スポーツ外交の極意 ~荻村伊智朗の回想~

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週 刊 ス ポ ー ツ 思 考 vol.373
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Sport Philosophy
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スポーツ外交の極意
~荻村伊智朗の回想~

今秋、明治大学リバティアカデミーの特別講座で荻村伊智朗のスポ
ーツ外交を講演することになった。この講座は「2020年東京五輪を
考える」と題して「スポーツと平和を考えるユネスコクラブ」の主
催とのことだ。オリンピズムに生きた人々を回顧し、その中に東京
五輪の意味を考えるというものである。
https://academy.meiji.jp/course/detail/3800/

縁あって敬愛する荻村伊智朗を語ることができる機会を持つことが
できるのはこの上ない幸せである。このスポーツ思考でも二回ほど
荻村論を展開したが、改めて彼の著作を再読して、なぜか元気をも
らうことができた。

著作の中でその著者の魂に触れるというのはこれまでも経験したこ
とだが、こと荻村の言葉には身体でも感じるような温もりがあり、
逝ってから23年もなるが、一緒に働いていた頃のことをまさに今の
ことのように思い出すのである。彼と話しているような気持ちにな
るのだった。

思えば来年、私は彼の享年を迎える。荻村がなしてきたことの質量
を思いわが身と比して愕然とする。日本オリンピック委員会(JOC)
が完全独立を果たした1991年から1994年までの短い間のつきあいだ
ったが、その間の濃さは筆舌に尽くしがたい。

1978年に財団法人日本体育協会職員となって以来、仕事を共にした
役員はそれぞれ立派な功績を残しているが、荻村に出会った瞬間、
それまでの役員のイメージを一掃する、革命的な驚嘆があった。

一番大きな違いは荻村自身に確固たるゴールと戦略があったからだ。
それまでの役員はこちらの用意したシナリオを演じてくれることは
あっても自らシナリオを作ることはなかった。

最も強烈な仕事と言えば、1998年長野冬季五輪招致の最終段階での
動きだ。1991年4月に荻村が国際委員長になるまでは、実質、招致活
動のためにJOCで動いていたのは私一人だった。事務局任せと言
ってもIOC委員を除いて、私以外にIOCとの人脈を有している
ものはいなかったので仕方ないと言えばそれまでだが。長野五輪招
致委員会の人々はこれから人脈を築く人々だ。おかげで、自分の意
思で誰知られることなくIOCの中枢に斬り込むことができた。し
かし、一方で限界もあった。

日本に帰れば招致委員会の事務局があり、私はJOCの職員に過ぎ
なかったからだ。自分の有している情報を同じレベルで理解できる
役員がいればなあ。もっと展開は早いはずなのに。というより、招
致成功のためには、あと一押しが必要だった。そんなある日、突然、
当時のJOCナンバー2から荻村国際委員長案が出された。「君は
どう思う」と聞かれて、申し分ないとしか言いようがなかった。

実際には面識は一度だけ。それも1978年日中スポーツ交流10周年記
念の幹部懇談会に突然現れた若き日の荻村の面影しかない。スポー
ツ界のドンJOC委員長の柴田がまだ若い役員に過ぎない(と私に
は見えた)荻村に多大なる信頼と敬意を寄せているのが印象に残っ
ていた。先輩が陰で「あれがミスター卓球だよ。ピンポン外交の立
役者だ」と言われたのが唯一の情報だった。

しかし、1991年には荻村は既に国際卓球連盟の会長になっていた。
当時日本人の国際競技連盟(IF)会長は彼唯一人。バレーボール
の松平も、レスリングの笹原も、水泳の古橋も皆実力者だが、副会
長どまりの時である。

私は荻村国際交流新委員長に期待した。

その期待は裏切られることはなかった。最初の面談で長野招致でそ
れまで私が行ってきたことの全てを理解した荻村は、さらにその戦
略に拍車をかけた。IFとIOCの両者のバランスを理解する彼の
視点は私にはないものであり、招致活動の諜報は先鋭化した。参集
した国際委員会の精鋭たちも彼のリーダーシップで纏まりを見せ、
それぞれのインテリジェンスが集結した。

それまで分散していた情報や戦術が強いリーダーシップで纏まって
いくダイナミックな流れに身を置いて、私は至福すら感じた。荻村
との役員=職員のタッグは今でも最強だったと思っている。しばら
くするとIOCがJOCに一目を置き始める。これまでストレート
に行かなかった交渉事がIOC本部と私とのホットラインで決まる
ようになる。

