大島鎌吉を想起せよ!~オリンピアンの魂~

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  週 刊 ス ポ ー ツ 思 考 vol.325
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  Sport Philosophy 

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 大島鎌吉を想起せよ!
 ~オリンピアンの魂~


 めづらしく惹き付けられる書物に出会った。「大島鎌吉の東京
オリンピック」(岡邦行著、東海教育研究所刊行)である。喜び
と悔恨の念が生じた一冊であった。

 大島は1932年のロス五輪で銅メダリスト(三段跳び)となった
後、1936年ベルリン五輪にも出場。その後、大戦では毎日新聞記
者としてスターリングラード、北部戦線、ベルリン陥落を取材し
ている。戦後は、1964年東京五輪招致にも奔走し、大会では日本
選手団の団長を務めた。東京五輪後はスポーツの底辺拡大を推進
するためにスポーツ少年団、みんなのスポーツ運動に尽力しつつ
1980年モスクワボイコット論争には、大島声明を発表し絶対参加
を唱えた。1985年の逝去。

 その人となりは同書を紐解いていただくとして、大島鎌吉の存
在を想起することが今のスポーツ界には徹底的に必要だと思った
のである。私にとってスポーツ界での恩師はスポーツ外交を共に
することができた故荻村伊智朗である。が、大島との一期一会は
どこか心の奥底に残っていた。それも一人の偉人と出会った記憶
として。今回の書籍はそのことを改めて想起させた。

 あれは1984年ロス五輪の年だったか?お会いして強烈な感動も
覚めやらぬ頃に帰らぬ人となられた。その当時日本オリンピック
委員会は日本体育協会の一委員会であった。(が、五輪憲章に照
らし日本を統括する国内オリンピック委員会の地位があった)体
協国際部がJOCの事務を司っていた。そこに入社数年の若造である
私がいた。国際部といっても英語ができるのは僅かでその一人で
あった私は海外からの文書、テレックス、ファクスの翻訳、それ
への返信の起案、決済後の英文翻訳と発信に追われ、毎夜、残業
するのが普通だった。

 ある日もそんな残業をしていたところ、めずらしく残っている
上司が私にある老紳士を紹介してくれた。「この方が、あの大島
先生だ」私は彼の名前を聞いたことがあったが、どれだけの人物
かは勉強不足だった。礼を欠かない対応をしたつもりだったが、
上司が「大島先生がこの文書を英訳してテレックスで、今送って
くれとおっしゃている。頼むよ!」

 JOCの通常の事務であればすぐ引き受けるところだが、それす
らも片付かないところに上司から全く業務外の仕事を仰せつかっ
て快い返事はできなかったが、しかし、その老紳士の穏やかな佇
まいが私にNOと言わせなかった。体協国際部にいると英語に関わ
るこのようなイレギュラーな要請は多々あり、本来なら断るべき
ところ、断りきれずにやることが多い。

 今、そのテレックスの内容を思い出せないが、ともかく翻訳と
打電をすませた。と、上司が「先生が食事でもどうか?と言って
いるんだが、どう?」と言う。私は驚いた。これまで不条理と思
いながら仕事を引き受けた人に食事を馳走されたことはなかった。
老紳士はにこやかに言った。「ありがとう。助かったよ」

 それは渋谷の東武ホテルの中華料理だった。上司と三人で円卓
を囲んだ。上司は先生に「彼は国際きっての英語の達人ですよ」
と世辞を含めて私を紹介した。大島はにこりと優しい笑みを浮か
べ、「うん。若い人たちがどんどん海外と渡り合うようになって
もらいたいな」と言った。豪快にメニューを選び、大瓶のビール
を何本か空けた。

 心酔者である上司は、「先生は本当にすごい人なんだ。選手と
してだけでなく、その後、平和運動にも尽力されているんだ」当
時、私は国際スポーツフォアオール運動に関わる仕事をしていた。
みんなのスポーツである。1983年に第一回目のアジア太平洋オセ
アニアスポーツ協議会を東京で開催した際、その準備運営を託さ
れた。この時、大島から突っ込んだ話を聞かなかったことを悔や
む。

 今回の書籍で大島が東京五輪招致に大活躍したことを知り、私
が長野五輪招致に奔走したことと重ねた。モスクワボイコットを
JOCが決めたときにも、自らのアピールを出すと共に、自力でモス
クワ五輪を視察し現地でVIP待遇を受けている。多くの日本人スポ
ーツ幹部ができなかった「スポーツ平和運動」を本気で追及して
いる。

