オリンピック外交のアンチノミーを突く 〜虎穴に入らずんば虎子を得ず〜

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オリンピック外交のアンチノミーを突く
〜虎穴に入らずんば虎子を得ず〜

ウクライナ侵攻から一年が経ってもロシアは刀を鞘に納めようとしない。武士道なきプーチンの指揮では暗雲立ち込めるばかりだ。中国が外交トップ王毅をロシアに派遣して、和平への仲介役を演じようとしたのが、朗報と言えば、言える。なぜならそこに「仲介」という停戦になくてはならない触媒があり得る可能性が示されたからだ。

スポーツで世界を平和にするのが目的のはずの国際オリンピック委員会(IOC)は、パリ五輪に向けて、厳格な「中立」条件付きでロシアとベラルーシの選手の国際大会復帰を提言し、いくつかの欧州政府の反発を喰らっている。
 
スイスのローザンヌ大名誉教授ジャン・ルー・シャプレは「IOCにとっての『憲法』である五輪憲章はいかなる差別も禁じており、ロシアなどを排除すれば一貫性を問われることになり、その一方で戦争を始めたロシアと(同盟国の)ベラルーシの選手が参加するのを容認していいのか、という法と道徳のジレンマがある」(時事通信伝)としたが、むしろ、IOCが抱えているのは、ナショナリズムの超克という理念とナショナリズムの是認という現実のアンチノミーである。

ロシアとベラルーシの選手がオリンピックの平和遂行理念の下、この戦争を容認していない限りにおいて、参加を拒むことはできない。なぜならオリンピックはあらゆる垣根を超えて参集する場であるからだ。しかし、国籍の垣根を超えて、同じルールの下、競い合うオリンピックに参加する条件が国旗も国歌も使えず、自らの国を表すものは一切示すことはできないという厳格な条件を彼らは満たさなければならない。そのこと自身が、逆にオリンピックが国家を前提としていることを示している。

IOCステーツメント2023-02-27 15
STATEMENT: WAR IN UKRAINE ONE YEAR ON

このアンチノミーを打破するためにIOCに求められるのは「国」を肯定しながら「国」を有名無実な存在にする覚悟である。その方便を成立させるのが国内オリンピック委員会(NOC)の存在であり、あくまでも五輪への参加権を有するのはNOCであるというテーゼである。そのNOCは五輪で使用する代表団の旗と歌を登録することができる。しかし、ほとんどがその国の国旗と国歌を使用しているのが現実である。もしこれを全て五輪旗と五輪讃歌にしてしまった時に、オリンピックは恐らく多くの人々の共感を削ぐであろう。

国の代表であるという共同幻想を維持しつつ、NOC代表としてオリンピック理念に殉教する形が以上のアンチノミーを統合する唯一無二の方便と私は思う。その場合、ロシアとベラルーシのオリンピック委員会は、五輪旗と五輪讃歌に殉ずる覚悟が必要となる。となると両国のNOCはオリンピズムの踏み絵を差し出される。国旗、国歌を有しない代表にオリンピックへの参加意義を喪失して五輪参加を選ばなければ、その時点でNOCの資格を剥奪される。NOCであり続けるためには五輪参加して、国旗と国歌を捨てて、五輪旗と五輪讃歌に殉ずる他はない。

私がバッハIOC会長に提示したのは、オリンピック休戦を破った国のNOCはその時点で資格を剥奪されるという政治への一刀であったが、ロシアやベラルーシの選手に対する配慮から封印された。ならば、IOCは先述の戦略でロシアとベラルーシの選手の五輪参加への道を示す以外にないのである。

英国政府が日本や米国、フランスなど34カ国が署名した声明を出し、五輪の参加条件とする「中立」の定義を明確にするようIOCに求めたそうだが、検討はずれもいいところだ。国旗も国歌も含め、あらゆるその国を示すものを禁じられて、IOCの平和遂行運動に反対しないことを表明した選手のみ参加が認められる状態だとIOCが表明しているのだ。それを政治的視点から「中立」を政府当局が問うのだからIOCが重んじるスポーツの「自律」自身を理解していないことの表現にしかならない。

今必要なのは平和の触媒である。その任は中国よりもIOCが担うべきだろう。ロシアとベラルーシに出したオリンピズムの踏み絵を持って、バッハはプーチンに会うべきだろう。オリンピック外交は攻撃する時を迎えている。まさに虎穴に入らずんば虎子を得ずである。

(敬称略)

2023年2月27日

明日香 羊

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編集好奇
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ウクライナ戦争が一年を過ぎた。スポーツが触媒となって和平に辿り着くためにパリ五輪は重要であろう。IOCに中立を問う声明に署名した日本は確かオリンピックを開催したばかりの国だ。全く五輪音痴と言わざるを得ない。

