タカクノウが久能孝徳として世界グラップリング選手権でチャンプとなったときのどうしようもないレポートです。でもタカクノウへの思いが綴られているのではないでしょうか?

木村正彦以来、初めて柔術家からタップを奪った柔道家、伝説の男、タカ・クノウこと久能をプロの総合格闘家として育てる仕事を2005年から始め、様々な舞台を用意してきたが、打撃でのハンディを克服するに至っていなかった。折りしも、2008年、国際レスリング協会(FILA)が本格的に関節技のレスリング部門に集中し、グレコ・ローマン、フリースタイルに続く第三の種別として、グラップリングの世界選手権を開くことになった。打撃のない戦いの中で、原点に戻る機会と捉え、タカを第1回世界選手権大会(スイス)に参加させることとした。結果、NO-GIで銅メダルを獲得した。しかし、目指すは関節技の頂点であった。翌年、米国での第2回大会に参加した。結果は、NO-GI,GIとも銅メダル。内実はあがったが、メダルの色は変わらなかった。そして、急遽開催の決まった今大会、すなわち第3回世界グラップリング選手権(ポーランド)には、三度目の正直を求めた。日本グラップリング連盟事務局長にその熱意を伝え、小生も選手団の一員としてタカのサポートができるようになった。そして、NO-GI銀、GI金となり、悲願が達成された。NO-GIでは、1回戦から3回戦まですべて一本勝ちし、それも攻められているような状態で、間接を決める勝ち方を見せ、場内の観客はもちろん、各国選手団の選手、監督からも敬愛を集めた。決勝では、身長差が20cmはあるスウェーデンの選手との対戦となったが、多くはタカのマジックを期待していた。ポイントで1点を取られた後も、落ち着いてチャンスを狙い1点を返したが、一本に拘った結果、エスケープポイントを放棄し、2-1で判定負けとなった。その夜、勝ちに拘らない姿勢と、勝利以上の結果を残した「侍」らしき振る舞いを賞賛したが、それで結果を出すことで、タカ自身の求める「闘わない戦い」が初めて実現できるのだとも言質した。翌日のGIは、タカ自身の闘い方の性質から、NO-GIよりも苦手意識が強かったが、ポイントを取られない戦法に終始し、結果、3試合を勝ち抜き、金メダル獲得に至った。前日のNO-GIでの勝ちっぷりを期待していた観客、選手、役員たちはこぞってタカに声援を送り、第2試合の地元ポーランド選手との対戦でもタカへの応援が上回るほどの勢いであった。昨日の無念が晴れた時、鎌賀団長がタカを肩車し、マットを一周した時には、場内の興奮は頂点に達した。私もタカと歩んだ5年の歳月がどっと胸中に押し寄せてきた。私が彼に求めたものは金メダルという結果ではなかった。彼の戦いぶりの奥深さだった。NO-GIでは、ゆとりを持って相手を見つめ、相手の攻撃を受け止め、窮地に追い込まれているような状態から間接を決める。そして、その結果に奢らない。GIでは背筋を伸ばし、相手の攻めを許さず、常に堂々と渡り合う。その他の選手が必死になって相手に組み付き、勝利を狙う我武者羅な姿と一線を画す、優雅と言っても過言ではないほどの立ち居振る舞いであった。そのことに十分な満足を感じていたタカのプロデューサーとして、金メダルという結果は、有難きご褒美であった。タカの結果を待ち望んで忍耐強く支えてくれた鎌賀団長、そして、試合当日、現場での情報収集に精力的な動きを見せ献身的に働いてくれた白井コーチ、自らの試合があるにも関わらず、選手としての視点から適切なアドバイスをくれ、セコンドとしても対応してくれた安見、山田の両選手に心からの感謝を捧げる。そして私の夢であった「結果の先にある道を求める」闘いを演じてくれたタカに思いを込めて「ありがとう」を贈る。

2010年4月1日
日本選手団 副団長 春日良一