アカデミー賞授賞式が描き出した差別 〜ミッシェル・ヨーはオリンピズムを示したが〜
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アカデミー賞授賞式が描き出した差別
〜ミッシェル・ヨーはオリンピズムを示したが〜
私は第七番目の芸術のファンである。そんな私が最近最も関心を持って劇場に出かけたのがヴィム・ヴェンダース監督の「PERFECT DAYS」である。一度では満たされず二度も劇場に足を運んだ。
役所広司が第76回カンヌ映画祭で主演男優賞に輝いた作品である。公衆トイレ清掃員の何げない日常を映し出すだけなのにそこに人間の日常の静寂とその日常を祝福する木洩れ陽がある。その清貧なるテンポとリズムが魂に染み込むようで忘れられない映画となった。この作品の良質なヒューマニズムをカンヌは理解したが、米国は理解できなかったようだ。
第96回アカデミー賞授賞式が10日、米国ロサンゼルスのドルビー・シアターで行われた。国際長編映画賞(旧外国語映画賞)にノミネートされていたが受賞を逃した。
分からないのも当然と思ったのは、授賞式で繰り広げられたアングロサクソンの傲慢ぶりを聞いて見たからだ。
アカデミー賞では前年の授賞者からオスカーが渡される。主演女優賞は「哀れなるものたち」の米国人俳優エマ・ストーンになった。“Everything Everywhere All at Once”で前年授賞したミシェル・ヨーがエマにオスカー像を渡すことになる。しかし・・・
壇上にはヨー以外に歴代数名のオスカー受賞者も陣取っていて、その中の一人米俳優ジェニファー・ローレンスがヨーから像を奪い取るようにストーンに渡してしまう。それからローレンスとストーンはビズをして抱き合い、次に壇上の米俳優サリー・フィールドともキスとハグを交わす。しかしストーンはヨーとは握手もせずに拍手をしているヨーの手にちょっと触れてスピーチのために会場に向いたのだった。
見ているとまるでプレゼンターのミッシェル・ヨーだけ取り残されたようになっている。とても寂しい感じがするのだ。このシーンに「アジア人差別」と言う批判が凄まじく多く寄せられたのも当然だった。
と言うのも助演男優賞の受賞シーンでも同様のことが起こっていたからである。それは作品賞を含め計7部門を受賞した「オッペンハイマー」に出演したロバート・ダウニー・Jrで、前年授賞者でベトナム生まれの俳優キー・ホイ・クァンが渡そうしたオスカーをクァンに目もくれず、片手で手に取ったのだった。
自らの成功に本性が曝け出されたというか、それ以外が目に入らなかったのか。賞を取ったらまずは謙虚で構えてほしいと思うところであったが、プレゼンターへの敬意が一欠片も見えないのには驚く他なかった。役所広司の蹲踞の姿勢を見習ってもらいたいところだが。
立派だったのはミシェル・ヨーである。
一連の騒動を耳にしたのだろう。ミシェルはInstagramへストーンと抱き合う写真と、ローレンスと一緒にストーンにオスカーを渡す写真、壇上の全員で撮った写真を投稿したのだ。
そして、「エマ、おめでとう! あなたを混乱させてしまったけど、私はあなたの親友のジェニファーと一緒に、あなたにオスカー像を渡す栄光の瞬間を共有したかったんです! 彼女は、私にとっての親友ジェイミー・リー・カーティスを思い出させるから(ハートと光の絵文字)いつもお互いのために!!」と付言した。
ヨーはストーンとローレンスが批判されるのを賢く回避したのである。
しかし、そうは言っても米国人俳優二人の無意識に出た行動に見て取れるのは、根深いアジア人蔑視と言い切ってもいいものだ。アジアの謙虚は欧米の傲慢の裏にある。いくら表向きの無差別を発信しても本音にあるものを見逃す訳にはいかない。
ミッシェル・ヨーは2023年10月に開催された第141次国際オリンピック委員会(IOC)総会でIOC委員に就任していた。彼女はマレーシア人で、スカッシュの同国ジュニアチャンピオンだった。憧れのオリンピック委員会での活動をスタートさせた時、私はオスカー俳優がどうしてオリンピック運動にやってきたのか?と驚いた。しかし彼女はオリンピック精神を学んでいるようである。
オリンピック憲章では「権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会的な出身、財産、出自やその他の身分などいかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない」としている。
ジェニファー・ローレンスやロバート・ダウニー・Jrがアジア人蔑視の意識を潜在的に持っているとしたら、それは五輪憲章からも裁かれるべきだ。が、差別を超えるレベルに自らが居ることをミシェル・ヨーが示したことでアカデミー賞が救われる状況になったことは事実である。
アカデミー賞はヨーに借りができた。
しかし、ヨーはさらに学ばねばならないだろう。IOCの世界も欧米中心であることを。その中でアジアが力を出していくことはそれなりの戦略がいる。彼らに救いの手を差し伸べるとともに彼らに教えを与えねばならない。
スポーツで世界平和を作るヒントがここにある。
(敬称略)
2024年3月12日
明日香 羊
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編集好奇
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アングロサクソンとラテンが作り出したオリンピックの世界でもその主導レベルでは欧米力が強い。130年の歴史でIOC会長に欧米人以外がなったことはない。私自身、彼らとの仕事でアジアの力を発揮するにはそれなりの苦労がありました。かつて国際卓球連盟の荻村伊智朗会長と行った国際貢献活動もその一つです。綺麗事は実は簡単にできないんですよ。その荻村さんが求めた「卓球で世界平和」について、「哲学するスポーツ」で語りました。ご覧ください。熱い思いがありました。
https://www.youtube.com/watch?v=bHNm9Qgjpzk
YouTube Channel「春日良一の哲学するスポーツ」は10日ごとに更新されています。
https://www.youtube.com/@user-jx6qo6zm9f
スポーツ思考前号の内容について「哲学するスポーツ」でも語りました。
https://youtu.be/byr_Sx0DbWU
『NOTE』でスポーツ思考
https://note.com/olympism
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次号はvol.500です。
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コメント
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人類の虫垂、尾椎骨、アキレス腱
この問題は、人類が今の人類である限りは解脱て゜きませんね。
つまり人類の虫垂、尾椎骨、アキレス腱ですから。
国家、民族、宗教、因習等における早まった、内政不感症的な
インスタントな自己完結は、つまりは対他的な“群れ”で自己を保全する
という動物性の残存ですから、人間が動物性を抜け出せない限り、
万物の“霊長類”である限りは脱却できないわけです。
ご存知の通り、ギリシア人の始めたオリンピック・ゲームスは、闘争をゲーム化することで
その脱却を図った第一歩でしたが、現生人類は残念ながらこの知的水準に追いつけない。
通信・流通・経済がグローバルに拡大したことによって、却ってこの国家、民族、宗教、因習単位での
早まった自己完結が加速しているように思われます。
そしてご指摘のようにそれは、アカデミー賞やIOCのような世界的な視野と規模をもつものの中にさえ
残存している。オリンピック・ムーヴメントや東洋的な無分別知、生物学的・文化医療的視野からの
行動はますます必須になっていきますね。