と呼ばれていい。スポーツが政治を利用して国と国の争いを融和することこそクーベルタンが求めていたところだろう。

大河はラトゥールに五輪理念を背負わせつつ、田畑政治には「オリンピックは単なる運動会」と言わせるなどバランスを取っているが、1940年の五輪招致には明らかに日本の国威発揚の意図があったはずで、紀元2600年の大行事の一つとして考えられていた。このことを知りつつも、五輪を呼ぶ意味があったのは、そこに戦争回避の仕掛けが存在したからだ。

満州事変が起き、日本は国連から脱退し、日本の軍事力強化が図られる時勢の中で、東京に五輪を招くことによって、東京自身が変革され、新しい日本ができるという明るい未来が希望できた。スポーツ施設や交通網の整備にかなりの経費をかけなければならない。それが必要だという意識が生まれれば、そこにお金を費やすことになり、結果、軍事費に回らなくなる構造ができる。

オリンピックが世界平和を作るという理念は、さまざまなところで、実現への礎石を打っているのである。その一つが五輪にお金をかけるのは平和につながる!ということである。国家プロジェクトとして五輪に投資することは、軍事費の抑制につながるだろう。

日本は1940年の五輪招致を成功させるが、それは次回の展開になる。戦争が起きてオリンピック開催を辞めるのか?むしろそうだからオリンピックを開催するというのが、より効果的な防衛につながり平和構築への一歩となる。

純粋理性批判第十一話了

春日良一

第十話 前畑秀子

「がんばれ!前畑」で有名な前畑秀子は本当に努力家だった。彼女の自伝は涙なしでは読めない。昭和初期の日本の貧しさを代表するような家庭にあって、泳ぐことを諦めなかった日本女子の凄さがある。大河は第31回となり、1932年の第10回オリンピアード、ロサンゼルス大会での日本水泳の活躍ぶりが描かれる。日系人の大声援の中で18歳の前畑は見事にオリンピックレコード、世界新記録で銀メダルを獲得する。男子チームの全種目金メダルの期待とは裏腹に女子チームへの期待はそれほどなかった中で、前畑もなんとか6位に入賞しようという気持ちでスタート台に立っていた。

この気持ちが奏功したメダル獲得だったと思う。それから52年後に同じスタート台に同じ種目で立つ長崎宏子は、16歳で日本水泳界の全期待を背負い、調子の出ない不安を抱えながらスタート台に立った。その違いは、ゴール前25メートルの力泳に現れる。前畑はただひたすら泳ぎ、自分のことしか考えていない。しかし、長崎はターンするたびに自分のポジションを感じ、そして、武器であった最後25メートルのダッシュを、隣を泳ぐ選手のスパートに合わせて5メートル早めてしまう。その結果、最後の5メートルでは手足に全く力が入らなかったというのだ。思えば、12歳で日本代表になった長崎宏子がその年でオリンピックに出ていたら、前畑と同じように一生懸命だけで泳いでメダルをそれも一番いい色のメダルを得ていたかもしれない。モスクワボイコットが悔やまれる。

長崎宏子は前畑秀子の再来のように日本水泳界の期待を担ったが、時代も環境も大きく違い、期待するようにはならなかった。そこにスポーツの悲哀を見る。

国民の期待という実体なき空気が選手に及ぼすものは余りにも大きい。ロサンゼルス五輪の銀メダルで有終の美と思っていた前畑はその後ベルリン五輪への挑戦をすることになる。国民の期待という空気が前畑の引退を許さなかった。その五輪で前畑にかかったプレッシャーはひょっとするとロサンゼルスの時の長崎宏子へのそれと同じほどのものだったかもしれない。

その空気に対して、オリンピズムは選手に問う。「君の使命は何か?」と。答えは平和構築の戦士であり、そのためには「より速く」を求めて全力を尽くすことしかない。その時、空気は水に変わるのだ。

それにしても第30回は感動のドラマだった!これで視聴率が低いと言うのなら、視聴者が悪いとしかいいようもない。日本選手団の活躍は日系人に誇りを取り戻させた。

南部忠平(陸上競技三段跳) 宮崎康二(競泳男子100m自由形) 北村久寿雄(競泳男子1500m自由形) 清川正二(競泳男子100m背泳ぎ) 鶴田義行(競泳男子200m平泳ぎ) 宮崎康二・遊佐正憲・ 横山隆志・豊田久吉(競泳800mリレー) 西竹一(馬術大障害)

