アジェンダ2020を紐解く~バッハの交響曲~

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  Sport Philosophy 

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 アジェンダ2020を紐解く
 ~バッハの交響曲~


 12月8日、9日にモナコで開催される第127次IOC総会
でアジェンダ2020が論議される。昨年9月にIOCの新会長
となったバッハの五輪改革の第一歩が始まる。

 既に11月18日にこの改革案は発表され、多くの人々の議論
を待つものとされている。20、20で全40項目が、未来のオ
リンピック運動のために提案された。これから多くの議論を呼ぶ
問題も含まれている。

 私もこの40項目に強い関心を持って目を通した。これによっ
てバッハ新体制が目指しているゴールを図るためだ。それが、本
来のオリンピック哲学を敷衍したものであるのか?それとも五輪
主義を損なうものであるのか、きちんと見極めたい。

 日本もマスコミは2020年東京五輪との絡みで、競技数の上
限撤廃を強調し、それによって日本で人気のあるとする野球とソ
フトボールや空手の追加の可能性がでてきたのではないか?と騒
がしい。

 しかしこの改革の鍵となる軸は、五輪の持続可能性と五輪が未
来に価値を残すと言う二点である。それはバッハが五輪運動の危
機を感じていたからに他ならない。1980年、サマランチ会長
も同じように五輪存続の危機を痛感し、オリンピックの「資本主
義化」を図った。それは巷では「商業主義」との批判を受けつつ
も、現実に瀕死の状態であったオリンピック競技大会の存続を可
能にしたのである。私はこの改革をオリンピズムの包含するいく
つかの本質のひとつを現実化したものとみている。オリンピック
運動自身が商業的価値も有することを示したのである。

 その後、ロゲ会長の緩やかな改善を経て、懐に暖めていたバッ
ハの大改革が始まろうとしている。

 その意味は東京五輪で野球が入るかどうかの問題よりも、遥か
に重要であり、そのことこそ取り上げるべき課題に思う。

 サマランチ体制が作り上げた五輪王国がソルトレーク招致に関
わる不正取引の暴露により危機を迎えた1999年。それはある意味、
創設以来IOCが潜在的に抱えていた貴族体質によるものである。
IOCは公的機関に思えるが本質的には私的クラブであり、贈り
物や貢物が自然発生的に生じてもそれを規制する規範が希薄だっ
た。社会的な正義に対する問題が起きた時にそれに対応する術を
全く持っていなかった。

 財政的な基盤を確固にできたが、倫理的規範はそのクラブメン
バー個人のモラルに拠る以外になかったからである。

 バッハはここにIOCの体質的脆弱があると見抜いていた。ク
ラブを支える「取り巻き」を広げ、オリンピックに関心を寄せ、
オリンピックに何らかの関与をしたい人々を増やしていくことが
大切であると見た。それによって「クラブ」が持つ良き本質を失
うことなくIOCが存続できると考えたのである。

 そこにステークホルダーという言葉が登場した。それまでオリ
ンピック関係者には「オリンピックファミリー」というターミノ
ロジーがあった。それがオリンピック家族と門外漢を隔絶し、フ
ァミリー内の事件は身内で解決すればいいという体質にもなった。
また、オリンピック家族が持つ特権が生まれた。それに対して、
オリンピックに何らかの関係を持とうとする人たちというカテゴ
リーを持つことにより、オリンピックの利害は平等化する。

 アジェンダ2020のもうひとつのキーワードは「ステークホ
ルダーである。今回公開された草案にも11回登場する。

 バッハは、五輪をオリンピック家族からさらに世界中の個人一
人一人に開かれたものとして提示していこうとしている。重要事
項には第三者の意見を尊重するとし、その第三者とはステークホ
ルダーのことを指している。オリンピックに関心を持っていれば、
オリンピックのあり方とIOCの行動規範にも、個人が意見を提
出できる。

 サマランチの改革が五輪の「資本主義化」であったとすれば、
バッハの改革は五輪の「民主主義化」であると私は考える。

 この改革によってこそ、世界の民に指示される五輪が存続し続
ける可能性があり(sustainability)、手を取り合って開催した
五輪が受け継いでいくべきもの(legacy)が残るという提案が、
アジェンダ2020の核であると思考する。

 昨年、IOC会長に絶対的多数の支持で就任したバッハ。これ
で独裁的体制が敷かれるのでは?という懸念に対して「私はオー
ケストラの指揮者にすぎない」と答えた。

 問題は彼が指揮しようとしているのが、何かである。協奏曲な
のか?交響曲なのか?前者であればサマランチ体制の強化、後者
であれば全く新しいIOC像が展開される。ステークホルダーの
一人一人がオリンピズムを演奏し、そこにハーモニーが生まれれ
ば、それがまさにオリンピックの平和運動と言えるだろう。

 バッハが交響曲を指揮しようとするのかどうか、アジェンダ2020
の行く末とともにしっかりと見つめたい。

                        (敬称略)

2014年12月7日  
                        明日香 羊         
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                                  ────────<・・

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編集好奇
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 協奏曲はひとつの楽器の独奏をオーケストラがサポートする。
交響曲は様々な楽器の調和を目指す。

 アジェンダ2020には論ずべきポイントが様々あります。
昨日までIOC理事会からの提案として、明日からのIOC総会
で議論されることになりますが、スポーツ思考ではいくつかのト
ピックを引き続き取り上げていきたいと思っています。
 
 皆様のスポーツ思考を期待しつつ

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  考?ご期待
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コメント

  • 明快で意義ある論文

    極めてわかりやすい、意義ある論文をありがとうございます。
    オリンピックの現代史を、手短に解説しつつ、未来への
    方向性を示し、2020年への身の処し方も迫っていますね。

    ナチス・ドイツのような政治体制がどうして形成されてしまったのかを、
    アイヒマンを中心に分析した女流哲学者アーレントが、政治や
    国家体制の外部評議機関ないしはアセスメント機能としての
    「熟議」deliberationを提案したように、民主主義でも、資本主義でも
    オリンピズムでも、人間のつくる政治的形態には、常により開かれた
    ガラス張りの「評価」機能が必要なわけです。
    それをガラス越しに視るだけではなく、参加するという形にすることが
    「ステークホルダー」ということでしょうか。
    まさにその組織をsustainableするためには、より開かれた
    Gemeineschaftが必要ということでしょうか。
    これは、その組織を脳と考えた場合にはメタ認知の機能、身体と
    考えた場合は免疫力のようなものかも知れません。
    どんな貴族的な組織であれ、それはあくまで人間的な身体の延長に
    過ぎませんから。謙虚であらなくてはなりません。

    プラトンの哲人政治も、ここまでは考えなかったでしょうし、極めて
    健全な人間的本能によってオリンピックを立ち上げた古代ギリシァ人も
    (彼らは闘争を闘争の昇華へと変容させました。)そこまでは考え
    なかったでしょう。これはまさに、2500年後の現代を生きる我々の、
    数々の歴史的苦みを経験した後の経験知です。

    「バッハが交響曲を指揮する」は、なかなかエスプリの効いた比喩ですね。
    バッハの時代ならば、まだコラール(合唱)でしょうが、真に人類的な合唱になる
    ことを願うのみです。



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