オリンピックはこの分断の時代に価値による融和を求める 〜第144次IOC総会開会式におけるバッハ演説〜

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オリンピックはこの分断の時代に価値による融和を求める
〜第144次IOC総会開会式におけるバッハ演説〜

第144次国際オリンピック委員会(IOC)総会は第10代会長に初の女性、初のアフリカ大陸出身のカースティ・コベントリーを選んだ。彼女は41歳という若さであり、これは創始者クーベルタンを次ぐものだ。今の政治指導者の「年寄り」ぶり、「男」ぶりへの素晴らしきアンチテーゼである。スポーツが未来を先取りした感がある。

日本のスポーツポリティクス国際的復活の唯一の望みとして渡辺守成の会長就任を内心期待していた私だが、この結果に世界の救済を感じることができた。渡辺の挑戦を狭き日本の心で揶揄する向きもあったが、この勇敢な挑戦の姿と行いが日本人と日本を国際スポーツ界に改めて焼き付けたことは紛れもない事実だ。五大陸五輪同時開催案は西洋思想の度肝を突いたことは間違いない。

コロナ禍での東京五輪2020の開催において日本人と日本のメディアに「嫌われバッハ」になってしまった感のあるバッハ会長だが、彼の12年間を冷静に振り返れば、アジェンダ2020ならびにアジェンダ2020+5など一連の五輪改革綱領の実践力と分断を進める世界の政治指導者と渡り合った剣士ぶりは正当に評価されるべきだろう。コロナ禍の五輪開催論で孤軍紛争した私もかなりの嫌われ者になったが、しかし、百万人が行くと言っても我行かずの精神を小学五年生の担任から教わった自分には五輪運動は間違っていないという信念だけは曲げることができなかった。

東京五輪2020は開催したこと自体に意味がある。それがパリ五輪に繋がっているのだ。
日本人とバッハの心の乖離が私には切なかった。彼の五輪精神の理解と実践は正道であったからだ。第144次IOC総会開会式はオリンピアで行われた。そのバッハ会長のスピーチにはオリンピックの真実が詰まっていた。五輪の起源、そして近代五輪復興の思い、世界平和構築の価値。五輪史と五輪哲学を端的にそして美しく表現できていた。このスピーチは全文を各紙が報じて然るべきだったが、私の知る限り一紙もない。穿った論説を載せるよりよほど読者には意味があると思う。

コベントリー 2025-03-29 15

当号では彼のスピーチから核心的な部分を抽出し、それが実は新会長登場へのプレリュードであったことを紹介できればと思う。

バッハは冒頭、
「私たちは、まるで星々が一直線に並ぶかのように、運命が交差する瞬間を稀に経験します。IOC総会の開幕を迎えるために古代オリンピアに集うことは、まさにそのような貴重な瞬間です。今日、私たちは過去、現在、そして未来が一つに重なるのを感じています」
と、IOC委員たちが古代ギリシアと繋がっていることを意識させた。

そして、
「ギリシャとギリシャ文明は、世界に二つの素晴らしい贈り物を与えてくれました。それは、『民主主義』と『オリンピック競技大会』です」
と、オリンピックがデモクラシーと必然的関係にあることを伝えた。

その上で、
「今から2800年以上前、ギリシャは人類全体にとって特別な贈り物を生み出しました。この神聖な地で、オリンピック競技大会は初めて開催されたのです。すでに古代のオリンピック競技大会も価値観の上に築かれていました。その象徴が、『オリンピック休戦(エケケイリア)』の伝統です。この神聖な休戦によって、ギリシャの都市国家がほぼ絶え間なく戦争や紛争に巻き込まれていたにもかかわらず、すべての選手と観客が大会に参加することができました。すでにその時から、オリンピック競技大会と平和は切っても切れない関係にあったのです」
と、オリンピック競技大会の価値は平和構築にあることを明言した。

そして、史上初のオリンピック・スタジアムのすぐそばにいることが、「創設者ピエール・ド・クーベルタンの精神にも近づくことを意味する:と言い、
「ここから少し歩いたところに、彼の意志に従い、その心臓が永遠に安置されている石碑があります。こうして、時を超えたオリンピックの精神――古代と現代のオリンピズムが、私たちを包み込み、歴史的なオリンピックの遺産の守護者としての責任を振り返り、行動することを促してくれます」
とIOC委員がオリンピックの価値を守る「守護者」であるとした。

「オリンピック競技大会とそれが体現する価値観は、何千年もの間受け継がれてきました。しかし、・・・それが決して揺るぎないものではなかったことも分かります。古代オリンピック競技大会は、政治的および商業的な利益がスポーツの価値を押しのけたときに終焉を迎えました。その後、オリンピック競技大会は数世紀にわたって忘れ去られてしまったのです」
と政治的圧力と商業主義が古代五輪を終焉させたことに言及し、自らが政治的圧力と商業主義からの超越を試みている存在であることを暗示した。