7個の金メダルである。特に水泳は全部で12のメダルを獲得するという大活躍ぶりであった。その様子を宮藤官九郎は選手団が帰国に向かうバスを止める日系の老人の言葉で見事に示した。「あなたたちのおかげで白人が私たちを認めてくれた。日本人を認めてくれた」そしてバスを取り巻く日系人たちが一斉に声を上げる。「私は日本人だ!」と。

オリンピズムはナショナリズムを超越しなければならない。しかし、健全なパトリオティズムは肯定する。自己肯定の中から生まれる熱狂を歓迎する。

犬養毅暗殺事件以来、暗い日本を明るくする。そのために全種目で金メダルを取る!を目標にした田畑政治は、図らずも水泳ニッポンの活躍によって、日系人にニッポンの元気を回復させたのである。

誠にスポーツは世界を変える力があるのである。それは国を超えた力ではないだろうか?

次回第32回に前畑のベルリンへのスタートが描かれるはずだ。

そしてナショナリズムとオリンピズムの闘いは熾烈になる。

純粋五輪批判第十話了

春日良一

第九話 人見絹枝

私が初めて人見絹枝という名前を聞いたのは父からだった。下宿屋を営んでいた我が家では、夕食後に下宿人の小中高の先生たちや高校生のお兄さんが集まりお茶を飲みながら父の話を聞く時間があった。海軍航空隊の少年兵として戦争を体験し、戦後、浮浪児のために児童福祉士となった父親の体験談は面白可笑しく盛り上がった。陸上100メートルの県記録を持っていた父はスポーツ好きでもあり、戦前戦後のスポーツ人の話にも花が咲いた。

しかし、NHK大河「いだてん」が人見絹代を取り上げて、初めて私は人見絹枝に出会った。人見絹枝がアムステルダムの第九回オリンピック競技大会で銀メダリストとなったのは、1928年である。父が4歳の時だ。父は一つ年上の長男が小学一年生で運動会のかけっこに登場すると長靴をはいたまま一緒に走ってしまったという。小学五年の時、六年の兄とリレーのアンカーとなり、兄を抜かして一等となった。喜び勇んで帰宅すると大祖母に拳骨を食らい室(むろ)に入れられたという。走るのが大好きな父にとって、人見絹枝はスーパースターだったのだろう。

番組では第26回で人見のアムステルダム五輪、陸上800M女子で見事に銀メダルを獲得する人見に焦点を当てるが、それまでの回で、岡山女学校時代のテニスでの活躍やその後二階堂体育塾時代の文武両道ぶりを端的に描いてみせている。

身長170㎝と当時としてはかなりの長身の人見が「化け物」「大女」と呼ばれて、運動でも男勝りの活躍をすると、それを揶揄する人々がいて、学問にも秀で文学に関心が高かった彼女が、陸上を続けることを悩むシーンが取り上げられ、女子スポーツの社会的な認知との闘いが流れの軸とされていた。

実際は人見はかなり前向きで明るいアスリート気質であったと思われ、彼女の前向きな取り組みが必ずしも悲劇的なものであったとは思えない。しかし、一方で国民の期待に応えようとするプレッシャーは相当なものであった。大会前に三段跳びで世界新記録まで出している人見への期待は大きかったが、必勝と思われた100メートルが準決敗退となり、未経験の800メートルに挑戦しようとする人見に「女子選手全員の希望が、夢が、私のせいで立たれてします!お願いです。やらせてください!」と懇願させている。

人見絹枝を演じたのは菅原小春。人見のアスリート気質とは違うものを感じていいたが、彼女の本職がダンサーであることを知り、納得。アスリート気質よりも初挑戦の世界にかける切羽詰まった感じが人見絹枝が背負っていたものをひしひしと感じさせた。

国の期待のプレッシャーと女子スポーツ認知への闘争が背景に描かれている。人見の背負っていたものがそこまで大きかったとは思ったことがなかったが、24歳の若さで早世したことを思うと彼女の内心に刻まれていた使命というのは相当に重いものであったと思う。

実際、国の期待を背負うということがどれだけ凄まじい重荷であるのか、また女子スポーツ認知という大義がどれだけの負担であったか、その状態を背負った人にしか分からない世界である。

「人見絹代、すごい選手がいたんだ!」幼い私に刻まれた父の言葉の意味がやっと分かった。

純粋五輪批判第九話了

春日良一