スポーツのチカラとは何か? 〜アジア大会の忘れ物〜
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週 刊 ス ポ ー ツ 思 考 vol.488
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Sport Philosophy
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スポーツのチカラとは何か?
〜アジア大会の忘れ物〜
正直驚いている。アジア競技大会が毎日報道されているのだ。私が初めてアジア競技大会日本代表選手団本部として参加したのは1982年、インドはニューデリーで開かれた第9回大会であった。その頃、テレビが中継するのはNHKぐらいが少しずつだったと思う。それも録画で。9月19日に中国は杭州市で始まったアジア大会はTBSが毎晩放送を展開しているのだ。現地の放送ブースも大盛り上がりの様相である。
41年前にアジア大会を放映権の取れるイベントにするなど夢物語だった。当時のメディアは「アジア大会なんて誰も見ませんよ」と返してきたのだった。第19回目となるアジア大会は商業主義的にも成功し発展してきた結果、40競技481種目というオリンピックを超える大規模イベントとなったのだろうか?
TBSでは「アジア版オリンピックと言われるスポーツの祭典、アジア大会。TBSスポーツの『届け、スポーツのチカラ』という共通テーマを元に『スポーツに熱狂できる瞬間』 をたっぷりとお届けします!」と宣言している。
後に日本オリンピック委員会企画広報部長代理になった私が一生懸命アジア大会をメディアにアピールしていた時のことを思うと涙が出るほどの言葉である。テレビ局自らがアジア大会をかように表してくれるとは。
日本代表がアジアの頂点に立つことを応援することが、「熱狂できる瞬間」を作る原理になっているのだろう。故に、金メダル幾つ、銀メダル幾つ、銅メダル幾つの表示がTBSのホームページを彩る。
日本代表選手団は772名の選手と366名の役員で総計1,138名の大選手団である。eスポーツも正式競技となった今大会にはその選手役員も含まれるのだから仕方がない規模なのだろう。これについては別の機会に思考するが、競技数の増大、すなわち大会の肥大化は一つの問題として捉える必要があるのではないか?五輪の肥大化を批判する識者たちはなぜかアジア大会の肥大化には沈黙である。
41年前の大会からの肥大化の批評とは別に、アジア大会に対する日本スポーツ界の姿勢に私は問題を感じているのである。それは私が日本代表選手団本部にデビューした時から抱えている問題でもあるのだ。
インドも初めて、選手団も初めての「新入社員」?!は初仕事に虚心坦懐で臨んだ。そもそもアジア競技大会は、第二次世界大戦後によって引き裂かれたアジア諸国の絆を、スポーツを通じて取り戻し、アジアの平和に寄与することが目的だった。そして、「戦犯国家」?!日本が世界のスポーツ界に復帰できたのは、1951年第1回大会が開かれたインドの首相ネールが反対する諸国を宥めて日本を招いてくれたからだ。その恩を忘れることなく、第9回大会日本代表選手団は入村早々、ネール首相の墓に表敬したのであった。
しかし、競技が始まるとその日本選手団の本部には大模造紙が掲げられ、メダル獲得した選手の種目と競技が記されていくのであった。一方でアジア大会の精神を継承すべく大会組織委は毎晩選手村の芸術大ホールでインド文化を披露するイベントを催すのであった。そのイベントへの招待状がその都度、選手団本部に届けられるのだが、誰一人として日本選手団からその芸術的な催しに参加するものはいなかった。ある夜はあのラヴィ・シャンカルのシタールの演奏会が催された。しかし日本選手団は誰一人として出席しなかった。
選手団に配属され親日家の学生コンパニオンの女性が涙ながらに訴えた。「どうして日本人はインドの文化に関心を持ってくれないのですか?」本部役員は無言だった。しかし彼らの心の声を私は聞いていた。「当たり前だよ。我々は戦う選手団なのだよ。芸術を楽しむ暇なぞないのだ」
彼女は私に怒りを打ち明けた。「日本は金の亡者だ。金メダルを幾つ取ったしか言わない。私たちはアジア大会を通じて日本の方々との交流を求めているのだ。それはスポーツだけではない。文化交流でもあるのだ」
私はもっともだと思った。「新入社員」?!の私はその場で「革命」を起こすことはできなかった。しかし、いつかこの日本代表選手団の姿を変革してやろう!スポーツをきっかけにして世界の人々との文化交流をする使者としての選手団に変えていこう!と。
果たして41年経ったアジア大会に臨む日本代表選手団の胸中にあるものは何か?それはあの時から進化したものなのか?
残念ながら同じである。その心は「金メダルを目指したい」である。
誰一人として「自分のプレーを通して、アジアの友好のために貢献したい」と語るものはいない。
第1回アジア大会に呼んでもらった日本代表選手団は勝つことよりもフェアプレーを心がけ、地元の人々との親交につとめた。その結果は予想以上の好成績であった。
アジア大会に参加する意味は何か?日本を戦争から救い出してくれたスポーツへの感謝でなければならない。その恩を忘れた日本代表選手団にスポーツの女神が微笑むとは私には思えない。
41年前からアジア大会は大きくなった。民放テレビ局が独占中継をするほどになった。しかし、それはスポーツのチカラだろうか?スポーツのチカラとは世界の友好を築く力なではないのか?メダルを取る感動を演出して視聴率を稼ぐためのチカラではないと思うのだ。
(敬称略)
2023年9月30日
明日香 羊
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編集好奇
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アジア大会創設の発想にはアジアの友好がありました。その最も大切なところを忘却していくのは何故か?次号もアジア大会についてスポーツ思考したいと思っています。次はeスポーツの意味についても。
緊急提言「2030年ウクライナ冬季五輪の胎動」ご高覧いただければ幸いです。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/columns/4575
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次号はvol.489です。
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コメント
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そのあたりの貴兄の意見はいかが?
若き日の実体験。そして、それと今との比較対比。
そこからこみ上げて来る真実の叫びがあります。
当時のインドの学生コンパニオンの声とともに、
そこにアジアの声があります。
この変わらぬ日本人のスポーツについての習い性、
先入観、勝ち負け文化。それを刷新するものは何か?
これはやはり源平合戦、戦国時代、勝てば官軍時代から
大河ドラマまで続いている日本人の(保守的)悪癖、または未開なのか?
これを正すために、幼少期からの(もちろんスポーツも含めた)
日々の国際交流の感覚の育成。あるいは現行選手団には、
会期中に必ず一つの文化交流イベントに参加するなどの
ノルマを課す。などの施策を施すべきなのか?
そのあたりの貴兄の意見はいかが?