vol.305 抜けない棘、モスクワ五輪不参加

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  Sport Philosophy 

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 抜けない棘、モスクワ五輪不参加
 ~東京五輪事務総長人事に思う~
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 長野五輪組織委員会もそうだったが東京五輪組織委員会事務総長
に元官僚が選ばれた。明らかに森元首相の人事である。2020年
東京五輪の使命は、何だったのだろうか?新しい希望に燃えた未来
を作るものであってほしかった。

 五輪にはお金がかかるので、元財務次官を起用することになった
というのだが、これこそ親方日の丸の発想で、1989年に財団法
人日本体育協会から独立した日本オリンピック委員会(JOC)の
精神と逆行する。

 1964年東京五輪を経験した日本人は素直にスポーツが世界の
平和を築くツールであることを信じた。閉会式で各国の選手たちが
国を超えて肩を組み、白人も黒人もともに祭典を祝い、別れを惜し
むシーンを見て感動した。しかし、やがてそれが淡き夢であったこ
とを知る。それが1980年のモスクワ五輪ボイコット事件である。

 東京五輪以降にスポーツ平和を信じた日本は、特にスポーツの中
枢にいた人々は、そしてJOCは以降、真面目にオリンピック競技
大会に最強最大の日本選手団を派遣してきた。フェアプレーを重ん
じスポーツマンシップで闘う日本選手団はたとえ成績がかなわずと
も「参加することに」意義を見出した。しかし、それはパックスア
メリカーナに守られた擬似平和空間であった。

 1980年のモスクワ五輪は、東京から16年目、東京五輪の生
み出したスポーツ信仰は、笹川スポーツ財団などの献身もあり、各
地にスポーツセンターを築き、スポーツ少年団ができ、それなりの
スポーツ振興を進めてきた。そうした基盤から育ってきた逸材が、
モスクワ五輪代表にはたくさんいた。山下泰裕、瀬古利彦、高田裕
司、長崎宏子などなど。

 ソ連がアフガニスタンに侵攻し、アメリカ合衆国がそれに抗議し
て、モスクワ五輪不参加を表明、日本政府にも圧力をかけてきた。
それに対してスポーツ界はJOCを中心に執拗な抵抗をするものの、
結局政治権力に押されて、「自主的」に不参加を決定する。

 その苦渋の決断をせざるをえなかったのは、まさにスポーツが政
治から自律していなかったからだ。オリンピック憲章は「スポーツ
が社会の枠組みの中で行われることを踏まえ、オリンピック・ムー
ブメントのスポーツ組織は、自律の権利と義務を有する」と根本原
則第5条で語っている。「その自律には、スポーツの規則を設け、
それを管理すること、また組織の構成と統治を決定し、いかなる外
部の影響も受けることなく選挙を実施する権利、さらに良好な統治
原則の適用を保証する責任が含まれる」と続く。

 五輪不参加はいかなる理由があるにしろ、オリンピズムにとって
大きな罪である。

 だから様々な議論を尽くして、モスクワ五輪への参加について思
考しても、結果が不参加ならば、その時点でオリンピックファミリ
ーメンバーから逸脱するのだ。しかし、不参加の決定をしたJOC
と日本スポーツ界は、政治の犠牲になった。スポーツが行われる正
しい環境があることを望むというような、腰の引けたオリンピック運
動を唱えるレベルになってしまった。

 しかし、心の奥底では自らがオリンピズムに反したことを否定で
きないので、その棘が深く刺さったまま、その後のオリンピック運
動を続けなければならなかった。

 1989年、JOCが堤義明の力によって日本体協から独立する
建前は選手強化「強い日本」であったが、その本音は、二度とオリ
ンピック不参加をしない!オリンピズムを貫くという志であり、そ
れは政府に干渉されないJOCを作ることだったのだ。

 JOC独立によって新たな一歩を踏み出した日本のオリンピック
運動はその自律をなしながら、独自のマーケティングとオリンピズ
ムに裏打ちされた政治力で、政府からの干渉を回避して、成長を続
けるはずだった。しかし、

 選手強化が思うに進まなくなると、政府の支援を呼びかけ、スポ
ーツ省設置を懇願する。あの時の棘を忘れたとしか思えない。JOC
のプライドを捨ててしまったのだろうか?

 二度目の東京五輪が果たすべき使命は、まさにボイコットなき五
輪を構築することである。政治を支配するスポーツを確立すること
である。それが、長年日本のスポーツ界に刺さってきた棘を抜く唯
一の道ではないか?

 その五輪の組織委員会を決定づけているのが政治であることを事
務総長人事が証明してしまった。組織委員会を設立する権利は、五
輪開催都市のある国の国内オリンピック委員会と開催都市に与えら
れている。「オリンピック競技大会の組織は、IOCから、開催都市の
ある国のNOC および開催都市自身に委任されるものである。当該NOC
はこの目的のために組織委員会(OCOG)の設立に責任を持つ...」
(オリンピック憲章第35条 JOC訳)

 JOCのリーダーシップが復活するを願うは夢幻の如くなのだろ
うか?

                          (敬称略)

2014年1月23日  

                        明日香 羊         
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                                  ────────<・・

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編集好奇
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 素直に言ってしまうと面白くも可笑しくもない案だった。
 画期的な人事が望まれる。なぜなら東京五輪は新たなオリンピズ
ムの一歩を踏み出す使命があるからだ。
 1964年の東京五輪が2020年に蘇っても仕方がないのである。モス
クワの棘を抜くためにあなたのスポーツ思考を期待します。

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  考?ご期待
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 次号はvol.306です。 
 (1998年からの400号を目指して)

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