オリンピックと戦争 ~スポーツで平和は見果てぬ夢?!~

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週 刊 ス ポ ー ツ 思 考 vol.362
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Sport Philosophy
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オリンピックと戦争
~スポーツで平和は見果てぬ夢?!~

五輪運動のゴールは端的に「スポーツで平和な世界を構築する」
事である。こういうと夢空言、机上の空論、理想論などの批判を
浴びるのだが、一方でますます混迷の度を増すこの世界において、
何とか崩壊から救う手立てがないかと考えれば、およそ百年前に
起きたこのスポーツ平和論に耳を傾けてもいいのではないかとい
う思いを捨てることができない。

確かに、五輪が開催され続けても世界から争いがなくなることは
なかった。しかし、五輪があったから、人間が世界平和への希望
を持っていることだけは示せてきたのではないか?

実は近年の五輪憲章改正には、オリンピックが世界平和を構築す
ることについての強いメッセージがあった。その後、あたかも世
情に妥協する形で、その表現が婉曲になってきてはいる。事実、
現在の五輪憲章での平和についての記述の最大値は、「平和でよ
り良い世界の構築に貢献する」という間接的な表現を取っている。

しかしながら、IOCを引き継いできた歴代会長、あるいは五輪
に何らかの形で関わってきた人々は、心の奥底に「オリンピック
が世界平和への架け橋になる」という信念を持っていた。

商業主義を進めた会長としての評判が確立している1980年に会長
となったサマランチもその懐には五輪が冷戦を克服する起爆剤に
なるという思いを持っていた。モスクワ五輪ボイコット問題が浮
上した当時、在ソ連スペイン大使を務めていた彼はその経緯の中
でボイコット問題が起きない五輪にあり方を追求していた。外交
官としての知見が、五輪運動を継続させるためのオリンピックマ
ーケティングを生み出したのである。

1992年ボスニア紛争が起こると自らサラエボ入りし、オリンピッ
ク休戦を求めるという行動に出た。このことは余り注目されてい
ないが、彼が心の底に「スポーツ平和」の理念を持っていたこと
を示している。

近代五輪は世界大戦による三度の中止を経験している。このこと
をスポーツが平和を構築できない証とするか、むしろ五輪開催が
実現できれば世界大戦を回避できたのではないか?という提言へ
のきっかけにするかはその人の決心による。

最初の大会中止は1916年の第5回オリンピック競技大会である。
開催都市はベルリン。開催準備の中心人物はカール・ディーム博
士。スポーツ研究家あるいは五輪研究者あるいは体育哲学者と言
ってもいいだろう。信じられないかもしれないが、当時のドイツ
で125万マルクを費やして、600メートルトラックのある33000人
収容で100mプールを併設するという競技場を建設した。

そしてその競技場で1914年に全ドイツオリンピック代表選考会を
開いているまさにその時、サラエボでオーストリアリア皇太子夫
妻暗殺が行われた。そして、世界は戦争へと舵を切り、第一次世
界大戦へと進んでいく。

ベルリンでの五輪開催を実現するための努力を戦争が真っ向から
打ち砕いた。当時開催準備のための組織で陣頭指揮を執っていた
ディーム博士もその動きを止められなかった。戦争>政治>>>
スポーツの構造と捉える。

その後、1919年の終戦を経て第7回(アントワープ)第8回(パリ)
第9回(アムステルダム)第10回(ロサンゼルス)と続く五輪は、
1936年の第11回大会をベルリンで迎える。時のドイツ政権はヒト
ラー総統率いるナチス。後にこの五輪の成功はナチズムを礼賛し
た大会の如く言われる。

しかし、逆の視点から見ると、この大会こそ現代五輪の礎となっ
た大会であった。

実際この大会は国家の威信をかけて時の科学技術の粋を結集し、
また五輪研究の成果を反映し、その後の五輪の土台を作るほどの
大会であった。写真判定装置もこの時にできたし、フェンシング
の判定装置ができたのもこの大会である。聖火リレーもそうであ
る。オリンピックスタジアムも10万人を擁するものであった。
2020年東京五輪のオリンピックスタジアムの騒動が小さく見える。

ナチズムにオリンピズムはどう対応したのだろうか?ユダヤ人差
別に対して、どういう態度をとったのだろうか?

時のラトール会長はドイツ組織委員会にユダヤ人迫害が行われな
いことを保証させた上で開催権を譲渡している。同年ドイツのガ
ルミュッシュ・パルテンキルヘンで開催された冬季競技大会の際
に会場に「ユダヤ人立入禁止」の看板を見つけたIOCは、ヒト
ラーに忠告した。ヒトラーは「ここはドイツです。ドイツには、
ドイツのルールがあるのです」と答えた。IOCは「オリンピッ
ク競技大会が開催される場所は少なくともその期間はドイツでは
なく、オリンピック国なのです。オリンピック国にはオリンピッ
クのルールがあります」ヒトラーは看板を下げた。

オリンピズムはナチズムを利用して、オリンピックの形態を作り、
少なくとも大会期間中はドイツ国にオリンピック国を維持した。
と見ることもできる。しかしその後、各国ナショナリズムは第二
次世界大戦へと集結し、第12回大会と第13回大会が中止となった。
オリンピズムがナチズムに払った犠牲は大きなものだったとも言
える。

例えば大会終了後もIOC会長がオリンピズムに基づくユダヤ人
迫害禁止をヒトラーに訴えたとしても、その情勢を変えることは
困難だったのだろう。しかし例えばジェシー・オーエンスの活躍
はアーリア民族の優越性を証明したかったヒトラーに一考の余地
を与えたのではないか。あるいは、オリンピック競技大会の開催
継続を努力する中で、オリンピック開催期間を理念的にヒトラー
の頭に16日から160日に、160日から366日に延ばすことができたの
ではないだろうか?

第14回(ロンドン)以降、五輪は今日に至るまで開催し続けてい
る。そのことにスポーツで世界平和構築の夢を抱き続けたい。

(敬称略)

2017年1月4日

明日香 羊
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編集好奇
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謹賀新年

本年最初のスポーツ思考です。
スポーツと戦争あるいは平和を思考し続けたい
と思います。

皆さまのスポーツ思考を期しつつ

春日良一

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