五輪は開催することに意義がある 〜五輪が暴いた日本社会の脆さ〜

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五輪は開催することに意義がある
〜五輪が暴いた日本社会の脆さ〜

コロナ下で五輪を開くという冒険をなぜ私が主張し続けたか?
それは五輪開催によって日本社会の歪みが浮き彫りにされると思ったからだ。

オリンピックにはそういう実存的意義が存在する。
そのことに気付いていたのはクーベルタンだけではないが、
現実的課題として認識したしたのはサマランチ第7代会長であったし、
さらにそれを実存的に示したのは現会長バッハである。
理念だけのオリンピックでは実存できない。

オリンピック開催を主張する中で、
オリンピック大好き、国連大好き、世界平和大好き、
な日本人像がことごとく崩れていった。

開催数ヶ月前の各紙世論調査は、五輪開催中止と延期の意見を合わせて、約80%。
世界平和の理念よりも日々の生活が大事だと訴えた。
これが日本人の本音であった。
極め付けはバッハIOC会長が、五輪休戦がスタートする7月16日に
平和都市の象徴的存在であるヒロシマを訪れたが、そのことを
反対する声がメディアを通して大きく伝えられた時だ。

その声はあたかもこう言っていた。
「世界平和運動はヒロシマのものであり、オリンピック理念とは関係ない」
その運動に敬意を表し、古代ギリシアから受け継いで近代に現実化した
五輪休戦の平和運動を継承する代表として広島を表敬する
オリンピック運動の代表を歓迎しようとしなかった。
それは日本国内の論理であり、世界の目は五輪を人類の祭典と捉えている。
その視点から見れば、バッハ会長の広島訪問批判は、
「ヒロシマの平和は広島のものであり、世界に開かれたものでない」
ように映った。

2021-09-22 19

日本各地の常識は、県外からの来訪者を拒否し、
自分たちの日常を確保することに向けられた。
鎖国政策が最も貴重な政策と見えた。
徳川300年を振り返り、それを批判する精神は失われた。
自らの藩を守るが一番、それがお家第一の世界を作る。
自分さえ良ければいい!これが日本人の本音であることが露呈した。

日本社会に、コロナの問題を全世界的問題として、捉える器量がなかった。
その器量があれば、まさに人類の祭典であるオリンピックの開催権利が
あることを全世界的コロナ克服の機会にしようとする発想が生まれただろう。

2021年3月、海外からの観客を諦め、同年7月に日本在住の観客も諦めた。
それでも五輪を開催しようとしたのは世界の常識へのあがきであった。
そのあがきを頼りに、私は東京五輪開催を訴え続けた。

開催することによってのみ見えてくる座標軸があるからである。
いくら理念を唱えても理解されない地平にそれはあった。
選手の存在である。
四年に一度の祭典に全てをかけてきた選手たちの命に嘘はない。
その真実のみが座標となり、全ての事象を裁くことができるからだ。
そのことを感覚的に知っているバッハIOC会長は「大会が始まれば全てがわかる」
と表現した。
この表現も「強引な開催」と捉えられた。

私がどんなに多くの論者に中止と延期を主張されても揺るがなかったのは、
オリンピックは開催することに意義があるからである。
1936年のベルリン五輪がヒトラーの五輪と揶揄されるが、
あの大会も開催されたからこそ、ナチズムとオリンピズムの争点が明瞭化したのだ。
平和を目指す手段の違いを焦点化できたのだ。

1980年のモスクワ五輪は西側諸国のボイコットで参加国が80か国、片肺五輪と言われた。
しかし、開催されることによって、国を超えて参加する選手の存在が浮き彫りにされた。
ナショナリズムを超える五輪を皮肉にも表象した。

2020年東京五輪開催に求められてきたもの、それは、実は1964年東京五輪が
もたらしたような経済的復興であり、活気ある日本社会だっただろう。
もしコロナのパンデミックという問題が生じなかったならば、恐らくこの目標は
達成されていたかもしれない。

しかし、現実は違った。
甘くなかった。
世界史はもはやそのレベルを許さなかった。
コロナが突きつけたものは、コロナ下でも東京五輪が開催されなければならない意味。
しかしそれに対して、世界平和構築のために頑張ろう〜!という声は聞こえなかった。
日常に忖度して、「安心、安全な大会」を訴えるだけだった。

五輪が開催されたことによって、少なくとも選手たちが、人々の日常に
元気を与えることが明らかになった。
それによって、「オリンピックやって良かった」「パラリンピック見れて助かった」
という声がマジョリティになった。

救いようのない日本に、IPCのパーソンズ会長が語った「ありがとう日本!」と。
これによって世界が日本が五輪とパラリンピックを開催した意義を認めることができた。

パーソンズ会長が光悦の金継ぎを引き合いに出し、壊れたものを美しく繋げる思想を語った。
それは東京2020を開催した日本への救いであった。

日本の中に生まれた分断も金継ぎにより美しく生まれ変わる可能性がある。
そのことはしっかりと記憶すべきだ。

(敬称略)

2021年9月22日

明日香 羊

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編集好奇
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五輪終了後、オリンピックロスが続いたところ、
一人気丈に暮らしてきた92歳の母が2年間の自粛でKO
介護のために長野に帰省、介護の厳しき現実を知る。
母が長野五輪のボランティアを必死でやり遂げた夜、
やった〜!と家中を走り回ったのが昨日のようですが。
69歳だったのか。
次回は介護と五輪を語ろうと思っています。

春日良一

【Forbes Japan】
いま改めて考える「聖火リレー」の意味と歴史
https://forbesjapan.com/articles/detail/39557

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考?ご期待
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次号はvol.438です。

スポーツ思考
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日刊ゲンダイで連載!
「実践五輪批判〜20年東京五輪これでいいのか?〜」
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NHK大河「いだてん」を思考すると題して始めたブログ
「純粋五輪批判」
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哲学者カントの純粋理性批判と実践理性批判から拝借
「実践」では実際に五輪がオリンピズムを実現しているのかを批判
「純粋」では大河を触媒にオリンピズムの本当を解説

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