第十五話 嘉納治五郎の魂

NHK大河ドラマ「オリンムピック噺~いだてん~」第37回は「最後の晩餐」と称し、嘉納治五郎が1940年東京五輪開催へ向けた情熱を背景に「政治と五輪」の問題を鮮明に描いた。日中戦争が始まり、出兵する日本の青年を歓送する都民の間を東京五輪を目指して走る金栗四三と弟子の姿はその象徴である。

陸上出身の河野一郎議員に五輪開催反対論を主張させ、政治に支配された東京で五輪を開く価値はないと、まさに政治とスポーツの問題を先鋭化させる演出は分かりやすい。金栗四三が河野に食ってかかるため朝日新聞社に乗り込み、そこにいた田畑政治と交わす熱弁が、政治とスポーツ、五輪と戦争の問題を解決するヒントを与えている。

金栗が叫ぶ。「梯子を外された選手の気持ちわかりますか?」絶好調の時のベルリン五輪が戦争で中止となって参加できなかった金栗の魂の叫びだ。

田畑が叫ぶ。「どうして走る。どうして泳ぐ。わかんないじゃん。でもそれしかないんだよ。俺達には。オリンピックしか。戦争で勝ちたいんじゃない。走って勝ちたいんだ。泳いで勝ちたいんだ」

大会実行委員には、当然、政府や軍部からの派遣もある中、東京五輪開催の準備に暗雲が垂れ込めていた。そんな中、嘉納治五郎は1938年3月にカイロで開催された第37次IOC総会に赴き、大会準備報告をする。番組では何の準備もない中、各IOC委員から開催への憂慮が表明されるが、嘉納の「逆らわずして勝つ」スピーチが開催賛同を得たとしている。実際には、この時、札幌での冬季大会開催についてが主題であり、それに日華事変から対日嫌悪勘定が開催反対に傾く中、スキー競技を外して行うことで決着を付けたということがある。

事実は小説より奇なり。

だが、今回の嘉納治五郎の「私を信じてくれ。五輪に政治の居場所はない」という一言は何よりも嘉納の魂を示し、かつオリンピズムの真髄を突いている。英語でこう言った。「There is no place for Politics in Olympics」

宮藤官九郎は理解しているのである。

私はこれまでの大河の中で最も感動したのが、この「いだてん第37回」である。ここにオリンピックの精神が見事に表現されているからである。

さらに、本篇の後のエピローグ「いだてん紀行」がさらに圧巻だった。登場したのは山下泰裕。嘉納治五郎を語る彼は目に涙をためてこう言ったのだ。「柔道ってあの嘉納がつくったんだよな。その嘉納先生に対する思いが、1964年東京開催の柔道。今、日本オリンピック委員会の会長として、嘉納先生の志を受け継ぐ後継者の一人でありたいと思っています」

山下泰裕JOC会長に嘉納治五郎の魂を見た一夜であった。

純粋五輪批判第十五話了

春日良一