そこで
「ピエール・ド・クーベルタンによって復活するまでには、約2000年もの時を要しました。彼がこの偉業を成し遂げたのは、わずか29歳の若さでした。彼の思考の中心には、常にスポーツの価値がありました。彼はスポーツとその価値観を通じて、より良い世界を築こうと考えました」
とクーベルタンがオリンピック復興という偉業をなした若さを強調した。今、求められているのは「若さ」であると。(私の調べではIOC創設時のクーベルタンの年齢は30もしくは31歳であるので、この誤差について現在IOCに問い合わせしている)

「彼はオリンピック競技大会を、国や人々の間で平和を促進する手段と見なしていたのです。彼はこう言いました。『もしオリンピック競技大会という制度が繁栄すれば、それは世界平和の確保において強力な要因となり得る』と」

「当時の世界は、今と同様に敵対的な地政学的環境の中にありました。ナショナリズムと軍国主義が台頭する中で、クーベルタンはオリンピック競技大会を創設し、政治的に敵対する国々の選手たちを一堂に会させました」
まさにパリ五輪が実現しようとしたことであり、遡れば東京五輪2020がコロナ禍でも開催されなければならない意義もここにあった。

そして続ける。
「当時も、そして今も、アスリートは平和の大使なのです」
私は「アスリート平和大使論」をIOCに向けて述べてきたが、彼が自らアスリートを「平和大使」と言い切ったのは初めてだ。

IOC会長にオリンピアンが就任した初めはブランデージ第5代会長だが第8代ロゲ、第9代バッハと「平和大使」であるオリンピアンが続いた。そしてバッハは金メダリストである。この伝統を継げる人は限られてくる。

「この平和の使命こそ、彼が私たちに託した遺産なのです。そして、この価値観こそが、オリンピック競技大会を唯一無二の存在たらしめています。私たちは、その守護者として、この価値観のもとに結束する義務を負っています。・・・私たちの責任とは、これらの価値観を謙虚に、そして誇りを持って受け継ぎ、次世代へと伝えていくことなのです」

「守護者」という言葉は私がバッハ自身を称した言葉である。それを次世代に繋げるものとした意味は「アスリート平和大使」とともに深い。

「最近では、オリンピック・パラリンピック競技大会パリ2024が、これらの価値観を見事に具現化しました。私たちが価値観を貫いたからこそ、206の国と地域のオリンピック委員会とIOC難民選手団の選手たちを、一つの場に集わせることができたのです。選手たちは互いに激しく競い合いました。しかし同時に、オリンピック村という一つの屋根の下で平和的に共存しました。開会式の前には、戦争や紛争で引き裂かれた国の選手たちを含むアスリートが集まり、感動的な平和へのメッセージを発信しました。彼らは、もしすべての人々がオリンピック精神に則り平和共存できるなら、世界がどうあるべきかを私たちに示してくれたのです」

この一言を聞いた時、正直、渡辺の会長就任が遠のいていくのを感じた。五大陸五輪同時開催論では、一つの選手村に集うことが不可能になる。それを渡辺はオリンピックフォーラムを競技後に開催する案でフォローしたが、選手村の概念も古代五輪から引き継いだ価値であることがIOCの基本認識である。

バッハのスピーチはクーベルタンの言葉で締めくくられた。
「オリンピック競技大会は、過去への巡礼であり、未来への信念の表れである」と。
オリンピックは原点を大事にしその精神に服し、未来を築いていくべきなのである。

バッハはZeitgeistという言葉を好んで使う。Zeit(時間)とGeist(精神)の造語。18世紀後半ドイツ哲学界で生まれた概念と思うが(その意味は深いが長くなるので別の機会に)、ある時代を支配する精神のことである。クーベルタンがIOCを創設しオリンピック復興を考えていた当時の時代精神は帝国主義的で、ナショナリズムに支配されていた。その中でスポーツを通じて平和を促進するという理念は対照的なものであった。

「彼が、自らの時代の分裂的で好戦的な潮流に抗いながらこの理念を貫いたことを考えると、その勇気と大胆さに、私たちは改めて敬服せずにはいられません」
と述べるバッハがいる今も当時と同様の時代精神の中にいる。第10代IOC会長には、分裂的で好戦的な潮流に抗いながらオリンピズムを貫くことができるリーダーが求められたのだろう。

早速、ウラジミール・プーチンからコベントリーに祝福の手紙が届いている。

(敬称略)

2025年3月29日

 

明日香 羊
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編集好奇
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IOC会長選挙の結果についてゲンダイでも論じました。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/369469
コベントリーの勝利にプーチンが反応しました。融和外交に入っていくか?

「2024パリ大会 徹底、実践五輪批判」日刊ゲンダイ連載、全18話
https://www.nikkan-gendai.com/articles/columns/4728/495

Forbes Japanで開会式について五輪アナリスト春日良一が分析。詩的スポーツ思考。
https://forbesjapan.com/articles/detail/72709

YouTube Channel「春日良一の哲学するスポーツ」は下記から
https://www.youtube.com/@user-jx6qo6zm9f
オリンピックやスポーツを考えるヒントにどうぞ!

『NOTE』でスポーツ思考
https://note.com/olympism

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考?ご期待
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次号はvol.525です。
コベントリーへのプーチンのすり寄りについて書きます。

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