アジェンダ2020は五輪バーゲンセールか?~オリンピック憲章からの考察~

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 アジェンダ2020は五輪バーゲンセールか?
 ~オリンピック憲章からの考察~


 アジェンダ2020が満場一致で採択された。この根本的主題につ
いては前号で思考したとおり、オリンピック運動がIOC内にお
ける活動から全人類を巻き込む運動に「民主化」されることであ
ると見た。問題はIOCが語っているようにそれをどう具体化し
ていくか?である。

 ほとんどのメディアがこのIOC改革を批判しない中、唯一、
サンケイスポーツが痛快な見出しで論評した。曰く、「理念もへ
ったくれもない“歳末五輪バーゲン”で何でもアリの時代へ!?」

 開催都市以外の都市での開催を認めるどころか、さらには他国
の都市での開催も認めるとしたことを痛烈に論じている。しかも
開催都市に追加種目の選定を許したとなれば、確かに大安売り!
折りしも12月の決定、歳末大バーゲンセールとは言いえて妙で
ある。

 開催都市以外での開催を認めないところにこそ、しかもそれが
国の開催するものでないことが、五輪運動が「スポーツで平和」
を構築するひとつの大きな仕掛けである。そのことこそ、五輪運
動の本懐であった。だからこの部分の開放については、私も鋭く
凝視しなければならないと思っている。

 しかし、一方で忘れられていることがあるのも事実。現行五輪
憲章第34条は、オリンピックの開催地について規定している。

 1. 全ての競技はオリンピック競技大会の開催都市で行わなけ
ればならない。ただし、IOC 理事会が国内の他の都市もしくは他
の場所や会場で一部の種目を開催することを承認した場合は、そ
の限りではない。開会式および閉会式は開催都市で行わなければ
ならない。全ての競技およびその他のいかなるイベントの開催地、
場所、会場も、全て IOC 理事会の承認を得なければならない。

 2. オリンピック冬季競技大会では、地理的もしくは地勢上の
理由のために、ある競技の種目もしくは種別を開催都市のある国
内で開催することができない場合には、IOC は例外的措置として
これらを周辺国で開催することを許可することができる。

 すなわちあくまでも「例外」的ではあるが、第一項では、他の
都市での開催を認め、第二項では、冬季競技に限定しているもの
の、他国での開催も認める可能性を規定しているのである。

 翻ってアジェンダ2020を文字通りに解釈すると、五輪が継
続可能性を維持できないような「例外的」状況になった時に、他
の都市や他国開催も認めるといっているのである。

 その意味で、アジェンダ2020は現行憲章を敷衍するという
見方をすれば、唐突な提案ではないとも言えるのではないか。

 また、開催都市が実施種目を追加できることについても、五輪
憲章を1983年版まで遡れば、公開競技という名目で、組織委
員会が追加競技を提案、IOCの承認を受ければ実施できるとい
う規定があった。これは1988年のソウル五輪以後は削除され
たが、しかし、開催都市の特殊性への理解を示す土壌はもともと
五輪憲章にあったということである。

 メディアがアジェンダ2020を受けてすぐさま2018年の
ピョンチャン冬季五輪のそり競技を長野に持ってくる! 論を報
道したり、ソフト・野球が2020で実施種目に追加される!論
を展開するのは、可能性としてありえたとしても、まさに運営の
問題として、そして五輪運動の根幹に関わる問題として、実行段
階で「例外」でなく「理念」を選ぶという選択肢があるというこ
とも洞察しなければならない一点である。

 IOCはアジェンダ2020で開催都市立候補の門戸を広げ、
都市の財政負担を減らし、それによってあらゆる大陸での五輪開
催可能性を追求する。しかし、その過程でしかとどの開催都市が
五輪哲学を実践しようとしているかを見極めていかなければなら
ないはずだ。

 私がむしろ問題だと思うのは、これも多くが気付いていないが、
五輪立候補が一NOC領域一都市の原則を逸脱することによって、
NOCの権威が崩れるのではないかという点である。これまで、
NOC領域内で複数の都市が五輪開催を希望する場合、国内で一
都市に絞らねばならず、その権限はNOCのみが有するものであ
った。

 しかし、もし複数都市での開催が認められることになれば、準
備段階で都市間で五輪開催のための話し合いが行われることにな
り、それはNOCの関与するところでなくなる。それがさらに他
国の都市とのコラボレーションとなれば、NOCの頭越しに五輪
家族の新たな絆が生まれる。

