ナチズムとトランプ ~2024年五輪開催地との関係~

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ナチズムとトランプ
~2024年五輪開催地との関係~

1936年ベルリンで開催された第11回オリンピック競技大会
は、ヒトラー政権のもとで運営された。ユダヤ人排斥を公然と実
行するナチズムが開催した五輪をどう理解したらいいだろうか?

それはオリンピズムを追求する私にとっても大きなテーマのひと
つではあった。JOC企画広報部長時代に発行していたJOC機
関誌で「オリンピック運動を語る」特集で、「ヒトラー政権でも
オリンピックが開催されたことにオリンピズムの本質を見る」趣
旨の私の見解を掲載したところ、役員から「おまえはナチか?」
と揶揄されたのを想起する。

私の思いはそこにはないが、オリンピズムを学ぶ中でナショナリ
ズムをどう克服するか?という政治的な問題として思考する必要
があるだろう。

実は、1936年のベルリン五輪は第一次世界大戦と第二次世界
大戦の間で起きている。第一次世界大戦によって第6回オリンピ
ック競技大会(ベルリン)は中止となった。IOC創設は列強帝
国主義が蔓延る世界情勢の中、教育者クーベルタンの「スポーツ
で平和な世界」の思想を現実化するためだった。しかし、世界戦
争が勃発した。

(以下は前号と輻輳しますが、文脈上ご了承ください)

それもドイツが五輪開催のために準備した大スタジアムでドイツ
代表を決定する選手権の最中、サラエボで起きたオーストリア皇
太子夫妻の暗殺がきっかけとされる。方や平和運動をいざ進めん
という動きの中で、世界史は戦争を選択したのである。

その戦争の結果、ドイツは敗戦国となった。1919年のベルサ
イユ条約では敗戦国に多大な賠償をかした。その結果、ドイツに
「民主的に」ヒトラー政権が誕生する。そのアーリア民族第一主
義のナチズムがドイツの見果てぬ夢であったオリンピック競技大
会を開催するのだ。

オリンピズムは宗教、人種、政治、民族などあらゆる垣根を超え
て、当時の憲章では「あらゆる差別を超えて」世界の若人を結ぶ
祭典であるオリンピックを至高の場としている。それがユダヤ人
排斥を掲げる政権が関与せざるを得ない五輪をどうして認めたの
か?

そこには、IOCの「政治的」判断と思惑があったはずだ。それ
はオリンピックの精神にヒトラーを賛同させることにより、ナチ
ズムのベクトルを世界大戦からずらすことへの挑戦であった。

ベルリン開催を決める条件には当然オリンピック憲章の順守があ
った。にもかかわらず、ドイツは選手選考からユダヤを除外した。
それについて、IOCは即座に警告を発している。ドイツはユダ
ヤ排除を回避することを約する。同年、ドイツのガルミッシュ・
パルテンキルヘンで開催された冬季五輪の会場に「ユダヤ人入る
べからず」の看板があった。時のIOC会長ラトゥールはヒトラ
ーに抗議する。「オリンピックでは人種による差別を禁止してい
ます」ヒトラーは答える。「ここはドイツなのです。ドイツには
ドイツのルールがるのです」ラトゥールは返す。「いいえ、オリ
ンピックの会場はドイツではありません。オリンピック国なので
す。オリンピック国ではオリンピックの憲法に従ったいただきま
す」ヒトラーはユダヤ人排斥の看板を五輪会場から撤去した。

1936年のベルリン五輪はドイツの名誉と威信にかけて、最高
の祭典を目指した。ドイツの組織委員会には、カール・ディーム
という五輪研究家がいた。彼は古代オリンピックを研究するとと
もにスポーツの持つ自己実現と友好親善のパワーを信じていた。
その知識と実践のより、ベルリン五輪の形を作っていく。

ヒトラーがアーリア民族の優越性を証明したい競技会であったオ
リンピックであるからこそ、最先端技術による競技判定も実現す
る。写真判定やフェンシングの機械判定機が登場したのもこのベ
ルリン大会である。しかし、この最高の大会は、アーリア民族の
優秀性を示すのではなく、限界に挑戦するアスリートの卓越性と
人間賛歌を表現することになる。

ギリシアで太陽から採火した聖火をオリンピックの会場まで運ぶ
聖火リレーもこの大会で誕生した。ギリシアからベルリンまでの
3000キロに及ぶ聖火リレーは、ヒトラーからすれば、戦争準
備の情報収集とデモンストレーションを兼ねていたのだろう。し
かし、今そのリレーは平和運動の象徴となっている。