 私は事務局員として体協に就職したが、そのきっかけのひとつ
は体協創設者の嘉納治五郎のスポーツ理念「精神善用」。サッカ
ーと哲学を生かせる職場を選んだ。その後、国際部で世界スポー
ツフォアオール運動と出会い、世界の友人を得、五輪運動と出会
い「スポーツの哲学」が実践できることを信じた。「スポーツし
か世界平和を構築できない」とまで思いつめて仕事をしていた。
まさか体協時代の役員にそういう人間がいたなどとは思ったこと
がなかった。オリンピアンで哲学を持った人がいたとは思ったこ
とがなかった。

 大島鎌吉はまさに生涯を通じてスポーツで平和を求め続けた人
だったことを知る。嬉しいとともに悔恨がある。もっと話を聞き
たかった。この本で筆者に「スポーツこそが世界平和を構築する」
と言わしめている生涯であったのだ。ノエル・ベーカーというオリ
ンピアンで平和活動家と直接会って大島は「IOCが世界の難問
を解決する力を持っている」と言わしめている。ベーカーはノー
ベル平和賞を受賞している。

 今、日本のスポーツ界のあり方は危機的である。スポーツで世
界平和を構築するという理念を本気で考えている者が皆無だから
だ。自分の地位や出世ばかりを考え、本当のゴールのために精神
善用するものがいない。国に頼るスポーツ振興を恥ともせず、世
界平和の願いが込められた国立競技場をぶっ壊すことを平気で主
張できる輩が大手を振っている。

 国立競技場の国旗掲揚塔の高さは15.21m。なぜこの高さ
だったのか?知っているものであれば、新しいスタジアムに別の
選択肢を持っていただろう。この数字は織田幹雄が1928年アムス
テルダム五輪で出した記録である。当時の建築家は日本人初の金
メダリストを称える高さを忘れなかった。

 大島もいわゆる体制派ではなかった。JOC委員ではあったが
IOC委員にはならなかった。陸連の会長になっても可笑しくな
い器量だったが、ならなかった。1982年には「JOCも反核三千
万人の署名に参加すべき」と提案した。

 大島の東京五輪招致のキーポイントは、五輪の完成への一歩だ
った。1964年まではヨーロッパ、アメリカ、オセアニアでしか
開催されていない。アジアで五輪を開催し、オリンピックを完成
させよう!だった。そして、彼はアジア人初のオリンピック平和
賞を受賞スピーチで「アフリカで五輪を!」と叫んだ。オリンピ
ズムの権化と言える。

 今こそ大島鎌吉の思想を回顧し我こそはと私利私欲を捨て、ス
ポーツで世界平和実現のために働く若き魂が求められる。大島鎌
吉を忘れるな!
                        (敬称略)

2014年9月29日  
                        明日香 羊         
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編集好奇
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 1992年バルセロナ五輪も楽しいながら激務だった。皇太子殿下
の選手村ご訪問、ADカード交渉、選手団入場行進枠交渉など、
24時間勤務体制である。本部役員のわがままな要求を差配しなが
ら、組織委員会へ正論も通さなければならない。
 折れそうになることもあった。
 ある日、本部執務室を一人の若い女性が訪れた。「組織委員会
でボランティアをしています」髪の長い美しい日本人だった。
 「イギリスに留学しているのですが、この仕事に応募しました。
大島の孫です。鎌吉の」
 大島さんが遠くから激励に来てくれたのだ!と思った。
 
 皆様のスポーツ思考を期待しつつ

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  考?ご期待
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コメント

  • 精神的先祖と東武ホテル

    大島鎌吉、貴兄の精神的先祖ですね。
    出会いは一期一会。出会ったその時は、老若の差はあっても
    永遠の時間の中では、老若の差はないと思います。
    従って、その時は理解できなくても、長い人生の時間の中で
    対話し合い、理解し合えれば、それで充分。
    そもそも我々はベートーベンやイエスには会えないけれど、
    今も会っているかのごとくに考えているではないですか。

    渋谷の東武ホテル、懐かしいです。
    あのホテルは、もう古いホテルの部類に属するのでしょうが、
    どこか日本のホテルの真面目さを残しているホテルであったと
    記憶します。
    大島鎌吉を讃えて、そこで食事するというのはどうですかね?



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