vol.298 五輪憲章がすべてを規定する ~五輪憲章を哲学する その1~

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  週 刊 ス ポ ー ツ 思 考 vol.298
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  Sport Philosophy 

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 五輪憲章がすべてを規定する
 ~五輪憲章を哲学する その1~
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 五輪憲章、オリンピックチャーターは、言ってみればスポーツの

マグナ・カルタである。オリンピックのみならずオリンピックに関
わりたい組織、個人はこの法典に従わざるを得ない。従うもののみ
がオリンピックファミリーと成りえる。

 1978年に体協に入社し、1982年に国際部に配属となって
以来、この憲章は日常的に仕事に関わるものだったが、一条一項を
紐解きたいという思いを適える暇がなかった。2020年の東京五輪を
控え、私なりの決着を付けたいと思い立った。このスポーツ思考を
通じて、オリンピズムを五輪憲章から哲学してみようと思う。

 翻訳は日本オリンピック委員会発行のものに任せるが、適しない
場合は、それなりの解釈を加えようと思う。

 今回は憲章の前文について。

 「オリンピック憲章は、国際オリンピック委員会(IOC)によって
採択されたオリンピズムの根本原則、規則、付属細則を成文化した
ものである。憲章はオリンピック・ムーブメントの組織、活動、運
用の基準であり、かつオリンピック競技大会の開催の条件を定める
ものである。オリンピック憲章はその根本に3 つの主目的を持って
いる。

a) オリンピック憲章は、その憲法的な性格の基本法として、根本
原則とオリンピズムの本質的な諸価値を宣言しかつ想起させるもの
である。

b) オリンピック憲章はまたIOC の規則でもある。

c) さらにオリンピック憲章は、オリンピック・ムーブメントの3つ
の主な構成要素であるIOC、IF、NOC、それに加えオリンピック競技
大会組織委員会の相互の主な権利と義務を規程するものであり、こ
れらの団体は全てオリンピック憲章に従う義務がある」

 かなり訳が硬いけれど、英文では五輪憲章の本質を軽妙に表現し
ている。基本的には、五輪憲章が、オリンピズムすなわち五輪哲学
と一体であり、同時に国際オリンピック委員会の寄付行為の役割を
果たすものであることを宣言している。b)は原文からすると、IOC
の寄付行為である。とした方が適切である。

 いずれにしろ、ここで重要なのは、五輪憲章はIOCを規定し、かつ
遡って五輪の根本原則を想起させるものでなければならない。そして
五輪を支えるのは、国際オリンピック委員会=IOCであり、国際
競技連盟=IFであり、そして国内オリンピック委員会=NOCで
あるといくことだ。これらはIOC的に俗称、三巨頭会議と言われる
構造であり、これが五輪を支えている。

 IOCは、理念を表象し、IFは競技そのものを統括する。そし
て、NOCはその国のオリンピック運動を掌握し、かつその国の五輪
代表選手団を派遣する義務を負う。それぞれがその分野に対して、独
占的であるが、五輪全体の場を保つために相互扶助的な関係を保つ。
これがオリンピックが滅びない構造的理由である。

 このことは意外と気付かれてはいない。IOCが独占的に五輪を統
括し、IFやNOCはその傘下にあると思われているが、構造上は、
そのいわゆる「アンブレラ」organizationを拒否しているのだ。

 この三巨頭の中で、唯一、ナショナリズムと遭遇するのがNOCで
ここにオリンピズムとナショナリズムの相克の問題が提起される。

 例えば、1980年のモスクワ五輪ボイコット事件は、まさに五輪
主義をNOCがナショナリズムに対して貫けるか?の問題提起であっ
た。各NOCはそれぞれの政府との関係において、自らの結論を出す
が、それまでの過程は、まさにオリンピズムの存在意義を問うほどの
問題である。

 五輪憲章は、NOCがその法典に従うことを堂々と主張している。
従って、モスクワ五輪に参加しなかったNOCは五輪哲学によって
裁かれているのである。モスクワ五輪ボイコットが大きな問題であ
る理由はここにある。五輪憲章前文に五輪のすべてがあると言っても
過言ではないようだ。

2013年11月7日                                                              明日香 羊 
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編集好奇
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 五輪憲章は不磨の大典でありましたが、1990年の第96次IOC総会
(東京)において、最初の大改定を行います。法律専門家のカラーロ
氏を事務総長に向かえ、アマチュアリズムからの脱却を図りました。
 以降、時代の情勢を反映させた改定が繰り返されています。
 そのことに気を止めることもなかった18年でした。なぜなら、
根本原則に変化がないからです。それはスポーツで平和を構築すると
いう原理です。
 少しずつ五輪憲章を紐解くことで、現在のスポーツ、そして、世界
が抱える問題を哲学したいと思います。
 もちろん時折従来のスポーツ思考も示しますので、ご安心を!
 皆様のスポーツ思考に感謝しつつ。

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  考?ご期待
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 次号はvol.299です。 
 (あと2号で300になりますね。1998年からの300号はいつか?)

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