荻村伊智朗の遺言~1000年単位の思想~

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  週 刊 ス ポ ー ツ 思 考 vol.308
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  Sport Philosophy 

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 荻村伊智朗の遺言
 ~1000年単位の思想~
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 めずらしく部屋の整理をしていたら、書類の束のなかから赤い紙
ファイルが出てきた。何か言いたげなその表紙には長野冬季五輪の
シールが張ってあった。開くとそこには、私がJOC職員であった
頃、時のJOC国際委員長であった荻村伊智朗のレポートが綴って
あった。

 それは1994年のリレハンメル冬季五輪の開閉会式を見て、4年後の
長野五輪が解決しなければならない問題点を、国際委員に問う形の
ものであった。荻村は55歳の若さで国際卓球連盟の会長となり、選
手時代からの俊敏な動きと明晰な頭脳で、1991年に特定公益増進法
人として独立した新生JOCの国際委員長をも務めていた。

 私は国際業務部参事として、荻村の指導のもとそれまで国際舞台
で外交力のなさを露呈してきた日本オリンピック委員会のイノベー
ションに躍起だった。1991年6月に決まる1998年冬季五輪開催地の
招致活動からスポーツ外交を共にした荻村とは世界各地で日本のス
ポーツ外交戦略を語り合いながら、新生JOCのために世界を相手に闘
った。

 1991年6月には長野五輪の招致に成功し、そのすぐ後、アジアオリ
ンピック評議会(OCA)が新会長選挙に向けて分裂する危機を東奔
西走し統一を保ち、東アジア会議と東アジア競技会を設立した。

 1993年4月私は国際業務部から企画広報部に異動となり、国際委員
長との仕事は離れたが、1994年の会議を迎えた荻村が長野五輪とJOC
の危機を憂い、リレハンメルからの憂国を発信したのが、このレポー
トであった。

 今回はそのレポートを紹介する。レポートが1994年作であることを
念頭において以下をお読みいただきたい。

 長野五輪は「平和」「自然との共存」「友好・子供」をキーワード
としていたが、そのキーワードが1994年リレハンメルにおいて既に表
現され、しかもそれが高い完成度を示していたことから、招致成功か
らそのコンセプトを考察しようとしない関係者に対して、JOCの国際
委員会として長野五輪への指導力を発揮しなければならない!という
ものであった。

 リレハンメルで「平和」「自然との共存」を支える土台となった考
えは、北欧の民話や神話サガに代表される自然崇拝の古代信仰。人間
界の下に位置する小人の国や妖精の国からの平和のメッセージとして
位置づけた。具象イメージは、グリムやアンデルセンなどの北欧民話
と同じような「森の人」だった。そこから荻村は開閉会式を読み解く。

 なぜ?リレハンメルは開閉会式でクリスト教以前の宗教をモチーフ
にしたのか?

 荻村哲学の答えはこうだ。

 現代の宗教は、「平和」の支えになっていない。なりえない。ボス
ニアも宗教が政争や戦争の口実になり火に油を注ぐ。パレスチナ・イ
スラエル問題も、宗教が絡めば絡むほど解決から遠のく。

 現代の政治・経済の仕組みは、自然との共存を前提として成立した
ものではない。むしろ自然からの収奪=人間賛歌として出発したもの
である。

 もちろん、長野五輪後の紀元2000年からの数千年間は、政治経済の
仕組みを変えることにより、地球と人間・全ての生物との生き残りを
策することになろう。しかし、そのためには、政治や経済の仕組みを
支える土台思想の変換が必要になる。世界はその方向に動かざるを得
ない。

 だからこそ、リレハンメルは現代欧米を体系的に支配している宗教
すなわちクリスト教にも頼らなかった。彼らは賢明にもアルベールビ
ルが政治くさく歌い上げたEU(=欧州の復権)などには目をくれな
かった。

 土台としたオリジナル・コンセプトは、クリスト教誕生以前から、
自然と共存していた実績のある土俗的、土着的な信仰、「生き残りの
知恵」だった。そしてそれが開閉会式を支え、PRを本当らしくした。
本物を土台にしたが故のPR上手であった。

 そこから長野五輪がこだわっていた「21世紀への架け橋」は、意味
がないと結論づけた。むしろ、これまでの数千年とは違う哲学と思想
で「自然」「平和」「子孫」を考え、表現する絶好のタイミングと見
るべきである。100年単位の世紀概念よりは、せめて1000年単位の概念
Millenniumを考えるべきと提言した。

 そして、日本人の歴史文化、長野の歴史文化を超えた数千年の「自
然と人間との関わり」「人間間の平和」などを、日本人社会を代表し
て論理的・学術的に考えられる数名に集まっていただき、国際委員会
として長野五輪のための勉強会を開くことを提案したのであった。

 「これからの四年間は、先憂後楽のつもりで、まず危機感をもって臨
み、8月のIOCコングレスまでに安心できる見通しをたてられたら素晴
らしい」

 このレポートの締めの言葉だ。

 荻村はその年の12月4日この世を去った。

 長野五輪を見ることもなかった荻村にソチ五輪の開会式はどう映った
だろうか?

 以前「五輪の開会式ってなんなんでしょうか?」と五輪をよく知る
ジャーナリストに聞かれ、しばし沈思黙考となってしまった。五輪の
開会式はオリンピック競技大会の実現したい未来を現実化することで
あるように思う。荻村が思考したようにリレハンメルには、土着から
の人間肯定があった。果たしてソチ五輪には、1000年へのメッセージ
はあっただろうか?

