パラリンピックの勝利至上主義 〜オリンピックのパラレルワールド〜

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パラリンピックの勝利至上主義
〜オリンピックのパラレルワールド〜

パラリンピックのスピードはオリンピック以上だ。もちろん期間の客観的長さの違いにもよるが、時間は相対的である。パリオリンピック・パラリンピック組織委員会(COJO)のパラリンピックへの集中度がこの相対性に影響しているように思われる。3回のオリンピックを経験しているパリにとってもパラリンピックは初体験なのである。その初々しい向き合い方が充実した時間を生み出していたのかも知れない。

国際パラリンピック委員会(IPC)のアンドリュー・パーソンズ会長もCOJOのトニー・エスタンゲ会長もパラリンピックの勢いに笑顔である。情熱的なスピーチで知られるパーソンズも情緒豊かで弁舌爽やかなエスタンゲも、パラリンピックについては数字で勝負している。彼らは168カ国、4,400人のアスリートという記録的な大会を誇り、確信した大会の成功をまもなく確実なものとするだろう。

パラリンピックが全世界で165のテレビチャンネルで放映され、フランスのテレビジョンでは300時間が生中継である。チケットの販売状況も日々更新し続け、開会時点で既に250万枚のチケットのうち200万枚近くが売れていた。

パラリンピックのこうした成功はいわば「商業主義的な」成功でもあるが、そのことについてメディアや評論家の批判は聞かれることがない。障害を抱えた人々への支援であれば全てはポジティブに捉えられる。これがオリンピックであればどうだろうか?チケットの売行きを誇ること自身が否定的に捉えられるし、参加国数や選手数の増加は「巨大化」と言われる対象になり、チャンネル数増加や中継時間の長さは「放送権者第一主義」と批判の矢面に立たされるだろう。

エスタンゲCOJO会長が開会式で「パリは革命の都市であるが、もはやギロチンもバスティーユも必要がない。あなたたちパラリンピアンがここにいることが既に革命なのだ」という意味のことを響かせたが、まさにパラリンピックはオリンピックに対する批判の全てを「革命的に」オプティミズムに変換する力を持っているようだ。

確かに自らの障害を乗り越えようと努力した結果がパラリンピック参加だとしたら、それ自身が世の中を変えることのメッセージになるだろう。それが世界の隅々にまで届くのであればネガティブに捉える必要はないだろう。

パラリンピックのオリンピックとの進化論的同質部分を、オリンピック反対派と言われる論陣が批判するのを聞いたことがない。

しかし、私はむしろそのこと自身にパラリンピックの危機を感じるのである。

パラリンピックの実況が積極的に取り上げるのはメダルであり、メダル獲得可能性である。オリンピックも同様であるが、本来、それぞれの競技の本質と面白さ、それを実現するために選手が払う努力する喜びを如何に視聴者に伝えるかが肝心である。

しかしNHKの放送を見るかぎり、日本がメダルを取れるかどうかしか見ていない実況と解説が繰り広げられているのだ。例えば、ゴールボール男子決勝は日本とウクライナの間で競われたが、実況は「日本初の金メダルへ」をトーンにし、解説もそれに応じてか本心露呈か頑張れ日本モードの応援しか口にしない。日本がゴールに成功すれば「ナイス!」と言い、好プレーを見せれば「いいぞ!」と言う。相手チームへのプレーについての解説はほとんどない。

しかも相手がウクライナであってみれば、五輪休戦中も止むことにないウクライナ戦争に対する言及があって然るべきであり、ウクライナがこの決勝をものにして、国旗掲揚と国歌斉唱が実現できれば、それは一つの反戦メッセージになり得るだろう。オリンピックであればまさにそこが注視されるべきポイントになるはずだ。

確かにオリンピックでも似たような状況が起こるが、これがことパラリンピックであれば、さまざまな障害を乗り越えてこの勝利や結果に辿り着いたというパラリンピアンの美談となり、そこで締め括られればOKということになってしまうのである。

メダルという結果を残せなかった選手やその結果が期待できないにしろ頑張ってきた選手への視線そして同じ障害を乗り越えて闘っている他国選手への敬意が必要であることまでまだ心及ばないのだろうか?

勝利を得たものも得なかったものもゴールに対して努力したことの凄さは、パラリンピアンであること自身が示しているのである。そのことを伝えられる実況と解説が求められる。
がしかしそこは勝利を求めるという純粋スポーツ思考で完結すべきなのだろうか?パラリンピックは長年オリンピズムから思考してきた勝利至上主義にもOKを出せる世界なのかも知れない。

パラリンピックは当初は、半身不随などの参加者が主だったため、「対まひ者」と言う意味のParalegia にオリンピック(Olympic)を結合してParalympicとしていたが、現在は「並行する」と言う意味のParaとして理解され、オリンピックと並行する存在という解釈である。それは「もう一つの」オリンピックでもあるのだ。

オリンピックと同じ世界が並行に存在している。そこに躍動する主人公の条件が違うだけである。もし私が、こちらの決心をしていたらこのような世界を生きているのだというパラレルワールドがある。それがパラリンピックだとしたら、相互の世界のあり方がそれぞれの世界の未来を作る手立てになるかも知れない。

オリンピックの商業主義と共にその勝利至上主義がパラリンピックでどう変換されるのか?そこにオリンピックが乗り越えるべき課題への道のりが示されているのかも知れず、また逆に今のオリンピックにパラリンピックが将来抱える問題を見ているのかも知れない。

その意味でパラリンピアンの勝利至上主義は捨ておけない。車いすテニス女子個人決勝で上地結衣は宿敵ディーデ・デフロートに接戦の末、勝利し念願のパラリンピック金メダルを獲得した。東京パラリンピック2020決勝でデフロートに敗れて以来、上地にとってデフロートからの勝利以外にゴールはなかった。

念願のゴールに辿り着いた時、彼女は涙し途方に暮れた。そこに無敵だったデフロートが近づき祝福した。この時、上地は知ったはずだ。勝利以上のゴールがあることを。

パリパラリンピック 上地結衣とディーデ・デフロート2024-09-08 15

確かにオリンピックのパラレルワールドは存在する。

(敬称略)

2024年9月8日

明日香 羊
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編集好奇
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パラリンピックTV観戦はなかなか骨が折れました。NHKプラスで見たり、Eテレで見たり。NHKプラスだと『メダルの瞬間』などという目次があって、なるほど「メダル狂想曲は終わらない」と思った次第。後半も後半に入ってJCOMが毎日夜7時から9時までパラリンピックを特集しているのを知って助かりました。今はNHKプラスで最終日のマラソンを見ています。なかなかクールな実況と解説のようです。いずれにしろNHKには誰でも見れるようにしっかり放送してもらいたいものです。オリパラには五輪哲学を広める意味があるのですから。

「2024パリ大会 徹底、実践五輪批判」日刊ゲンダイ連載が今週木曜日発売号で最終回を迎えました。全18話でした。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/columns/4728/495

開会式について五輪アナリスト春日良一が分析。Forbes Japanをご覧ください。
https://forbesjapan.com/articles/detail/72709

YouTube Channel「春日良一の哲学するスポーツ」は下記から
https://www.youtube.com/@user-jx6qo6zm9f
オリンピックやスポーツを考えるヒントにどうぞ!

『NOTE』でスポーツ思考
https://note.com/olympism

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次号はvol.513です。

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