日本サッカーの奢りを砕くイラン戦の敗北 〜アッラーへの祈りと理念なき闘い〜

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日本サッカーの奢りを砕くイラン戦の敗北
〜アッラーへの祈りと理念なき闘い〜

日本はアジアカップ2023に優勝をかけて臨んだ。しかし、準々決勝、イランに敗北を喫した。日本人のみならずサッカー日本代表を愛する多くのサッカーファンがどん底の落胆にある。

サッカー日本代表OBたちのYouTubeChannelに寄せられた声が心に響きどうしようもなく筆を執った。

中でも「どれだけ個で選手が成長しても監督レベルが低くすぎて可哀想というか悲しかったです。後半は我が子がいじめられているのに誰も助けてくれない気分でした」という言葉が切実であった。

この責任は全て日本サッカー協会(以下、協会)にある。その協会を率いる田嶋幸三会長にある。そんなことは誰も思ってもいないだろうが、それが真実だ。その責任を田嶋は負うべきであり、田嶋の体制を引き継ごうとする宮本恒靖も覚悟すべきである。

試合後のメディア取材に田嶋会長は「残念ながらこういう結果になってしまいましたが、『ロジカルに』後半はイランの方がよかったと思います。それがそのまま、最後の慌てたPKにつながってしまった。誰が悪いとかではなく、チーム全体として押されていたというのが、試合結果につながったと思います」と、無責任なサッカー評論家の如く試合を総括し、森保監督の進退については「それについては全く考えていません」と明言。責任は宙を浮く。

田島幸三 2024-02-04 10

「我々がドイツに勝ったり、スペインに勝ったりするのと同じようなことがアジアでも起こるということだと思います。そういう意味では、逆に引き締めるチャンスにしたいです」と全く反省の気配もない。

まさに日本が先輩ドイツと同じレベルになっていてアジアの盟主と言わんばかりの幻想に裏付けされた驕りが漂っている。

今回の敗北の意味はまさに『ロジカルに』単なる敗北ではない。
選手に対する協会のあり方、会長の思いが全て反映された結果と見るべきだ。

それは大会途中で伊東純也をチームから離脱させた影響についての返答で明らかだ。

「みんなプロフェッショナルで、いろいろなことが起こってもそれに対応するのが選手たちで、そのレベルにある選手たちだと思っています。私たちも議論したなかで、二転したというよりも、しっかりと情報を集めて調査した結果がああいう形になったということです。みんなが受け止めて、選手たちも本人も、納得していると思います」と。これでは伊東純也に判決を下したと同じことだ。

伊東純也についてはデイリー新潮が1月31日、昨年6月に大阪市のホテルで女性2人を酒に酔わせて、同意を得ないまま性行為に及び、2人から刑事告訴されたなどと報じた一件である。協会は2月1日、「本人の心身のコンディションを考慮した」との理由でいったん伊東選手の離脱を発表したが、その後、他の選手から「一緒に戦いたい」と声が上がったことを受けて判断を保留し、再検討した。

捜査関係者によると、伊東選手側は女性2人から準強制性交などの疑いで刑事告訴される一方、2月1日、女性2人を虚偽告訴の容疑で刑事告訴。大阪府警が双方の告訴状を受理し捜査している。

田嶋会長は伊東選手からチームに残りたい意向を聞いた上で、2日朝からスポンサーの意向などを踏まえて顧問弁護士らと協議し「(世間を)騒がせていることも含めた総合的な判断。チームがサッカーに集中できる環境を作る必要がある。二転三転したのは申し訳ない」と伊東の離脱を最終の決断とした。

しかし申し訳ないのは二転三転したことでも世間を騒がせたことでもない。協会が選び堂々とアジアカップの優勝を目指す大会に派遣した日本代表選手のことを守れなかったことである。伊東選手が告訴されていることが事実だとしてもそれを伊東選手が虚偽告訴をしているという状況であれば、まさに推定無罪が成り立つ状況である。その場合、日本サッカー協会が取るべき立場は少なくともその状況を守ることではないか?

重要なのは選手たちが「一緒に戦いたい」と伊東を守ろうとしていることだ。その意思を無視した場合、そのチームがどのようにモチベーションを保つことができるか、選手時代の自分に立ち返ってよく考えてもらいたい。田嶋の頭にはスポーンサーのことしかいない。それに影響を及ぼすだろう「世間」様の反応しかない。

田嶋会長は同アジアカップグループリーグのイラク戦で日本が敗れた時、1月24日、日本代表GK鈴木彩艶がSNSでの人種差別発言に対して「断じて許されない行為であり、JFAとして断固抗議します」と発表した。それは日本代表を選んだ最高責任者として当然の主張であると受け止めた。それは単純に言えば、自分が選んだ選手を最後まで信じ、守るという最も根本的な日本のサッカーをリードする人間の姿勢であったと思った。

伊東選手を守るのもそれと全く同じ論理に立たなければならない。

しかし、伊東の場合は準強制性交などの疑いで刑事告訴されていてそれが世間を騒がせていることに対して責任を感じ、詫びを入れなければならないと考え、そのためには伊東を切るしかないと考えた。御身大切の殿様の判断を下したというべきだ。

となると鈴木を擁護したのもそれと同じ論理であったと考えられる。それは差別発言に対して何も言わないことは「多様性を尊重するという社会の動きに逆行すること」になるという「世間」様に迎合するための発言だっただけだ。

