「がんばれ!前畑」で有名な前畑秀子は本当に努力家だった。彼女の自伝は涙なしでは読めない。昭和初期の日本の貧しさを代表するような家庭にあって、泳ぐことを諦めなかった日本女子の凄さがある。大河は第31回となり、1932年の第10回オリンピアード、ロサンゼルス大会での日本水泳の活躍ぶりが描かれる。日系人の大声援の中で18歳の前畑は見事にオリンピックレコード、世界新記録で銀メダルを獲得する。男子チームの全種目金メダルの期待とは裏腹に女子チームへの期待はそれほどなかった中で、前畑もなんとか6位に入賞しようという気持ちでスタート台に立っていた。
この気持ちが奏功したメダル獲得だったと思う。それから52年後に同じスタート台に同じ種目で立つ長崎宏子は、16歳で日本水泳界の全期待を背負い、調子の出ない不安を抱えながらスタート台に立った。その違いは、ゴール前25メートルの力泳に現れる。前畑はただひたすら泳ぎ、自分のことしか考えていない。しかし、長崎はターンするたびに自分のポジションを感じ、そして、武器であった最後25メートルのダッシュを、隣を泳ぐ選手のスパートに合わせて5メートル早めてしまう。その結果、最後の5メートルでは手足に全く力が入らなかったというのだ。思えば、12歳で日本代表になった長崎宏子がその年でオリンピックに出ていたら、前畑と同じように一生懸命だけで泳いでメダルをそれも一番いい色のメダルを得ていたかもしれない。モスクワボイコットが悔やまれる。
長崎宏子は前畑秀子の再来のように日本水泳界の期待を担ったが、時代も環境も大きく違い、期待するようにはならなかった。そこにスポーツの悲哀を見る。
国民の期待という実体なき空気が選手に及ぼすものは余りにも大きい。ロサンゼルス五輪の銀メダルで有終の美と思っていた前畑はその後ベルリン五輪への挑戦をすることになる。国民の期待という空気が前畑の引退を許さなかった。その五輪で前畑にかかったプレッシャーはひょっとするとロサンゼルスの時の長崎宏子へのそれと同じほどのものだったかもしれない。
その空気に対して、オリンピズムは選手に問う。「君の使命は何か?」と。答えは平和構築の戦士であり、そのためには「より速く」を求めて全力を尽くすことしかない。その時、空気は水に変わるのだ。
それにしても第30回は感動のドラマだった!これで視聴率が低いと言うのなら、視聴者が悪いとしかいいようもない。日本選手団の活躍は日系人に誇りを取り戻させた。
南部忠平(陸上競技三段跳) 宮崎康二(競泳男子100m自由形) 北村久寿雄(競泳男子1500m自由形) 清川正二(競泳男子100m背泳ぎ) 鶴田義行(競泳男子200m平泳ぎ) 宮崎康二・遊佐正憲・ 横山隆志・豊田久吉(競泳800mリレー) 西竹一(馬術大障害)
7個の金メダルである。特に水泳は全部で12のメダルを獲得するという大活躍ぶりであった。その様子を宮藤官九郎は選手団が帰国に向かうバスを止める日系の老人の言葉で見事に示した。「あなたたちのおかげで白人が私たちを認めてくれた。日本人を認めてくれた」そしてバスを取り巻く日系人たちが一斉に声を上げる。「私は日本人だ!」と。
オリンピズムはナショナリズムを超越しなければならない。しかし、健全なパトリオティズムは肯定する。自己肯定の中から生まれる熱狂を歓迎する。
犬養毅暗殺事件以来、暗い日本を明るくする。そのために全種目で金メダルを取る!を目標にした田畑政治は、図らずも水泳ニッポンの活躍によって、日系人にニッポンの元気を回復させたのである。
誠にスポーツは世界を変える力があるのである。それは国を超えた力ではないだろうか?
次回第32回に前畑のベルリンへのスタートが描かれるはずだ。
そしてナショナリズムとオリンピズムの闘いは熾烈になる。
純粋五輪批判第十話了
春日良一