五輪消滅論 〜スポーツの黄昏〜

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週 刊 ス ポ ー ツ 思 考 vol.425
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Sport Philosophy
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五輪消滅論
〜スポーツの黄昏〜

新型コロナウィルスが突きつけた現実。
それは端的に言えば、人間が死に至る存在であるということだ。
ウィルスは人類誕生と共に存在し、これからも存在し続ける。
いかに衛生管理を整え、いかに医療体制を整えても完璧ということはない。
1964年の東京五輪の時も一番の心配事は「コレラ」だった。
害虫、ネズミ、モグラなどの駆除が徹底的に行われた。
しかし全ては相対的である。
絶対に安心安全な状態を保てる保証がない。
そして、新型ウィルスのテーゼは強烈だ。
人間社会の脆弱性をついてくる。
三密。
密集、密閉、密接(近)。
密接を密接近とすれば、習近平(集金閉)だね。とは友人の一言。
いずれにしろ、これは五輪への最後通告的である。

スクリーンショット 2020-06-18 23

国境を超え、宗教や政治や民族の違いを超えてスポーツで繋がるのが、
オリンピックの主張だからだ。
集まるな、閉じるな、近づくな、
となれば、スポーツが本質的に求めるところの真逆である。
接近せず、集まらず、閉じずにできるスポーツもあるが、かなり限定的である。

スポーツとは何か?と専門家に問えば、皆こう言うのだ。
「スポーツとはラテン語のデスポルトから来た。すなわち日常からの解放だ」と。
三密を強いられている世界から脱するのがスポーツなのであれば、
それは新型コロナウィルスを広めることを覚悟しなければならない。

そこまでして、つまり「命」を捨ててまでスポーツをやる価値があるのか?
「死」を賭してまでスポーツをやる意味があるのか?
という問いかけがある。

そして今、この世の人々は皆、「命よりも大切なものはない」と主張し、
そのように生きるために三密を避ける。
すなわちスポーツも避けようとしている。

私は青春時代、命をかけるほどサッカーをやってきた。
それはスポーツの価値を最大と思っていたことになるだろう。
突き詰めればそれは「命」よりも大事なものを思っていたからだ。

かつて日本の侍たちは、自らの「命」を捨てて、主君の恩義に報いた。
良し悪しは別にしてそういう価値観もあったということだ。

都知事選に立候補した面々は、異口同音に「経済」を主張している。
ロックダウンをしなかったのもそれによる経済的試練を保証する経済力あるいは胆力がなかったからだ。
見方を変えれば、現代は「命」よりも「経済」が大事なのかもしれない。

そのような価値観の中で、「命」を掛けて東京五輪を実現するべきだ!
と言えるほどの人材は一人もいない。
「選手、観客、全ての人々の安全と安心を得た上で、五輪を開催すること」が大事だと、オリンピズムの信者、バッハIOC会長も述べている。

私から見れば、そんなことではオリンピックは終焉を迎えざるを得ない。
なぜなら、オリンピックには「命」を捨ててまで実現すべきゴールが見えないからだ。
本来は、そこに世界平和の実現があったはずだ。
世界平和の実現は人類のゴールとなるべきものである。
であればそれは命を賭けるほどのものではないか?

これまでこの世に戦争がなくなった時がないという事実に、19世紀末に登場したオリンピックの思想が、答えを出そうとしてきたのだ。
平昌五輪で実現した南北朝鮮統一チームは政治では到達できない夢を実演させた。
しかし、それは今、コロナと東京五輪延期の中で、霧散しようとしている。
本年7月24日に東京五輪が開催されていれば、このようなことも起きなかったのではないか?

すなわち、オリンピックを実現するという努力こそ、世界平和構築への唯一の道標であるのだ。
そのことを声高らかに言うものが一人もいない。
オリンピックなんてただのスポーツ大会だ。ただのお祭りだ。
戦争が起きたら止めるしかなかった。
そしてウィルスが蔓延すれば延期するしかなかった。
その程度の国際総合競技大会だ。
巨万の富のためにやっているだけだ。

そう言って、理念を曲げて延期して、果たして残るのは何か?
理念を曲げずに踏ん張れば見えてきたものがなかったか?
バッハがトランプに、安部に、習近平に、金正恩に、プーチーンに言うべきことがあったのではないか?

1940年東京五輪は世界戦争への流れの中で返上された。
一年前に逝去した嘉納治五郎が生きていて、彼の熱意と情熱で東京五輪開催を実現していれば満州事変からの世界戦争参戦は回避できたのではないか?
当時の不穏な情勢を「田畑政治」と言う著書は饒舌に表現している。
1934年の第10回極東大会に参加する日本代表を軍部が嫌がらせをする。
が、スポーツ界は負けていなかった。
サッカーの竹腰重丸は、夜半自宅の庭に出て抜身の日本刀を構え、
暴力には真剣を持っても対決して屈せずと、月光に日本刀を輝かせて心を正した。
右翼の嫌がらせにもめげず、日本は選手団133人をマニラに派遣した。

当時の先輩諸氏から見れば、今のスポーツ界はどう写るだろう。
安心安全はもちろん大事だ。
しかし、それしかメッセージを吐けないオリンピックであれば、
その存在意義は果たしてあるのだろうか?

スポーツには未来を変える力がある。
と言う理念は今こそその力を見せなければならない。

米中は危うく、南北朝鮮は揺れている。
シリアも、イエメンも苦しんでいる。
東京五輪は世界に何かを伝える使命があるのではないか?
それは命がけでなければできないほどのものである。

(敬称略)

2020年6月18日

明日香 羊

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編集好奇
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春日良一

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考?ご期待
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次号はvol.426です。
本日発売のゲンダイで実践五輪批判42回が掲載されました。
JOCはIOC支店ではない!
このことを理解していない人が多すぎる。
まさか組織委にそう言う人はいないだろうが。

https://ironna.jp/article/13939
「タバコなき東京五輪」をレガシーにするにはココが足りない

スポーツ思考
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日刊ゲンダイで連載!
「実践五輪批判〜20年東京五輪これでいいのか?〜」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/columns/3625/

NHK大河「いだてん」を思考すると題して始めたブログ
「純粋五輪批判」
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哲学者カントの純粋理性批判と実践理性批判から拝借
「実践」では実際に五輪がオリンピズムを実現しているのかを批判
「純粋」では大河を触媒にオリンピズムの本当を解説

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