長野五輪招致成功の後はアジアスポーツ界分裂の危機の回避、東ア
ジア会議創設、アジアでのリーダーシップ確立、サラエボ救援など
に奔走した。

今冷静に荻村となぜうまく行ったのか?を振り返り思い至るのは、
国際卓球連盟がその創設時から持っていた「自由と自立」の思想を
彼自身が体得して体現していたからだ。卓球では国旗、国歌は用い
ない。加盟団体は団体単位。その延長線上にはだからこそ「スポー
ツで平和」の理念が掲げられる。

実はオリンピックも理念上は、参加するのは国家ではなく、個人の
集合体である国内オリンピック委員会であり、その委員会が届けた
国旗と国歌が代表団の旗であり歌になる。

先般逝去された岡野俊一郎(元JOC専務理事、IOC名誉委員、
サッカー)も「スポーツが唯一国境を超えて人々を繋ぐ」ことを訴
えていたし、晩年特にこの思想表明が良く聞かれた。笹原正三(元
JOC副会長、レスリング)も「スポーツは世界平和につながる」
ことを語るようになった。ことほど左様に、一流スポーツ人は、自
らの体験に基づいて、皆この思想に行き着くと言っていい。

荻村の違いは、自らが先頭たって動いていくところだろう。IFの
立場とJOCの立場の違いを理解しながら、実際に動く人間、この
場合、私の考えにも耳を傾ける。しかし、その実行には自らが率先
して当たる。そうなるとその戦略そのものが、高度になる。IF会
長であり、JOCの国際リーダーが動くための戦略になるからだ。

荻村が選手時代は第二次世界大戦直後であり、国際試合に行けば、
「日本人嫌い、日本嫌い」の観客の中での試合を経験する。その中
でしかし、自分が一生懸命プレーしその競技力とフェアプレーが観
客の心を動かし、「あの日本人選手好き、日本好き」になることを
経験している。

1954年世界選手権はロンドンで開催されたが、当初は日本選手のサ
ーブミスに拍手したり、日本選手がスマッシュをしようとするとす
ぐ横のスタンドから陸上競技の号砲を鳴らす人がいたりしたという。
しかし荻村が決勝まで勝ち進み、決勝で素晴らしいプレーを披露し
て勝利した時には万雷の拍手があった。「もう二度とこんな国に来
るか」と思った荻村が訪れていいプレーをする度に、観客すなわち
英国人の心も変わっていった。

世界の頂点を極める選手として、大戦後を生き抜いた先輩たちには
かような悔しい経験とそれを克服するスポーツの力への信頼がある。
だから「スポーツで平和」と言えるのだ。

第二次世界大戦後も紛争や戦争が続いているが、大戦にまで至って
いないのは、こうしたスポーツ交流が奏功していることがある。

荻村は1961年北京で開催された世界卓球選手権から中国に行く。そ
して国策として卓球を普及しようとする周恩来総理に気に入られ、
翌年は自宅にまで招かれ、中国での卓球普及への協力を求められた。
「日本が敗戦のどん底から立ち直れたのはスポーツが与えた自信だ」
という周首相の説得に感動した荻村はそれから中国卓球普及に尽力
する。しかし1966年に起きた文化大革命により、それまで築いてき
た中国人選手、役員との交流が断ち切られ、悲報が伝わってくる。
国民的英雄にまでなった卓球選手が追い込まれて自殺したり、優秀
な監督が自殺した知らせが入ってくるのだった。

そこで荻村は日中国交が途絶えた中、1971年の世界選手権が名古屋
で開催されるのを契機にと中国の国際舞台復帰を周恩来に直談判す
るの決心をした。そして、極秘会談にこぎつけ、1971年4月の米中
関係改善の「ピンポン外交」へのきっかけを作る。

荻村自身は「スポーツを政治が道具にすることは、それ自体はそん
なによいこととは思いませんが、・・・周恩来さんは、人と人とが
結びつくような、あるいは国と国が結びつくような手段として、ス
ポーツを使った」と回顧している。

しかし逆に考えるとこのことこそ、「スポーツが政治を使って中米
関係を好転させた」とも言え、実際には毛沢東の死によって終結す
る文化大革命ではあるが、その終結への布石を打ったとも言えるの
ではないか?

