オリンピックの遺産 ~世界平和の実現~

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  週 刊 ス ポ ー ツ 思 考 vol.333
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  Sport Philosophy 

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オリンピックの遺産
 ~世界平和の実現~


 5年ぶりにソウルを訪ねた。そしてオリンピック公園に出向いた。
前回はK1(立ち技系格闘技)の大会が行われていた時だったので、
相当の人で賑わっていた。しかし、今回は寒空の下、土曜日の公園
は閑散としていた。敷地総面積43万8千坪に乳母車を押す老女の姿
がポツンとあった。

 1988年ソウル五輪の時には、日本選手団渉外として公園内に
ある組織委員会に何度か交渉事に訪れた。五輪後は、韓国体協や韓
国オリンピック委員会が明洞からこちらに居を移したので、その後
の韓国オリンピック委員会との折衝もこちらが中心だった。

 自分にとっては常に熱い場所だったので、2015年旧正月前の
オリンピック公園は寂しいものに写った。資格認定カードの交渉で
燃えた日々を想起し、胸に込み上げるものがあった。

 しかし、見上げれば五輪のシンボルが堂々と正面に聳え、その下
には、聖火が小さな灯火を燃やし続けていた。オリンピズムは死し
てはいなかった。その灯火には「平和宣言」という碑が飾られてい
た。もう擦り切れて読めない金色の文字は、しかし、「オリンピッ
クが平和を目指すものである」ことを語っていた。

 オリンピック博物館に入った。特別展示が興味を惹いた。偏見と
オリンピズムがテーマの展示である。いかに人間が差別をするもの
であり、そしてオリンピズムがそれを乗り越える思想であるかとい
うことを三十数目の展示で解き明かしている。

 私は感動を覚えた。かつて韓国オリンピック委員会の国際部長と
は様々な場面で戦ってきたが、常にオリンピズムの実践では勝利を
収めてきた自負があった。サラエボ義捐募金、OCA統一、モンゴ
ル支援などなど。

 しかし、この展示を見た私は、彼のことを思い出し、韓国NOC
は五輪運動を伝えようとしていたのだと認識を新たにした。東京五
輪はその聖火を消したが、ソウル五輪がいまだにその灯を点してい
る。

 強烈な展示があった。

 「貴方の肌の色はどれ?」という問いの下に、黒、こげ茶、茶、
肌色、薄ピンク、様々な色が現れている。悩んだあげくに自分の肌
の色に近い色を選んだ。しかし、正解は?

 パネルをめくると、その下から出てきたのは黒人選手の写真。黒、
こげ茶、茶などに見えていたものは、すべて彼の肌の一部だった。
同じ人間の肌でもその部位によって、白かったり、黒かったり、茶
だったりするのだ。

 自らの偏見にはっとさせられた。

 2020東京五輪を迎える人々は、盛んにレガシーを唱える。五
輪がただ一過性のイベントで終わるだけではなく、開催した都市に
未来への遺産を残さなければならない。それが五輪運動が永続する
鍵だから。しかし、その本音を紐解けば、経済復興であったり、景
気回復であったりするだけではないだろうか?

 本当の意味で五輪のレガシーというならば、それは近代五輪が復
興したその精神、すなわち、「スポーツによる世界平和の実現」以
外にないだろう。

 100歳のジャーナリストむのたけじによれば、人類が地球上に
現れたのは、七百万年前、戦争が始まったのはせいぜい数千年前。
ならば人類の知恵で戦争をなくすことができるはずだ。

 ここからは私の持論である。資本主義も社会主義も戦争のない世
界を作ることができなかった。益々混迷の度を深めるこの世に唯一
灯火があるとそれば、それはオリンピズムだ。

 スポーツという体を前提とする文化の中で、人は敵を敬い、自ら
を愛し、そして努力することの喜びを知るのである。理屈でなく具
体的に。そのことを理解する人が、世界人口の半分になれば、世界
は変わる。オリンピック都市ソウルにはオリンピック公園があり、
そこにオリンピズムを伝えようとする意志が残っている。

