国民栄誉賞は誰のもの?~スポーツが政治利用されるわけ~

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  週 刊 ス ポ ー ツ 思 考 vol.284
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国民栄誉賞は誰のもの?
~スポーツが政治利用されるわけ~


 長島茂雄と松井秀樹が国民栄誉賞を受ける。
 4月2日のJapanTimesは「受賞者が選ばれる不透明なやり方」に
注目していた。国民栄誉賞は「政府の人気取りのための政治的道
具」として使われているとはっきり語っている。

 スポーツ思考から言えば、スポーツが政治を評価するべきで、
政治がスポーツ選手を評価すべきではないとなる。

 多くのアスリートがそのパフォーマンスをベストに近づける努
力は、自己実現の道程であり、その過程で呼び起こす感動は、見
るものが勝手に受け取ればいいのである。

 長島のパフォーマンスも松井のホームランもその実現の瞬間に
すべての価値が集約されいるのであり、その瞬間を享受するのは
選手本人である。その結果が評価されようがされまいがスポーツ
の神は既にそのことを裁いている。

 五輪が終わってメダルを取った選手たちが、関係する地元、関
係する所属先、関係する自治体などなどに表敬し祝福を受ける映
像を思い出す。

 メダルを取ったのは内の選手だ!この場合「内の」に重点があ
るのであって、選手に重点があるのではない。「内の」選手だか
ら何々県民賞を与え、「内の」選手だから何々市民賞を与える。

 スポーツ思考から言えば逆である。選手のパフォーマンスが何
々県に何々市に名誉を与えているのである。

「内の」選手に賞を与える方が、その選手に関わった名誉を与え
られていると言えないだろうか?

 だから、国民栄誉賞も逆なのである。長島茂雄や松井秀樹が政
府に名誉を与えているのである。

 「でも可笑しいじゃないか!記録的には長島以上の選手がたく
さんいたし、松井がイチロー以上のパフォーマンスをしたとは到
底思えない」とある偏屈な隠居は怒っていた。

 たとえそうであろうとしても、宰相阿部が長島と松井に名誉を
与えたのではないはずだ。長島と松井が宰相を許したのである。

 国民栄誉賞は、広く国民に愛され、国民に明るい希望をもたら
す功績を残した国民的ヒーローあるいはヒロインを褒め称えるた
めに作られた賞である。その賞は首相から授与される。となって
いる。

 しかし、冷静に思えば、広く多くの民が褒め称える功績があれ
ばそれは既にヒーローであり、ヒロインである。

 しかし、スポーツは絶対的命題である「結果」をもってそれに
応える。だから、敢てその他の評価を必要としないのである。そ
の他の評価を必要としないほどの絶対的存在であるから、逆に誰
でもその名誉に預るのである。

 これがスポーツが政治利用される構造だといったら、読者の皆
様はどう思われるだろう。
 
2013年4月18日                 

                        明日香 羊
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編集好奇
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 スポーツはある意味ポリティクスだと思います。このテーゼが
理解されないから、「スポーツと政治は別」論が起こり、スポー
ツが政治に巻き込まれたような現象が起きます。

 でもスポーツをひとつの政治だと考えれば、それはとても多き
なパワーを持ち、世界を変えるかもしれません。
 そのことに気付いた最初の人がピエール・ド・クーベルタン男
爵でその思想がオリンピズムです。

 かような哲学に至ったのは最近ですが、春日良一は日本オリン
ピック委員会時代に、まさにスポーツポリティクスを立ち回って
いました。長野冬季五輪招致の渉外活動もそのひとつです。
 その一端を初めて公表した手記が週刊誌フラッシュに連載され
ています。

 読者の皆様の熱いご高覧を期待します。
   
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  考?ご期待
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 次号はvol.285です。  
                       
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