世間がなんと言おうと自ら選んだ者には何があっても信頼を貫き、とことん付き合い守り抜く、それが本来のリーダーのあり方だ。その根本が全くできていないのが田嶋会長であり、日本サッカー協会だと言うことだ。

ベスト4を目指しながらベスト8で大評判を得た森保一監督も今回の件で偶像であったことが明らかだった。1月31日のアジアカップ決勝トーナメント1回戦・バーレーン戦後の記者会見で、デイリー新潮の報道について、「まだその全容は聞いていない。記事の内容を調査したうえで我々の対応をしていきたい」などと政治家答弁を語った時に感じざるを得ないことだった。

日本代表を応援する私はDAZNに高い金を払いアジアカップを見つめていた。日本とイラン戦には大きな期待を持っていた。「この過酷な試合を戦い抜いて、能登半島地震に苦しむ人々に勇気と希望を与えることが目標だ」と語ってくれた森保一監督の言葉を信じたからだ。そのゴールを実現するには日本代表はイランとの試合で何かを見せつけなければならない。

最後まで戦いを諦めなかった冨安健洋の試合後のインタビューに日本代表の抱える問題が明らかだ。

「勝ちに値する試合ではなかったかなと思います。後半は完全に流れを相手に渡してしまったし、彼らが勝利に値したんだと思います」と冷静に試合を振り返りながら、「僕も含めてまだまだ本当に足りないと思います。熱量だったり、ピッチ上での振る舞いも含めて、もっともっとやらないといけないし、戦わないといけない。その熱量のところは、僕も含めて、今日の試合の後半は特に感じることができなかったと思います」と絞り出すように「熱量」を語った。

監督から上、すなわち会長まで自分たちを信じてくれないリーダーの下で「熱量」を生み出すのは至難の業だ。クールでなければ務まらない。

第二次森保ジャパンは「FIFAワールドカップ優勝」が目標だと言う。自らの保身、世間への迎合、メディアとの馴れ合い、それらを優先する限り、日本サッカーが世界一になれるはずがない。世界一になっても意味がない。勝つことに何の理念もない日本のサッカーが世界一になると言うのでは唯々その傲慢ぶりを高めるだけだ。明治維新以降、苦労して列強に追いつかんとして、真珠湾攻撃を成功させた日本人のメンタリティと同じであり、その後の驕り高ぶる日本が招いた悲惨な歴史から深く学ぶべきだろう。

日本が世界に示すべきサッカーは「和をもって尊しとなす」サッカー、フェアプレーが勝利の原理であることを指し示すことなのだ。第二次世界大戦の大義名分は大東亜共栄圏であり、アジアの和であった。それが本当の精神であれば、今の世界は「和をもって尊しとする」磁場になっていたかもしれない。

私は今、YouTube Channel「哲学するスポーツ」で日本スポーツ列伝「岡野俊一郎」を語っている。三部作だ。
https://www.youtube.com/watch?v=XVZAd-3eSyg&t=9s

日本サッカーの草分けでありサッカー協会会長でもあった岡野がコーチ兼プレイヤーとして臨んだメキシコ五輪で銅メダルを獲得したのは1968年。その時、日本はフェアプレー賞も受賞している。フェアプレーの彼方にある勝利を見せられる日本代表のあり方。それを指揮統括するにはサッカーそのものへの信仰が必要だと言うことだ。岡野たちの目指したサッカーは勝つだけのサッカーではなかったはずだ。

日本のイラン敗戦にショックを受けた関係者やメディアは「これを糧として」などと言うのだろうが、今回の教訓はミッションのない戦いは何も残さないと言う強烈な判決だ。今回のアジアカップが残したのは田島幸三政権の「持続可能性」追求のあり方だけである。日本の敗北を非難して田島政権を批判するマスコミすら今は無くなっているからだ。

そもそも能登半島に日本代表の試合が無料で届くことは不完全だった。一体森保のメッセージはどうしたら届くと言うのだ。サッカーを愛する子どもたちのためにも無料で日本代表の試合が見られるようにするのが基本中の基本で、それは日本サッカー協会の役目だろう。サッカーがただの資本主義経済の成功モデルであることに満足している日本のサッカーに未来はあるのだろうか?

強豪日本を破り大喜びのイラン代表の姿にサッカー選手を目指すイランの子どもたちが増えて戦士にならんとする野望を超えていくだろう。そのことが救いだ。

理念なき日本のサッカーにイランのアッラーへの祈りが勝利したのは当然と言えば当然の結果であったか。と焼け爛れた我が心は疼く。

ファンからの切実な叫びが聞こえる。
「僕らサポーターが声を上げても限界があるから、影響力がある人から日本サッカー協会を変えてほしい…! 応援してます!」

今こそサッカー日本代表OBたちは立ち上がらなければなるまい。

(敬称略)

2024年2月4日

明日香 羊
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編集好奇
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節分の日の日本サッカー代表の敗北。
「鬼は外、福は内」の日本人鎖国思想の招いた結果と私は思うのであった。
伊東純也は代表の「外」に豆まきされた。
しかし代表に「福」は訪れなかった。

YouTube Channel「春日良一の哲学するスポーツ」は10日ごとに更新されています。
https://www.youtube.com/@user-jx6qo6zm9f

『NOTE』でスポーツ思考
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次号はvol.498です。

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