『NOTE』でスポーツ思考
https://note.com/olympism

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東京五輪汚職で「商業主義化=悪」の世論に異議あり、元JOC職員が見た真因とは
https://diamond.jp/articles/-/311042

北京五輪の「オリンピック休戦」をむげにしたロシア、
IOCバッハ会長の葛藤
https://diamond.jp/articles/-/298005

【ゲンダイデジタル】
【特別寄稿】IOCバッハ会長は8年前、高橋治之元理事の“追放”を組織委に求めていた
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/310969

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「逮捕された高橋治之元理事には9億円 あぶり出される東京五輪招致の闇」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/309953

短期連載(全3回)
「東京五輪にメス!スポーツマフィアを生んだJOCの過ち」
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短期集中連載(全5回)
「IOCへの諫言 五輪憲章から矛盾を糺す」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/columns/4322/495

日本と世界の重要論点2022↓
【Daiamond Online】
東京2020が日本人の記憶に残らない理由、北京に引き継がれた不信感と意義
https://diamond.jp/articles/-/291658

【Forbes Japan】
「命と引き換えにするほどの価値があるのか議論すべき時」
https://forbesjapan.com/articles/detail/39575
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次号はvol.476です。

スポーツ思考
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日刊ゲンダイ連載全100回
「実践五輪批判〜20年東京五輪これでいいのか?〜」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/columns/3625/

NHK大河「いだてん」を思考すると題して始めたブログ
「純粋五輪批判」
https://genkina-atelier.com/gorin/

哲学者カントの純粋理性批判と実践理性批判から拝借
「実践」では実際に五輪がオリンピズムを実現しているのかを批判
「純粋」では大河を触媒にオリンピズムの本当を解説

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コメント

  • 戦争の現場からオリンピアへ

    概ね賛成です。
    IOC、今や政治に超越ではなく、超越しつつも内在する
    神のような、方便のような性格を持ってもらいたいところですね。
    中国などという「国家」レベルに仲裁をさせるのではなく、これは超国家レベルで、
    しかも国家に内在できる組織でなければできないことだと思います。
    超政治的で、しかも政治にも降りて行ってやれる存在というか。
    公平性と普遍性ですね。真の人間的意味での。
    というのも、国連では、政治的な普遍性でしかないからです。多数決的な
    公明性でしかないからです。
    しかしIOCは質的な普遍性、超政治的な博愛性に根ざした普遍性であるからです。

    そこでIOCに求められるのは、今こそ新たなるその思想の明文化です。
    つまりこういうことです。
    IOCは、「個人(アスリート)」と「人類」の側に立つ。
    「国家」や「政治」「軍事」や「経済」の側に立たない。もちろん「国家」から送り出された
    「個人(アスリート)」の側にも立たない。
    しかし人間は、アテネ・スパルタの競争の昔から、一種の生物の健全な闘争本能として

    一度に「人類」とか「汎地球」という意識にはなり得ない。なかなかそこへと「解脱」する
    ことはできない。そこで一つの「方便」(?暫定的経過措置)として、「国家」「政治」「経済」にも
    無関心ではいない。いないどころか、時としては、「個人」と「人類」の観点から、積極的に
    干渉し、意見を述べるし、交渉、折衝にも乗り出す。
    基本原理から見れば第二義的に見えるが、しかし人類の未来という視点に立てば、
    二義的などではあり得ず、あくまで対話的・方便的積極性の中にある。

    これはアンチノミーでもなければ、ジレンマでもなく、敢えて言えばテトラレンマの自覚。
    すなわち、主客合一や無分別知の視点に立った「個人」と「人類」の健全な存続を図るための
    積極的な方便としてある。

    「ロシアとベラルーシに出したオリンピズムの踏み絵を持って、バッハはプーチンに会うべきだろう。
    オリンピック外交は攻撃する時を迎えている。まさに虎穴に入らずんば虎子を得ずである。」
    この意見に概ね賛成です。ただし、それは「攻撃」というよりは、これまでの原理原則論を出た
    新たな原理・原則論に立つ“思想的行動あるいは対話”でなのだと思います。
    人類が、思っていたより賢くなかったので。
    できることならバッハは、ゼレンスキーにも習近平にも会うべきだと思います。
    つまり、オリンピックで会えばいいと、武家の商法のように待っている時代ではなく、オリンピック(IOC)
    の方から世界の国々に会いにいくのです。時としては、戦争の現場にさえも。
    だって、アテネとスパルタの選手は、最初は皆戦争の現場からオリンピアへ来たのですから。



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