北朝鮮がICBMの威力を顕示して、世界の秩序の安定に揺さぶり
を掛けているが、これに対して政治はある意味何もできない状態が
続いている。もちろん水面下での外交、諜報は続いているのだろう
が、我々の不安は高まるばかりだ。しかし、これに対して攻撃を加
えることは誰もが反対である。状況は、実は第二次世界大戦前のヒ
トラー誕生時と相似している。

当時第一次世界大戦の疲弊から二度と戦争は起こすべきでないとい
う考えが民衆から政治家までの気持ちだった。だからヒトラーがそ
の権益を徐々に広げていく時にも平和的解決を図り、あげく、彼の
世界征服への歩みを進めさせた。イギリス首相ウィストン・チャー
チルはその回顧録で「平和主義者が戦争を起こした」としている
のは、1936年ラインラントにドイツが進駐した時、フランスはこれ
を黙認し、そこからヒトラーの「征服の進軍」が始まった。その時
フランスが立ち上がっていれば、第二次世界大戦は起こらなかった
と言われている。

今、毎日盛んに北朝鮮問題を論じるメディアが一切「戦争」を主張
しないこの状態、各専門家諸氏誰一人として武力行使の正当性を言
えないこの状況こそ、まさに第二次世界大戦前夜と言えるのではな
いだろうか?

そこでこの問題にスポーツがどのように介助できるかということを
荻村流に考えてみたい。

文化大革命による中国選手たちの悲報が荻村を動かしたと同様に、
北朝鮮のアスリートへの思いから行動を起こせる人がいないだろう
か?はっきり言ってしまえば、拉致問題を抱えてほとんど進展のな
い状況に平然としている日本国政府が民主主義国家の政府とは言え
ないのだから、もはや全て政府に頼ることは諦めよう。

韓国の文大統領が平昌冬季五輪の共同開催や同大会への統一コリア
選手団実現について打ち上げたのは、スポーツの政治利用であるが、
これを逆手にとってスポーツが結果的に政治を利用する結果にすれ
ばいいのである。

実は1987年に国際卓球連盟の会長となった荻村は、1991年千葉での
世界選手権で統一コリアチームを実現している。会長初年に公約ど
おり加盟国80を周り、その後も毎年40か国から50か国を精力的に訪
問して卓球の普及に努めつつ、各国の政治事情やスポーツ情勢を収
拾、世界卓球の未来に戦略を練った。

しかしこの実現のためには南北の競技力を同じレベルにしなければ
ならない。そのために北朝鮮に何度も趣き選手、コーチの育成に努
め、合同合宿を日本で開催した。卓球では国旗、国歌の問題はそも
そも存在しないので、その部分はクリアとしても競技力向上は簡単
にはいかない。

その意味で北朝鮮へのIOC委員チャンウン(張雄)が「政治的解
決がなければ難しい」としたのもそういう経験があるからで、統一
コリア実現には、平昌五輪よりもむしろ東京五輪が焦点として可能
性があり、かつ五輪が平和のツールとして生き残る可能性がそこに
見いだせるかもしれない。

荻村はかなり現実的な目でスポーツを見ている。スポーツには平和
を構築する可能性はあるが、それは今未だ力として政治の1000分の
一くらいだと生前語っている。荻村ならば自分のスポーツでまず突
破口を開くはずだ。今そのチャンネルが乏しいところに制約がある。
少なくとも東京五輪のビジョンに東アジアの友好ということは掲げ
るはずであり、それは平昌で灯がともり、東京で開き、北京に繋が
るという流れになるのだろう。

そのための布石を平昌での統一コリアをまず呼びかけることから始
まらなければならない。それに北朝鮮がどのように答えるのか?偉
大なる先人荻村伊智朗は、文化大革命の真只中、国慶節への招待を
受け、その中で極秘会談を設ける。10月10日は朝鮮労働党創建記念
日である。この日にスポーツ界からの使者が何らかの役割を果たす
戦術はいかがだろう?折しもその日は「体育の日」である。日本が
スポーツによる復興を遂げた記念日なのだ。

(敬称略)

2017年9月9日

明日香 羊
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編集好奇
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本書で紹介した荻村さんの軌跡の一部は、彼の著書からの
ものである。「スポーツが世界をつなぐ」と「卓球・勉強・卓球」
の二冊はいずれも岩波ジュニア新書。後者の書には、荻村さん自筆
で、「長崎宏子様恵存」とある。
JOCに就職した長崎宏子氏にお祝いの席でプレゼントされたもの
である。歴史の重みを感じている。

明治大学の講義では、
私自身が共に生きた荻村伊智朗を語りたいと思います。
誰でもお申し込みできます。
皆様のご参加を期しつつ↓
https://academy.meiji.jp/course/detail/3800/
(明治大学リバティアカデミー)

春日良一

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考?ご期待
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次号はvol.374です。
(1998年からの400号を目指して あと27思考?!)

スポーツ思考
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