日本代表選手団の思想~JOC独立のレジェンド~

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  週 刊 ス ポ ー ツ 思 考 vol.323
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 日本代表選手団の思想
 ~JOC独立のレジェンド~


 8月7日、日本オリンピック委員会独立25周年記念パーティーの席
で、独立時の専務理事であった岡野俊一郎IOC名誉委員は、独立の
精神を語り、JOCの今のあり方に警鐘を鳴らした。

 日本のスポーツ界を代表して国内唯一のオリンピック運動を司る
オリンピック委員会としての権威が失われようとしている今「初心
忘れるべからず」と岡野はこの創立記念パーティーを開催するよう
に事務局に打診していた。誰も25周年を祝おうなどとも思っていな
かったが、岡野の提案でパーティーが挙行された。岡野がこのパー
ティーで行った演説にはJOC再生への強い思いが込められていた。

 暴力指導と選手強化費の不正利用という不祥事が続く競技団体を
粛清できないJOCに初心を取り戻すことを訴えた。そもそもJOCが体
協から独立して新たな出発をしようとした最大のモチベーションは
オリンピックへの政治介入を回避することであり、モスクワボイコ
ットの苦渋の決断を二度と起こさないためであった。このことを岡
野はその演説ではっきりと示した。

 今となっては彼以外にそのことを語れる人材がいないのかもしれ
ない。

 モスクワボイコットの苦渋を忘れ、政府の支援の上に2020年東京
五輪招致の成功を導き出し、五輪成功への選手強化費の増額を図っ
た今のJOCのその行動自身が自らの基盤を否定していることに誰も気
がついていない。

 あげく選手強化費はJOCの手の届かぬところで管理されることに
なり、2020年東京五輪組織委員会の役職も政府主導でJOC会長は事
実上の第4副会長どまりである。

 この状態に危機感を感じることができないJOCで唯一、希望を置
かれていたのが、橋本聖子であった。スポーツが政治に介入され、
五輪運動が有しているスポーツで世界平和というミッションを実現
できない現状に、スポーツ界が最初に政界に放った矢が小野清子(
東京五輪体操団体銅)だった。当時のJOC委員長、柴田勝治の期待は
大きかった。そして小野からのバトンを受ける第二の矢が橋本聖子
だった。

 私は彼女とはカルガリー冬季五輪、ソウル五輪、バルセロナ五輪
を共にした。橋本が参議院議員となり、橋本龍太郎首相のもと、ス
ポーツ界改革の試論を求められた。彼女は私にその論旨を求めた。
私は「日本のスポーツ界の未来」について論文をまとめた。橋本の
スポーツ界を改革する意志を強く感じたからだ。以来、私は彼女と
「見えない糸?!」で結ばれていた。

 混迷極まりないスポーツ政治の世界で唯一望みを抱けるとしたら
橋本聖子だろうと思っていた。岡野の一言を聞き、まさにJOC改革に
彼女へのアプローチを強めなければならない。

 その矢先だった。週刊文春が橋本聖子ソチ五輪日本選手団団長が
高橋大輔選手とのスキャンダルを報じた。その写真は高橋と橋本が
ダンスをしながらキスを交わすシーンであった。日本選手団団長室
で閉会式後の宴会を行い、その際に橋本が高橋に接吻を強要したと
いう。

 パワーハラスメントとセクシャルハラスメントとして、文春は報
じているが、オリンピズムから私は別の問題を見つめている。

 五輪日本代表選手団本部という特殊な部隊の改革についてである。

 戦う選手団を掲げ金メダル獲得を宣言する日本オリンピック委員
会。表現は変えてもその構造は私がいた1980年~1990年代と変わら
ない。ソウル五輪当時から選手団本部にいて私は常に問題と思って
いたのが、選手村に設けられる役員サロンである。本来、アルコー
ル禁止のはずの選手村内で本部役員総務主事の部屋がサロンとなり、
そこにはスポンサー企業から提供されるウィスキーボトル、缶ビー
ルが並ぶ。毎夜、体制迎合をよしとする監督が集まり、そこで一日
の熱戦を語り、翌日の勝利を誓う。

 本当に戦うのならばサロンではなく、冷徹な分析に基づく明日の
戦略を練る本陣でなければならないだろう。私は改革を求めたが現
実に役員サロンは続いた。ならばとそのサロンとは別に実行部隊が
コミュニケーションを取り、インテリジェンスを共有できる場を作
るしかない。実際、組織委員会やIOCとの交渉事は本部役員ではなく
団長代行という肩書きで私が行うことになった。それが1988年カル
ガリー冬季五輪からのことである。

 以来、本来選手に必要な指導者や技術役員が選手団本体に入れな
いので、枠外役員の資格認定をいかに必要なだけ取るかがポイント
となった。そのための理論武装と交渉に命をかけた。結果、枠外役
員は思うが侭にコントロールできるまでになった。

 しかし選手団にアルコール抜きの戦略本部が実現していなかった。
それはアスレティズムを極めた橋本が団長になっても変わらなかっ
たようだ。選手団本部の機能は団長、事務局長、そして機動部隊数
名に精鋭されるべきだ。そして団長の管理のもと選手のために日々
の活動が統制さでるべきだ。

 ソチ五輪が日本オリンピック委員会にとって成功したかどうかを
別にしても、団長の部屋で宴を開く暇はない。選手の気持ちが分か
り日本代表をまとめ得る存在であった橋本聖子が宴を開くのであれ
ば、違うやり方があったはずだ。そこをアドバイスし演出しなけれ
ばならないのはJOCであったはずだ。

 橋本を団長というただの「座」に祭り上げ、実質的なオリンピッ
クミッションを学ばせなかった責任は大きい。その責は一重にJOC
独立のレジェンドを受け継いだものたちが担うべきことだ。今、
もし五輪運動の中枢にいると自己認識するのであれば、その人こそ
JOCの再生に尽くさなければならない。

 橋本事件を浄化する鍵は、岡野の「遺言」が秘めている。

                        (敬称略)

2014年8月22日  
                        明日香 羊         
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編集好奇
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 長野での束の間の休日。善光寺本堂から大門までの参道を歩く。
お盆過ぎの町は閑散として夕暮れに門前町の侘しさが漂う。
 高校時代、この宿坊でサッカー班の合宿があった。早朝のランニ
ングは参道をトレーニングの場に変えた。
 思えば1998年長野五輪もこの町並みを変えた。電線のない美しい
町。日本の観光から世界基準に視座が変わった。しかし、大会時に
メダルセレモニーの会場だったところはただの駐車場に変わってい
る。オリンピックのレガシーというならば、オリンピックの称号を
関係各所に残してほしいと思う。
 スポーツは門前町も変える。選手団もスポーツ平和隊に変わらな
ければならない。
 残念だが橋本聖子にはオリンピックミッションによる禊が必要だ
ろう。

 皆様のスポーツ思考を期待しつつ

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  考?ご期待
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