 領域という概念があるからこそその領域内の権威でありうる国
内オリンピック委員会は、NOCを超えて五輪運動のひとつでも
ある招致活動が都市間で行われることを黙認せざるを得ないだろ
う。

 その意味で、バッハのこの改革は、ナショナリズムを超えるこ

とを狙った物であるのではないか。

 オリンピズムはそもそも19世紀末の列強帝国主義を乗り越える
使命があった。しかし、それ故にこそ、オリンピズムはナショナ
リズムを前提にせざるを得ない。各国を代表する選手団が入場行
進をするから開会式になるのであり、国を代表して戦う選手がい
るから五輪が盛り上がるのである。そのスポーツを通じた戦いが、
個と個を結び、尊敬が生まれ、友好と調和が生まれるのである。 

 NOCを超えてもし直接個と個が結ばれる場として、五輪が存

在できるとしたら...

 まさに五輪の理念と各個人が結ばれる状態が誕生する。バッハ
会長はそこまで考えていると思えてならない。NOCを頼らない
でIOCが直接個人と繋がるのである。かなり「スポーツ的」な
構造になるはずである。
                        (敬称略)

2014年12月15日  
                        明日香 羊         
-------

                                  ────────<・・

△▼△▼△
編集好奇
▲▽▲▽▲
 
 アジェンダ2020はまさに40の課題。これを実行に移すこ
とが重要だとはバッハ自身が言明している。

 その段階でオリンピズムがいかに洞察できるか?きちんと批判
していくことが私たちの使命と思います。

 バッハは民主化による独裁を演じるかもしれません。次号では、
それをIFとの関係で思考します。

 それにしてもIOC総会が自宅でライブでみられる時代になっ
たとは。これでかなりの旅費の節約になりますね。
 
 皆様のスポーツ思考を期待しつつ

                         春日良一

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  考?ご期待
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 次号はvol.330です。 
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コメント

  • 教育委員会廃止論

    バッハの興味深い改革を論じた貴兄の興味深い論であると思います。
    現段階ではまだ客観的立場を選びながら、それでもこの方向に一票を入れた
    という感覚はありますね。

    我々教育関係の仕事をしてきた者から見ると、これは教育委員会廃止論と
    ちょっと似たところがあります。中央の文科省が強い理念を打ち出し(学習指導要領)

    それを承って教育委員会が中間管理する、すごく簡単に言うとそういう教育行政の
    仕組みですが、現在ではこの仕組みが充分機能しなくなってきていて、学校単位
    つまり校長単位で、教育基本法と学習指導要領に逸脱しない学校運営を期待され
    始めている。その分むしろ、その校区の地域とのつながりや、個性や才能のある
    人物の教育現場への参画を許容している(コミュニティスクール)。
    これは、規模はあくまで日本国内の教育に関することですが、どこかバッハの改革にも

    似ているところがあるように思います。

    基本的に、世界が情報化し、啓蒙化が進むと、次には理念の支配を緩め、
    その柔軟な運用を許容し、中間管理を解体し、開放し、個人と地方・地域の活動を
    活性化し、相互のコミュニケーションを促進するという段階が来ると思います。
    この動きは、地方分権化とか、学校を開くとか、自由貿易とか楽市楽座とか
    様々な言い方で言えるでしょうが、要するにindividualismと internationalismと
    communication(経済的意味も含めて)の促進であり、結果として相対的に、nationalismや
    NOCの機能には抑制がかけられることになるのだと思います。それはある意味で
    サマランチの経済主義の次の段階を示すようにも思われ、Gesellschaft 的な五輪を
    開かれたGemeinschaft的な五輪へと導こうとしているようにも思えます。
    確かにあの巨大な国威発揚としての北京五輪とソチ五輪の後には、もはや五輪は
    国家主権を超えたものに向かって歩み出さねばという新しい“理念”が出てこなければ

    ならないのかも知れません。インターネットの時代の五輪としても。

    ただ、理念を具体化していく場合、そこにはいまだ国家やNOCの主体性や主語性
    (いわゆるニッポン、チャチャチャ!の部分ですが)が、肉体性や情念の面で
    当分はまだ必要だと思いますし、アフリカなどの五輪発展途上国は特にまだ
    「国」という理念は実感でもあるのだと思います。

    internationalismとnationalism、これはクーベルタンの昔からの拮抗理念なのかも
    知れませんが、両者の間のチューニングの目盛りは、貴兄の思う通り、バッハの
    目指す方向に動き始めているのではないかと思います。

    価値ある論をありがとうございます。



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