開会式の式典次第もこのベルリンが基礎となっている。選手団の
入場行進や、放鳩もそうである。ヒトラー政権がベルリン五輪を
至高の祭典としようとすればするほど、それは平和の祭典の理想
を実現する行為となっていった。

このことはナショナリズムを超克するひとつのヒントを与えてい
ると思うのである。ドイツの威信を示すためにオリンピックの原
点を研究し、それを現実に実現しようとした結果、ナショナリズ
ムがオリンピズムに昇華する瞬間がある。

2017年1月20日、米国第45代大統領にドナルド・トラン
プが就任した。米国は「民主的に」彼を大統領として選んだ。就
任演説でトランプは語った。「アメリカ第一」どこかヒトラーの
登場した背景と相似する。

欧州でも英国のEU離脱はナショナリズムの象徴に見える。世界
情勢がナショナリズムに傾く時、オリンピズムは完全と立ち上が
らなければならない。

本年9月、ペルーのリマで開催されるIOC総会で、2024年
オリンピック開催地が決定する。米国ロサンゼルスが立候補して
いる。ここからの招致活動にトランプがどう関わってくるか?オ
リンピックがどう関わっていくか?凝視するべきだろう。

1月18日、中国国家元首、習近平がローザンヌにバッハIOC
会長を訪問している。IOCの平和外交に米国大統領がどう関わ
るか?それをバッハがどう仕切るか?

トランプの米国至上主義をオリンピズムが別のベクトルに変換す
るチャンスが訪れている。IOCがどの都市を選ぶか、世界のパ
ワーバランスに関係してくる。まさに「スポーツは政治」の時代
に入りつつある。

(敬称略)

2017年1月22日

明日香 羊
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編集好奇
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1月13日の金曜日、上智大学のオリパラ総合講座の講師として
お招きいただき、「オリンピック・パラリンピックの光と陰」の
お話しをさせていただきました。

若きソフィアンの真剣な眼差しに燃えました。

一介の素浪人にオリンピズムを語る機会を与えてくださった師岡
教授に感謝を捧げます。

皆さまそして若きソフィアンのスポーツ思考を期しつつ

春日良一

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考?ご期待
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次号はvol.364です。
(1998年からの400号を目指して あと37思考?!)

スポーツ思考
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コメント

  • 政(まつりごと)は祭事

    人間は古代の昔から、ディオニュソス劇場で同時に政治を行ってきたし、
    インカの少女の人身御供は血祭であって、同時に原始的なまつりごと。
    旧約聖書の時代の生け贄を神に捧げる儀式は、やはり祭と政の共存が
    感じられるし、それは過ぎ越しの祭におけるイエスの生け贄の神の子羊にまで影響を
    及ぼしている。日本の天皇家の祭政一致。中世の宗教裁判。ルネッサンス
    のメディチ家演出による聖臨降誕祭のページェント、ナチスのベルリンオリンピック
    “民族の祭典”。広告代理店主導の東北六魂祭、国会中継、都議会中継、商店街の
    ハロウィンイベント、バレンタインイベント、大統領選挙に至るまで、祭を政にし、政を祭に
    してしまうのは人間の常のようだ。
    アーレントは、「政治は劇場化する」などと洒落た言葉で言っているが、全く
    同義であるにすぎない。

    では、オリンピックとは何か?
    古代ギリシアにおけるオリンピアードやピュテイアは、もちろん祭であった。
    しかし、おそらくこれらの祭が他の祭と異なるのは、それがいかなる生け贄をも
    伴わない祭であるということにあるのではないか?又大衆への媚びを伴わない
    祭であるということにあるのではないか?
    ここに近代オリンピアードの精神の源流があるように思われる。
    また、この祭は、いかなる心理的効果も扇動的効果も目論まず、ただ真実の
    速さ、高さ、強さのみを神に捧げる祝祭となっているという点も挙げられる。
    その点でそれは、デモクラシー以上であり、ポピュリズム以上であり、もちろん
    金銭感覚・コスト感覚以上である。(それは何処か哲学に似ている?)

    「トランプの米国至上主義をオリンピズムが別のベクトルに変換す
    るチャンスが訪れている。」
    イギリス至上主義だろうと、ロシア至上主義だろうと、中国至上主義だろうと
    同じである、人類至上主義でない限り、これからの祭も政も成立し得ず、
    その具体的範例をオリンピックが示すべき時が来ている。



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