 オリンピズムが今求めているのは荻村哲学なのではないか。

                          (敬称略)

2014年2月15日  

                        明日香 羊         
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                                  ────────<・・

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編集好奇
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 荻村さんのことを思い出すと元気が出る。いつも溌剌と笑顔で事
務局に現れ、短い時間で指示を出し、去っていく。しかるべきテー
マについては世界のどこからでもFAXで意見が送られてくる。そ
れに基づいて、国際委員会のために作る資料は膨大なレポートとな
ることが多かった。
 作業は大変であったが、オリンピック運動のために働いていると
いう充実感は何にも変えがたいものだった。
 いつだったかインドに向かうフライトの中で、アジアスポーツ界
人脈についての宗教的分析をお見せした時から、私の哲学的助言を
求めてくれた。当時はまだ30代の生意気な職員を大きく包んでくれ
る懐の深い人でもあった。

 本日見つけたレポートは私にとって遺言。

 皆様のスポーツ思考を期しつつ

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  考?ご期待
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 次号はvol.309です。 
 (1998年からの400号を目指して あと91思考?!)

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コメント

  • Tea Ceremony

    開会式に集約されるオリンピック開催への哲学、
    これこそ世界へのメッセージ、未来へ向けたその国の哲学表明ですから、
    きわめて大切なものですね。
    殊にも開会式がこれだけ肥大化して儀式的荘厳さを失いかけている今日、
    簡潔にしてしかも普遍的世界と未来への時間に耐える太陽の光や
    雪の結晶のようなメッセージ、それはまさに我々日本人自身の、未来への
    設計図に相当するものでもあると思います。東京オリンピックの時と同様の意味で。

    人類の普遍的宗教ということに関しては、貴兄が指摘する通り、キリスト教、仏教、
    イスラム教、儒教、道教、共産主義…それら自体は、ギリシア人が創案し
    クーベルタンが近代的に解釈したオリンピズムに対し、かなり黄ばんで透明感を
    失っていると感じます。
    だからロシアにしても、風船を持った少女を主語として、子供の視線から見た
    民族の歴史と芸術を強調したのでしょう。それは従来の史的唯物論というのとは
    若干違った趣きです。

    「100年単位の世紀概念よりは、せめて1000年単位の概念Millenniumを考えるべき」
    まさに人類はこうした視座に立つべき時代に入ってきていると思います。
    「自然」「平和」「子孫」──こうした概念から感じられるものは、高度経済成長時代

    から21世紀まで延長されてきているglobalismではなく、国際連盟を国際赤十字を
    エスペラント語をオリンピズムを生みだした19世紀cosmopolitanismであると思います。
    別言するなら、成長社会を終えて成熟社会を営むためのポストモダニズムの思想
    であることは間違いありません。
    つまり、経済発展よりは芸術、スポーツ、文化。自然消費、原子力エネルギーよりは
    自然再生、自然エネルギー、さらには生命的・生物学的視座に立った人間性の直視。

    こうした視点から、次期東京五輪を考えるならば、例えば、「江戸」的なもの「職人」的なもの
    「町衆(祭り)」的なものが考えられるかも知れません。またtea ceremonyに象徴される
    自然との融合と「和」の心、稚児行列、雛祭り、良寛、一茶などに象徴される子供の
    (宗教的なまでの)尊重、小さなものの無限の多様性という点では、山中教授のIPS細胞と
    折紙のコラージュ、「津波」を北斎の「波裏富士」にコラージュし、プロメテウスの火(聖火)を
    原子力の火に融合することは無理としても、江戸の火消しと震災時のボランティア、人々の

    冷静沈着な「秩序」ある行動をコラージュして見せることは、negativeなものから立ち上がる
    「絆」の力を示すことになるかも知れません。(テロリズムのアンチの力として)

    しかし、このあたりでもう一つ大切な視点は、オリンピズムの意義の再考ということでは
    ないかと思います。それを21世紀初頭の日本のオリンピックで敢えて行う。まだ名案は
    浮かびませんが、例えば、「オリンピック旗」の入場と掲揚を世界中のアスリートに委ねる、
    聖火を世界中(五大陸)のアスリートのリレーによって点火させる、tea ceremonyにおいて
    「もてなした」五大陸のアスリートによって五輪旗を掲揚するなど、オリンピズムの原点を
    「和」と「絆」の「もてなし」によって再評価し称揚するような儀式が営めないものかと想像
    してみます。

    何年か前に、こんな詩を作ったので、貼っておきます。
    ギリシア人が差し出した普遍の鏡に、もう一度自分の顔を映し出し、日本人が哲学する

    絶好の機会としてのオリンピックを逃したくないですね。



      小さな日本

    小さな折り鶴
    小さなお雛様
    小さな日本

    小さな野仏
    小さなほこら
    小さな日本

    飴細工に
    竹細工
    金細工に
    螺鈿細工
    細工と名の付く
    小さな仕事

    トランジスターや
    ICチップ
    原子模型に至るまで
    丹精こめた
    小ささへのこだわり

    小さな萩の町の
    小さな屋敷から
    維新は生まれ
    小さな金沢の
    小さな小路から
    見事な手仕事は生まれた

    小さかった
    漱石や鴎外
    とても今の女の子とは
    太刀打ちできぬ程に

    菫ほどな
    小さき人の
    一寸法師
    竹のよから生まれた
    かぐや姫
    スクナヒコナは
    うつくしく
    古語では小さく
    可憐な「うつくし」

    小さな竹下通り
    小さな高円寺に
    小さい秋見つけた

    坪庭
    方丈
    躙り口にて詠んだ
    小さな俳句

    小さな米粒
    集めて食べて
    小さな繭から
    着物をつくり
    小さない草で
    畳を編んで…

    小さな小さな
    世界地図の中の
    日本
    小さなゆえに
    光集めて
    夜は一番明るい日本
    漁火を従え
    煌々と輝く
    スペースシャトルの
    窓からの日本

    小さな心
    どこまで続く……



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