第十四話 ヒトラーと五輪

1936年ベルリン五輪はある意味、現在の五輪のフォルムを作った大会であった。ヒトラーがナチスドイツの威信を掛けて開いた大会には、ある意味オリンピズムの真髄も蓄積されていたのだ。

最も大きな遺産は聖火リレーであった。ギリシアのオリンピック遺跡で古式に則って太陽光から点火されたトーチが、7か国3000キロをリレーされてオリンピックスタジアムに到着し、聖火が灯される。いまではお馴染みの光景はこのベルリン大会で初めて行われたことである。

とは言えヒトラーが考案したわけではなく、カール・ディーム組織委員会事務総長などの古代五輪研究家たちの長年に亘る努力の結晶であった。ヒトラーはディームにこの聖火リレーのルートに当たるバルカン半島の調査を命じて、ディームと論争になったという。このことをディームが田畑政治に漏らして、ディームがヒトラーから諫言されたというエピソードがある。

ヒトラーが五輪に何を見ていたか?ということが最も肝心なところである。彼のナチズムの狙いは世界制覇にあったのであるから、オリンピックにその手段を見出していたはずだ。当初はオリンピック開催に反対していた彼が周囲から五輪の情報を得てオリンピックを学ぶ中で、直感的に感じるものがあったと思う。それがオリンピズムが持っている世界平和構築の原理だ。この平和の部分を削除すれば世界構築の論理であり、それはヒトラーの世界制覇にもってこいの原動力になりえた。

それは武器を使わずとも世界の人々の心を一つにできる優れたツールであるからであり、そこを感じることができたヒトラーはその意味で流石である。オリンピズムはしかし、ナチズムと違い、個人の自由と自律が前提の先の平和である。ナチズムの先には独裁による平和である。しかしゴールを手に入れる仕掛けに秀逸をヒトラーは見ていたのだろう。

ベルリン五輪はヒトラーのための五輪と揶揄されることが多いが、それは一方的な見方で、オリンピズムから見れば、逆にスポーツによる世界平和構築のダイナミズムをヒトラーの天才が引き出したと極論することもできる。

ヒトラーが五輪の構造を利用して世界制覇を企んだように、オリンピズムはヒトラーが築いた五輪基礎構造を利用して、世界平和を目指せばいいわけだ。

ヒトラーのユダヤ人迫害についても、国際オリンピック委員会(IOC)は警告を発し、それを重く受け止めたヒトラーは五輪の目の届くところでは一切ユダヤ人を差別することはなかった。五輪選手村の村長もユダヤ人だった。

NHK大河第36回ではベルリン五輪を描き、日本選手団随行通訳がユダヤ人であり、彼が大会終了後自殺したと伝えるが、実際は選手村の村長が自殺している。五輪の期間だけの疑似的ユートピアだったということだ。もし、五輪の期間が永遠に続けば、ユートピアも永遠に続くことになる。

オリンピズムをそこに視線を凝縮する。

オリンピズムは常に政治と闘う。しかしその闘いはしたたかでなければならない。政治に利用させつつ、政治を利用するやり方だ。それによって、気が付けばヒトラーもオリンピック儀典の基礎を作っていたということになってしまうのである。

田畑政治の名前が政治であるのが面白い。

(一部敬称略)

純粋五輪批判第十四話了

春日良一