第四話 戦争と五輪

気が付けばNHK大河ドラマ「いだてん」は第16回まで来ている。主人公、金栗四三は1912年のストックホルム五輪に参加したが、途中棄権という結果に終わる。その後、次のベルリン五輪を目指し、只管走り、練習一筋の日々が描かれる。一方、ベルリン五輪は第一次世界大戦の勃発により中止の止む無きにいたる。ドラマは金栗の走る姿を見つめる嘉納治五郎の胸中を映す。オリンピックと戦争というテーマを突き付ける。

ベルリンオリンピックは第6回オリンピック競技大会である。ドラマでは大日本体育協会の理事会で英国帰りの二階堂トクヨ(日本女子体育大学創設者)が、嘉納治五郎がベルリン五輪派遣費用について話し合おうとすると、「ヨーロッパは今そのような状況ではない!」と非難し、ベルリン五輪が戦争の影響で開催できなくなる状況を表現している。

しかし、実際には、ベルリン五輪開催は諦められていなかった。ギリギリまで。オリンピック運動の研究者であるカール・ディーム博士を中心に進められた準備は、グリューネワルドのオリンピックスタジアムを1913年6月1日に竣工しているが、1週600メートルのトラック、3万3千人の観客数、しかも100メートルプールが併設されていたという。準備は本気だった。

1914年6月28日にこの競技場で全ドイツオリンピック代表選考会が行われたその日、ドイツ同盟国のオーストリア皇太子夫妻がセルビアのサラエボで暗殺されたという悲報がこの会場に響いた。スタジアムは騒然となり、弔旗が掲げられた。まさに、戦争が五輪を圧迫した構図である。

ドラマではトクヨの非難に、嘉納治五郎が反論する。

「関係ないっ!政治とスポーツは別だ。オリンピックは平和の祭典であり、スタジアムは聖域だ。国家だろうが、戦争だろうが、若者の夢を奪う権利は誰にもないんだよ!」

実際にはこのような議論はなかっただろうが、この一言は、嘉納治五郎の精神を言いえて妙である。オリンピズムを代弁しているとも言える。最も重要なポイントは「オリンピックスタジアムは聖域である」との部分だ。宮藤官九郎のオリンピズム理解はなかなかである。元々古代五輪では選ばれた選手はある地域に集められれ、各ポリスの選手が一緒に一定期間共に過ごし、共に練習して、本番に臨んだ。その「聖域」には選手以外は入ることができなかった。それが選手村の起源でもある。オリンピックの開催されている場所はオリンピックの理念だけで運営されなければならない。

巷でも「スポーツと平和」については良く語れることであるが、多くの捉え方は、「スポーツができるような平和な社会を作っていかなければならない」という言い方である。しかし、嘉納が言っているのはそうではない。例え戦争が起こっていてもオリンピックを開催することが大事なんだ!ということである。

実際、1995年11月にサラエボでスポーツフェストを開くために訪れた時、私が見たのはスナイパーの攻撃で銃弾を浴びまくった体育館に暗幕を貼り、体操を続けた人々であり、安全な状況があれば、トラックの駐車場でサッカーボールを蹴り続けた少年たちだった。スポーツが希望になる世界だった。

それによって、戦争をする意味がなくなるほどの状況をスポーツが作れるようになれば、スポーツによる世界平和構築の実現ということになるのだ。そしてそれを実現するための運動がオリンピック運動なのである。

「スポーツと平和」ってどう思いますか?と投げかけて、返ってくる答えで、その人がオリンピズムを理解しているかどうかが裁かれる。多くのスポーツ関係者が「スポーツのできるような平和な社会」を語る。

「いだてん」第16回のエピローグで、戦争で休止となった五輪や政治の影響を受けた五輪について映像が流れた。アフガニスタンへのソ連侵攻に抗議した米国などのモスクワ五輪ボイコットで犠牲になったレスリングの高田裕司選手の涙の抗議は当時を想起させ、胸に迫るものがあった。その締めくくりに日本レスリング協会の役員となった高田専務理事が振り返った。「結果としては(ボイコットがあって)今は良かったかな?」と。

1896年以来、4年に一度開催されてきたオリンピックは第6回大会中止やむなきに至った。しかし、古代オリンピックの伝統に則り、その4年後に開催された1920年のアントワープ五輪は、第7回オリンピック競技大会となった。

いかなる戦争が起きたとしてもオリンピズムは死なず!ということである。

純粋五輪批判第四話「戦争と五輪」了

春日良一