パラリンピックはオリンピズムを理解しない ~「正論」の落とし穴~

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パラリンピックはオリンピズムを理解しない
~「正論」の落とし穴 ~

ロシアの選手団のリオパラリンピック参加を国際パラリンピック委員会(IPC)は認めなかった。ロシアのパラリンピック委員会はスポーツ仲裁裁判所(CAS)に提訴したが却下され、個人資格での参加をIPCに懇願した。しかしこれにもIPCは耳をかさなかった。

このIPCの毅然たる態度をメディアは絶賛し、リオ五輪へのロシア選手団の参加を認めた国際オリンピック委員会(IOC)を非難している。
産経新聞などは、IOCの弱腰と一刀両断に裁いている。

しかし、その「正論」がスポーツで世界平和を構築するという五輪の理念実現の妨げとなる思想であることに全く気付いていない。

IPCがロシアの国家的ドーピング故にロシアパラリンピック委員会(RPC)を資格停止処分にしたことは、RPCが国家ドーピングを制御できなかったことへの裁きである。その限りで、IPCはその権利を行使したという意味があり、その判断は合理性がある。

その結果、そもそも派遣母体となる権威がロシアに存在しなくなったのだから、RPCがリオパラリンピックに参加することはできないということになる。

しかし、それならば、ロシアにいるクリーンな選手が個人の資格で参加することはどうなのか?という問いが起こり、それにIPCが出した答えもNOであった。

この判断がIOCとIPCの大きな違いである。
この相違の根本にあるものを見抜かないとならない。
「正論」者たちの誤謬もここにある。

オリンピズムはオリンピックを国と国の争う場であると見ない。
それはトップアスリートが自分自身を代表して戦う場であり、
それ故にこそ、その名誉は選手個人に帰する。

五輪憲章が国別メダル一覧の作成を当事者に禁じているのは、その表れの一つである。

それぞれの代表団は、国の代表団ではなく、その国と地域を統括する国内オリンピック委員会が認めたその国と地域のオリンピック代表団なのである。

ここにこそ、オリンピックが国家や宗教、政治やイデオロギーを超えて、人々をそれ以上の原理で結びつける仕組みがあるのだ。
だからこそ、IOC会長は最後まで個人のアスリートの参加資格にこだわり、かつロシア国家とロシアNOCが一体であるという認識を論理的に回避せざるを得なかった。
一方でクリーンなアスリートを守るという観点は貫き、それぞれの選手を競技として統括している国際競技連盟(IF)にその判定を任せたのである。

簡潔すれば、IPCの判断はオリンピズムから逸脱した判断と言える。

それはいわゆる世間的常識あるいは「正論」を振りかざす良識にすぎない。
スポーツが政治を超えて世界平和を構築するためには、スポーツが政治をコントロールするしかない。その外交責任を担うものと、政治の下で自らの運動を管理するものとの違いがある。

それがIOCとIPCの違いであり、今回の裁定を裁いたメディア自身が、オリンピズムから裁かれていると私は見た。

(敬称略)

2016年9月4日

明日香 羊
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編集好奇
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オリンピズムは単純ですが、
それ故に深く見つめなければなりません。

スポーツで平和を作るという思想を
維持するためには、ナショナリズムを
超克するオリンピックの仕組みを
守りつづけねばなりません。

今週木曜日のバイキングという番組で
私の「正論」を提言します。

皆さまのスポーツ思考に期待します。

春日良一

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コメント

  • これは大切な問題ですね。

    裁きというものは、「天国」か「地獄」かというような、二者択一、白黒、
    明暗、ONかOFFの無機的なものではなく、つまみの調節、メモリの
    調節のようなグラデーションのかかったものだと小生などは考えて
    おります。だから、「煉獄」一つだけの中間項でごまかすキリスト教中世は、
    まだまだ粗雑ですね。どんな罪のない人間にも1%の罪はある。99%地獄落ち
    必死のヒトラーにも1%の人間味はあると、小生などは感じます。
    「人を裁くなかれ、その秤で汝自身が裁かれぬために」というキリスト
    の着眼点は、さすがに正鵠を射ています。

    「個人の尊厳」と「国家」、これに対するオリンピズムのスタンスは、システム的に
    極めて正確ですね。
    「個人」を、まるでファシズムのようにその全人格までが国家の一員と考えてはいけない。
    彼の人間としての意思、自由の部分は時として国家を越える。なぜなら、それは
    人類に属するから、ということでしょうか。統括し、制度化する「国家」は時として
    それらについての責任をとらなくてはならない。しかし、それを強いられた「個人」は
    全員が国家と連帯責任をとらなければならないとは限らない、ということなのだと思います。
    これは戦争時の兵士や杉原千畝の行為などにも、共通する視点だと思います。
    「カイザルのものはカイザルに。神のものは神に。」というキリストの言葉はここでも
    妥当します。何故なら、オリンピックに出場する選手は、基本的に神の子だからです。
    (キリストの子であろうと、アポロンの子であろうと。)

    「今回の裁定を裁いたメディア自身が、オリンピズムから裁かれていると私は見た。」

    まさにキリストの視点です。



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