 その灯火を2020東京五輪で大きな聖火としよう。憲法九条の
ある日本でこそ、「スポーツで平和な世界」の実現を目指すことが
できはずだ。日本が主張しなければならないことはそのことなので
ある。本当の五輪にするために。2回目を迎える東京五輪の使命は
重い。
                        (敬称略)

2015年2月20日  

                       明日香 羊        
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                                 ────────<・・

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編集好奇
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 むのたけじという人を知らないでここまで来た。
 読売新聞につれあいがインタビューを受け、その記者が
つれあいより先に取材した「むのたけじ」さんの記事を送
ってくれて、インスピレーションが走った。
 100歳のジャーナリストは、死ぬ時が最も賢いという
のだった。今年還暦を迎えることをどこか消極的に捉えて
いた自分はガツ~ンと頭を殴られた。
 もう年には拘らない。
 日々、オリンピズムを検証し、訴え、伝え、実践してい
くのみだ。私にはそれしかない。
 むのさんは今なお意気軒昂なる執筆活動を続け、しかも
哲学小説を書かれているとは驚きました。
 救われました。
 いつかむのさんにお会いし、世界平和について語りたい
ものです。

 皆様のスポーツ思考を期待します。

                         春日良一

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  考?ご期待
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 次号はvol.334です。 
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コメント

  • わが心のオリンピア

    ソウル取材に基づいた、きっちりとしたオリンピズム思考、
    ありがとうございます。

    貴兄が感じておられるように、日本人はつくづく理念的思考が弱い。
    その時ポッキリの好奇心、お祭り騒ぎ、拝金主義に陥りやすく、
    恒常的なもの、過去から未来までを貫く不変のものを思考することの弱い
    無常な民族です。

    オリンピック博物館的なものは札幌にもありますが、確か「冬のスポーツ館」
    とかいうような名前で、あまり理念的なものにはフォーカスされていません。
    そのオリンピック博物館の「偏見とオリンピズム」という展示の切り口は
    僕はあまり好きではありませんが、「平和とオリンピズム」ならば、憲法九条
    を持つ日本人にとっては良い思考テーマとなりますね。
    また、札幌、長野と二度の冬季オリンピックを経験している日本としては、
    「冬とオリンピズム」ないしは「氷雪と五輪」というようなテーマも、考えてみるに
    値するテーマかと思います。つまり、氷河期的な寒さ、厳しさ、氷雪、風雪に耐えて、
    滑る、跳ぶ、闘う、咲くということは、人類にとって何を意味するかを思考
    するわけです。

    還暦を超越して、むのたけじの境地に出会ったというのも結構。
    世阿弥が能の境地の段階を説いた本に、
    「雪、千山を蓋いて、孤峰如何が白からざる。古人曰く、富士山高うして
    雪消せず。これを唐人難じて曰く、富士山深うして云々。至りて高きは
    深きなり。高きは限りあり、深きは測るべからず。」
    というのがありますが、多分出所は禅の公案でしょう。
    本当に高い山は、もはや雪さえ戴いていない。それはもはや高いのではなく、
    (宇宙に向かって)深いのだと言うのですね。
    日本人はやたら、高齢高齢と言って騒ぎ、それ後期高齢者だ前期高齢者だと
    喜んでいますが、これを「高齢」ととらえず「深齢」ととらえてみてはどうでしょうか。
    「円熟」と「枯れ」は、もともと日本人の得意とするところですが。

    「オリンピック公園」とは銘打っていませんが、(そう改称した方がいいと思う)
    わが故郷・札幌の「道立真駒内自然公園」
    我が心の北方のオリンピアというわけです。
    こういうオリンピアは、お互いこれからも持ち続けたいですね。


  • Re: わが心のオリンピア

    世阿弥の言葉深く感じ入りました。
    自然公園、ふるさと、うさぎおいしであります。

    富士山は高さでは世界一でないけど、
    深さでは天下一なのでしょう。



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