オリンピックの政治力 〜中国人権問題とIOC〜

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オリンピックの政治力
〜中国人権問題とIOC〜

北京での冬季オリンピックが迫る中、世界の人権団体から五輪中止
の声が上がっている。

しかし、五輪の主催者である国際オリンピック委員会(IOC)は
「動かざること山の如し」である。
地元のオーストラリアでコーツIOC副会長が「中国の人道的な状況は
われわれの権限外」と語ったのは先の10月13日のことだ。

IOCは政治、宗教、民族、あらゆる差別から超越することによって、
世界平和を実現しようとする組織である。

であれば人権蹂躙の国家での開催を是とするのは不自然に見える。
しかし、ここには一筋縄ではいかない論理があるようだ。

スポーツの持つあらゆる垣根を越えて人と人とを結びつける力を最大
限に利用することにしか、世界に平和をもたらす手段がない。
それがオリンピズムの真髄である。
そのためにIOCは非政府組織であり、非営利団体であり続けている。

国連も本来、世界平和実現のための組織であるはずだ。
しかし、問題は実質的には各国の利権の調整場であることだ。
そこに構造的限界がある。
IOCの構造でなければできないことがある。
近年、それに気付いた歴代の国連事務総長は、オリンピック休戦に
積極的に関わり、スポーツの歴史的意義について、機会あるごとに
世界に発信しているのが、この事情をよく表している。

IOCが国連に近寄っていったというより、国連がIOCでなければ発揮
できない機能に目を付けたと言ってよいだろう。

IOCがIOCであり、オリンピックがオリンピックであり続けるために
は、あくまでもIOCは政治を超えた立場にあらなくてはならない。
先のコーツの発言にはそういう意図がある。
しかし、もはやそれだけではすまいないのではないか?

歴代IOC会長もこの立場を守り抜いてきた。
第三代会長だったアンリ・ド・バイエ=ラトゥールは、1936年
のベルリンオリンピックを主催したが、その時のドイツ国元首は
アドルフ・ヒトラー総統であった。
ユダヤ人廃絶主義の国家での開催について、IOC内でも論議は厳し
いものであったが、しかし、彼はベルリン五輪を諦めることはなか
った。

アーリア民族第一主義のヒトラーがヘレニズムにルーツを持つオリ
ンピックに関心があるわけがなかったが、1916年ベルリン五輪
を準備したカール・ディームの情熱が理想のオリンピックを実現した。

第一次世界大戦による中止で、実現できなかった理念を1936年に
実現させた。それが、「ヒトラーのオリンピック」というアイロニー。

ラトゥールはヒトラーに対してオリンピズムを譲らなかった。
ヒトラーの開会宣言は五輪憲章に基づいたもので、政治的プロパガンダ
が入る余地はなかった。
ユダヤ人迫害をアピールする告知は一切許さなかった。
同年冬、ドイツで行われたガルミッシュパルテンキルヘンでの冬季
五輪の会場に「ユダヤ人入場禁止」の看板を見つけたラトゥールは
その撤去をヒトラーに要請した。
ヒトラーは「ここはドイツだから」と言った。
ラトゥールは「五輪開催地にはオリンピックのルールが適用される。
もし、撤去しないならば五輪は去る」と言った。
ヒトラーは従わざるを得なかった。

ナチズムが支配する地での五輪開催をIOCが諦めれば、その時点で、
IOCはその名目を保つことができたかもしれない。
しかし、その時オリンピズムは音もなく消えていっただろう。
五輪をどの地であっても開催し、その時、その地をオリンピズムの
ルールで支配することが、未来の平和に繋がる。

ヒトラーの五輪と揶揄的に表現されるベルリン五輪は、実際には、
現代の五輪の形を作り、その中に平和のメッセージを埋め込んでいる。
聖火リレーが象徴的であるが、実際の競技の場面では、米国選手の
ジェシー・オーエンスが陸上で大活躍し、その卓越性ゆえにドイツ国民
を熱狂させたのである。
スポーツはナチズムを超えていた。

中国政府は新疆ウイグル自治区でのジェノサイドを続けていると欧米から
の批判を受けている。

もし、IOCがこの批判に同調し、オリンピック開催権をはく奪したとすれば、
それが中国政府の制裁になったとして、その結果、中国の一党独裁体制が
変革されることにはならない。

むしろ、アスリートを信じ、彼らの繰り広げる熱戦の先にある人類の共鳴
を実現することで、開催都市である北京市から中国を変革する可能性が
残るだろう。

ヒトラーの五輪がオーエンスの五輪になっても、しかし、やがて
第二次世界大戦が勃発した。

スポーツが政治に対して控えめであった。

コーツは「われわれは世界政府ではない。国に立ち入って何をなすべきか
命じる能力はない」と言い切ったが、もはやスポーツが政治に勝たなければ
ならない時期が来ている。

むしろ彼はこういうべきだった。
「われわれはスポーツにより世界平和を作るために北京五輪を開催する。
開催する都市のオリンピズムへの奉仕を信じて、オリンピックを開催する。
それを保証する開催国はオリンピズムを尊重しなければならない」

習近平の心に響くオリンピアンの登場を期す。

IOCは本気で世界平和構築のために行動を起こす時が来ている。

山は動かなければならない。

(敬称略)

2021年10月20日

明日香 羊

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編集好奇
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人皆その生きる場で体制を背負わねばならない。
スポーツを愛する中で、その体制を超えた友情が生まれることがある。
結ばれた友情は、やがて国境を越え、人種を超え、宗教を超え、
人々を結びつける。
五輪による革命である。

春日良一

【Forbes Japan】
いま改めて考える「聖火リレー」の意味と歴史
https://forbesjapan.com/articles/detail/39557

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次号はvol.441です。

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